オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

暫くぶりに・・・

2024-05-12 | 弁当

5/12(日)三週間ぶりにBLOGを開いているが、この間と云えどもFacebookには日常をアップしてきた。何の変哲もない田舎暮らしの様子ではあるが・・・。

毎日が野菜作りの日々、野菜作り二年生として奮闘努力はしているが人生と同様、ままならぬのが実態!。

前回にアップしてから、26日に東京から沼田君が来高して一週間後に帰京、28日29日と松山から木原君一家の来高があった。この間は雨の日が多かったが、木原家族を迎えた28日は庭でBBQができた。

                 

雨の日と雨上がりの翌日は野菜畑に出れないので、買い物にでるか部屋で過ごすしかない。一年前の白内障の手術以来、読書が辛くなり本を手にすることがめっきりと減った。その代りにNETで野菜作りを見ているが、こりが多種多様千差万別で尽きない。便利な時代と云えるが情報の取捨選択と真贋を見分けるのが・・・。

斯様な日常であるが日曜日を迎え雨となる今日、高知市内まで出掛けて某衆議院議員の講演会を聞きに行く。応援している西内たかずみ県会議員から案内をもらい、前回の総裁選の時に一票を投じたこともあり参加費千円を支払ってまで出掛ける・・・、暇人故であろう。

そして、明日の午後帰京して翌日から弘前へと向かう。保谷さんのリタイア記念旅&神先生ご夫妻を訪ねる小旅行であるが、円明寺に眠る東郷夫妻(橋本葉子さん)の墓参もしたい。先生宅と不老不死温泉、青荷温泉に宿泊する三泊四日の旅です。

弘前へは数年ぶり、おそらく7~8年ぶりとなろうか。桜の頃の取材であったはずだ。親しくしてもらった方が何人かいるが会う時間は取れないであろう。また、佐藤敏行君が昨春からストーブ列車の終着駅となる中里町に帰郷しているが。

金曜日の夕に弘前から帰京し、反省会と称す飲み会があり、土・日と東京で過ごした月曜日に帰郷の予定。丸一週間、田舎を開けることになり、野菜の手入れが心配なのだ。

スイカの方は定着し、ソラマメ・ズッキーニは収穫を迎えている。トウモロコシとジャガイモは順調に生育しているが・・・。虫が・・・、ウリハムシ・カメムシにアブラムシ、これらが大量に発生してくる。それに、胡瓜の大敵うどん粉病が出てくるのだ。日々の管理が身に染みてきた二年生なのだ。

特に、ウリハムシとカメムシが大敵で、現時点でも相当な被害に遭っている。

野菜は上記の他に、カボチャ・トマト・ナス・ピーマン・ジャンボシシトウ・万願寺などを少しづつ作っている。キヌサヤ・エンドウ豆にタマネギは収穫が終わり、先週に全て撤去した。

                 

今年も雨が多いながらも、カンカン照りの日もありもう焼けてますよ!。インディアンもビックリなんて云うCMセリフが昔にありましたが、そんくらい焼けてきました。健康な証?。

 

野菜作りの合間?に、姪の店「いなかじかん」や、レトロな映画館「大心劇場」&喫茶「豆電球」でコーヒータイムを愉しむ。斯様な日々です。先夜は、豆電球のBBQ小屋で焼牡蛎を堪能させてもらいました。

            

 

 

 

 

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こんな雨の日は・・・

2024-04-21 | 弁当

4/21(日)日曜日の今日、朝から雨がつづく・・・。こんな雨の日は、買い物に行くぐらいが関の山。

日曜日と云えば休日、勤労者の皆様の大半は体を休め、或いは行楽や映画に買い物でもする一日かな?。こっちは、365日が日曜日の暮らしである。で、ありながら、ここんとこ仕事の夢を見ることが多い。殆どが冷や汗をかくようなシーンばかり・・・。これも辛いものがるんだよ、目覚めてから一生懸命言い訳など考えるんだから。

さておき、ブログを一か月近くもアップをしてないことになる。先月の25日に保谷兄いへの敬意を込めて記して以来だ。特に理由もないが、畑や飯つくりに時間を要すると落ち着かなくてblog を記す気が起きないのだ。気になりながらもキーボードが打てない!。

昨夜からの雨で、今日は一日中のんびりと過ごすことにしていた。そんなことで朝から、ご無沙汰だったblogでも打つ気になっていた。とはいえ、さしたる話題があるもなしだが・・・。

山里もすっかり春の陽気で、これはこれで畑作業が多くなる。と云うよりは、追われている!。春夏野菜の育苗した苗の管理、畝作りに植え付け、追肥や草引きと枚挙に暇なし。まああ、チンタラやっている所為でもあるが。

昨日の午前は生姜の植え付け、午後から延び延びになっていたミカン畑で草刈りをした。小さな甘夏と小夏ミカンの収穫もと思って畑に出ると・・・、なんと小夏が半分くらい喰われて皮が樹下に散乱していたのだ。

               

最初は、ハクビシンか狸の仕業と思っていたが、木に残った皮を見る限り鳥が食べた皮のようであった。そういえば、さっきひよ鳥が枝にとまってうろついていた。それにしてよく喰ったものだぜ。

                   

小夏と甘夏は五月に入ってから収穫するつもりだったが、妹から早く獲れと急かされていたのだ。残り少なくなっていたミカンを収穫した次第。

 

庭先でのホットなニュースが一つ!。なんと諦めていた枝垂れ桜(かの有名な三春滝桜の子孫と云うことだが?)が、5~6輪咲いていたのだ。殆ど気付かないぐらいの小さくて白っぽい花に気付いたときは「驚き桃ノ木山椒の木」だったよ。今年咲かないと伐っちゃうぜと言い聞かせた成果?。

十年以上にもなるのに咲かなかった、土壌か気候なのかと思うしかなかったのだ。憧れていた三春の滝桜を見れたのは、東北大震災の翌年の春だったはずだ。取材で気仙沼に向かう途中で立ち寄り、満開を過ぎて、葉桜に近い時期ではあったが、それでも満足した。そこで、幼木を買って田舎に送って植えた木である。

滝桜の子孫で印象に残るのは、女性登山家で三春町出身の田部井さんの埼玉の自宅を訪れた折、庭に綺麗に咲いた枝垂れ桜があった。それが、滝桜の子孫だと聞かされていたのだ。その時の桜のように薄紅の見事さとはかけ離れているが、取り敢えず咲いてくれたことが嬉しい!。

                 

取材で訪れた方、先輩や友人と遠くに旅立た人は増えていくばかりだ、何かの折、ふとした瞬間、甦ることがままある。そうした時、共有したシーンを思い返すのである。心の中に、脳裏に全ての記憶が現存している。

こんな雨の日は・・・、過ぎ去りし日々の中に戻ることが多い。

 

 

 

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保谷兄い、お疲れさまでした。

2024-03-25 | 弁当

3/25(月)月曜日の夜明け前の時刻。今週で三月も終わり、本格的な春を迎える頃となったが、菜種梅雨とかで雨の天気が続いている。

昨夜、保谷さんから電話をもらったが、日曜日の電話は稀有である。そこで思い出したのは・・・。

「そうか、今夜は酒場仲間が保谷兄いの送別会?、いや慰労会を開いている日だった」である。馴染の酒場「今宵 うまし」さんの店主夫妻とカウンターに陣取る常連さんが浅草のフグ屋で兄いを囲んでいるんだった。

夜毎、堀留町から人形町2・3丁目の酒場をパトロールして元気と現金を振りまく兄貴ならではである。かつては、我らで「人形町パトロール隊」と称していたが、孤高を死守しているのは兄貴だけとなった。

私もこの日の予定を二月末の帰京で夫妻から聞いていたが・・・、欠礼させて頂いた。と、云うのも我々(佐賀の中村氏)は、五月の連休明けに津軽地方へ「保谷さん卒業祝い&神さん夫妻を訪ねる旅」をすることにし、旅の計画は既に出来ているのだ。

保谷さんは、住友グループの会社に長く勤務し、別子銅山のある四国・新居浜市や、工事現場のインドネシアに駐在した経験がある。会社を定年退職後、友人数人で人形町に下請け会社を立ちあげて今に至る。

人形町の住人としては、私より遅いはずだ。何のゆかりない私たちが知り合ったのは、彼の300円酒場「ちょっぷく」である。

会社帰りのひと時、駅に近い賑やかな酒場、そこで保谷さんが三人組で飲んでいる姿を何度か見かけていた。ある時、すぐそばで飲んでいる三人から「高知」と云う言葉が聞こえ、それで関心を持ったのが始まりだ。

私たちも「ちょっぷく」から、レトロなスナック「セイジュ」へと廻ることが度々で、保谷さんたちも同じようなルートを辿っており、話をするようなり親交を深めて行った次第だ。

親友なんて言葉は嫌いだが、掛け替えのない友人のひとりである。人形町において文字通り、水魚の交わりを重ねてきたのだ。

兄いは、ものすごい常識人で人好き、話好き、ながら経験と知識、義理・人情、酸いも甘いも嚙分けた話、と敬服している。

4月末で仕事を辞めるが会社に出るのは三月いっぱいの予定と聞いている。いつか、この山里を訪れてくれることになっている。その日が楽しみである。

因みに、私と保谷さんとは同年齢だが、私の方が少し遅く生まれている。私は、兄いよりも五年も早くリタイアとなったが、兄いにはもっと現役でいてほしかった。が、工事現場に出向くこともある仕事故に退職を決めたのであろう。

兎も角、保谷兄さん永いあいだご苦労様でした。されど、付き合いはこれからも宜しく頼みます。

 

閑話休題

当初の予想よりソメイヨシノの桜開花が遅れている。昨日、高知市で漸く開花宣言があったようだ。

この山里においても、ソメイヨシノは未だ蕾のままだが、山桜の系統と思われる桜は咲いた。薄桃色とは違い、白っぽい花ながら桜は桜だ。それをお届けします。

         

これは、よく立ち寄る「豆電球」の駐車スペース&イベント広場の川岸にある桜で、一昨日の光景です。

 

では、また!。

 

 

 

 

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山里、三寒四温・・・

2024-03-18 | 弁当

3/18(月)昨日の昼前から夜中まで降り続いた雨も上がり、今朝はすっきりと晴れて風もなく穏やかです。

こんな天気なら畑遊びに最適なのだが、残念ながらぬかるんでいるので入らない。漸く最盛期のホウレン草、ノラボウ菜と収穫してやらないといけないのだが・・・。

大根に水菜、レタスとブロッコリ・小松菜はお仕舞いです。レタスとキャベツは次に播いた種が少しづつ成長しています。ジャガイモは昨年より一ヶ月も早く植えたのですが、昨年と変わらない時期の今、芽出しが始まりました。

実験と思って早く植えたり、育苗を始めたりしていますが、野菜の種は自分で発芽時期を決めているようで、こっちの思うようにはいきません。

育苗も三寒四温のこの時期ならではの難しさを実感しています。露地栽培ですので、季節を時期を見極めて育てていくしかないか。

余談ながら、先日町からの帰路、途中に数十本在る桜の一本が咲き始めていました。この桜だけは何時も早く咲き始めるのですが、山桜の系統のように思います。

         

そろそろ筍が出るなと思い、昨年の日記を見返すと「3月11日、小さな筍を掘った」とありました。二年前の日記では「3月18日、従姉から筍を貰った」とありました。

そんなことで、まだ早いだろうと思いつつも13日に竹林を探索しました。三十分ほど足裏の感触を頼りに探って、漸く小さな筍を取ることができました。

              

次いで16日、お彼岸前のお墓掃除を済ませてから、再度竹林を探索!。この時も乳児とも云うべき小さな筍をゲットしてきました。

          

三年前までは、今頃には猪が竹林を掘り返して土中の筍を食べていましたが、昨年からその傾向が表れていません。豚コレラのような病気の影響で猪が激減しているとのことで、今年も従弟が一頭捕っただけでした。

雨後の筍、というぐらいですから、猪も現れないのでこれからひと雨ごとに筍は出てくると思われます。が、旬に先駆けて食すのが楽しみです。筍ご飯と汁物で頂きました。

もう少し大きいのが採れるようになったら・・・、届けたいと思う誰それの顔が浮かぶが・・・、その頃には巷に筍があふれていることだろ。

この山里では、筍も山菜も時期が遅いのです。ボケるのだけは早いようですが?。

育苗を開始した「ズッキーニ」は順調に芽が伸びてきました。先日から、カボチャとスイカの育苗がスタートしました。今年こそ、良いスイカを育てたいものです。

以上、山里からのメッセージです。

 

 

 

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雨・・・

2024-03-12 | 弁当

3/12(火)昨夜から降り始めた雨は、朝を迎えても降り続いているが、深夜ほどの強い雨ではない。午後には上がるとの予報であるが、不安定のようだ。

帰郷してから丁度一週間となるが、帰郷した日と翌日も天気が悪かった。と、いうことは外遊びの畑に出れないと云うことだ。部屋で過ごせばタバコの消費が増えるのだが、なんとか一日一箱(ショートホープだから10本)で押さえている。

この1週間でやれたこと、やったことといえば、ミカン畑の草刈り、野菜畑の植え付け用の畝作りが二畝、育苗したトウモロコシ苗70本ばかりの植え付け。ホウレン草畝の草引きと、成長してきた豆(キヌサヤ・スナップ・ソラマメ・エンドウ)の手入れくらいである。心配は大きくなってきたタマネギの病気だが・・・。

ジャガイモは少しだけ芽を出していたのだが、数日続いた寒波で芽枯れしていた。

              

網代さんが種を送ってくれた「ノラボウ菜」が成長!、毎日のように摘んで食しているが、これが美味しいんです!。ここいらでは植えていないので珍しいが、食しかたが不慣れなので、お浸しやベーコンとソテーしている。今夜あたり、天婦羅にしてみようかな?。

    

日々、朝夕の食事はほぼ粗、野菜尽くしと云うところです。今、採れる野菜だけでも十種類以上あるので食べきれるはずもなし。小松菜・大根・ほうれん草にブロッコリなど、貰っていただけるところにお配りするばかりです。  

斯様にのんびりとした、時代離れした暮らしには、株価の急騰・急落、政治資金や内閣支持率などとは縁遠く、別世界の出来事。世に疎くなるのも良いものかな?と、思うのであります。

早く筍が出てこないかなぁ~。なんていうと、ノー天気な奴だ!バカヤローと云われそうだね・・・。それも、まっいいか!。

 

 

 

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そして、帰郷・・・

2024-03-05 | 弁当

3/5(火)二月の末、28日に帰京してから丁度一週間となる今日の午後便で帰郷します。

あっという間の時間であるが、最大のテーマであった五月の津軽地方への友人達との旅行スケジュールを固まめることができた。他、数年ぶりとなるオヤジ達との懇談、何時ものメンバーとの歓談と楽しいひと時を過ごした。

そんな一コマを振り返ると・・・。

帰京翌日の29日、正午から御徒町の「キリンシティ」で、年号が平成に変わったばかりの時代に職場を同じくした清田さん(上司)&高橋君(後輩)との懇談。何時もながらの与太話で盛り上がり、最後は上野駅前の蕎麦店でお開き。体調が十分でない清田さんだが、お口は元気。今月末には高橋君の運転で来高するとなったが?。昨年の夏にも来高の話があったが、体調不良で断念した経緯がある。こっちとしては、待つだけのことであるが・・・。待ってますよ!。

二人と別れ、私は人形町へ・・・。三越前駅から堀留町に向かう、コレド室町の裏通りを渡ろうとするとピンク色も鮮やかな「おかめ桜」が満開だった。懐かしい光景である。二月になると咲きはじめる花弁が小さな桜、これが並木になっているのだ。

              

そして、「高松蕎麦店」で保谷兄いと中村さんと合流した。今回の上京の最大目的「津軽旅行」の旅の詳細を詰めるためである。中村さんも前日に佐賀から上京したばかり。金魚湯割りを飲みながら歓談し日程を調整し、大まかなコースを提案・・・。私にお任せとなる!。

その後は、「こま吉」から「セイジュ」と廻ってお開きとなり、日付が変わる前に帰宅したが、些か飲みすぎたきらいあり。

月が三月となった金曜日、16時半から「人形町きんザざ通り歯科」で受診して、お手入れ?。五時、開店したばかりの「うまし」さんのカウンターに腰を下ろし、暫しカウンター越しにマスターを相手に雑談してウイスキー&ソーダ。18:30「ちょっぷく」へ移動。ここで、ナチュラル時代のメンバーと懇談するのだが、ユリカ&理恵は仕事が終わらないと欠席、藤倉君はコロナの症状で不参加。

閑な?喜夫と碓氷老人、沼田君と我がご学友?細川が顔を出して五人での飲み会。ここでもバカ話ばかりが・・・。いつも賑やかな店長、山影さんは五度目の脳梗塞発症で入院していた。五度目とは驚くしかないが、その生命力はしぶといねぇ~。最後は、前夜に続く「セイジュ」でカラオケとなった。

               

 

土曜日も正午待ち合わせは東急線・大井町駅。待ち合わせたのは、末娘が通った中高のバレーボール部のオヤジさん達で、山ちゃん、紺ちゃんに、名所河津桜の河津から今村さんであった。コロナや私は田舎暮らしのこともあり、顔をお合わせたのは数年ぶりである。

バレーボールの大会があると、オヤジ達も顔を揃えて昼休みの飲み、終わってからの飲み会と応援もそこそこに、よく飲んだものである。私の帰京に合わせて久々の歓談、懇談であった。大井町の細小路の酒場でビール&焼酎湯割りで盛り上がる。二軒目に移動してから三十分ほどで先に失礼する。横浜駅で岸本大兄と会う予定があった次第。

            

横浜で大兄と合流し、前回も入った昼間から開いているショットBARへ。ここはタバコを吸えるので、私にはいいが、肺の具合がよくないと云う大兄には辛い店であろう。申し訳ない!。ここでウイスキーやウオッカを啜りながら二時間近く歓談して帰宅した。

お節句の日曜日、午後から郷里の先輩であr「奈加野」のオヤジと二人、平和島でボートレースで遊ぶ!。便利なのは往復、店主の車に同乗できるのだ。遊びの方は惨敗!。所詮、こんなものだろう。

この日の夕食は、SORA(13歳)にMITO(2歳)という二人の孫娘一家と、我が家で手巻き寿司の夕食。お節句だからねぇ~。ハマグリが高い、魚の種類が少ないと家人がぼやいていた!。

帰京前日の昨日は、午前中に旅の詳細を詰めて、宿の手配。初日は神先生宅でお世話になり、二泊目は黄金岬の「不老ふ死温泉」、三泊目は「ランプの宿青荷温泉」が予約できた。全行程、先生ご夫妻も同行され、神パパが車運転をしてくれるとのことである。弘前城~岩木山~白神山地&竜飛岬、八甲田と廻れるかな?。個人的には、東郷夫妻(橋本葉子さん)の墓参、森のイスキヤを訪ねたいが・・・。

午後、渋谷のタバコが吸える喫茶「トップ」で、T物産社長の岡崎氏と歓談。一時間以上話を聞き、していた。既存のビジネスでは先行きが見えない時代・・・どうあるべきか?などと。

夕刻五時、「高松蕎麦店」で保谷兄と合流して旅の旅程、JALのチケットを渡して歓談。旅の主目的は、保谷さんの退職慰労だから・・・。店主のミッチャンも加わり、二次会で「こま吉」へ。疲れているのか、ミッチャンが酩酊したので店まで送り、保谷兄いと「セイジュ」でカラオケ。ここでお仕舞いにした。明日は、帰郷だからと・・・。

 

と、まあ斯様な日々を過ごしたのである。一週間ははやいが、帰郷を野菜が待っている?。育苗中のトウモロコシがどうなっているか心配であるし、ソラマメやキヌサヤ類の手入れも欠かせない時期。加えて育っているタマネギの病気はどうか?など等。心配は尽きない。

 

 

 

 

 

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早春

2024-02-17 | 弁当

2/17(土)二月も半ば、例年ならばまだまだ厳しい寒さが続く日々であろうが、立春を過ぎたとはいえ今年の暖かさは何なんだ?と、言いたいくらいなのだ。されど、暖かいと楽だね!。

世間離れをした生活ながら時間だけは着実に過ぎていく。これでいいのか?そんなことがよぎりながらも、山里の暮らしは日々に疎し。只々、時をうっちゃりながら過ごしているのが現実。

そんな日々の現実は・・・、長閑な陽気に誘われるままに川辺を歩きフキノトウや菜花を採り食す。

                

本格的な春の訪れを前にした野菜作りの準備。昨年よりも一ヵ月も早く、ジャガイモの植え付けとトウモロコシの育苗を開始。今年のトウモロコシは、きたあかり・インカのめざめ・男爵・メークインに昨秋の自作イモのレッドムーンの五種です。

           

トウモロコシは、先ず200粒をポットの培養土で開始。昨年より三日ほど遅く発芽が始まりました。処が一昨夜、育苗箱に覆いをするのを忘れて、ネズミに種を相当数喰われてしまった。残念!、ネズミ捕りシートをしてあるが、これまでの成果は一匹だけと結果が悪いのだ。いい方法はないかな?。

 

明後日から暫く雨が続く予報だが、気温は高そうである。されど、天気が悪きゃ畑遊びはできぬ・・・。どう過ごすか?。五月の弘前への旅の計画でも練るか!。

 

 

 

 

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節分となりて・・・

2024-02-03 | 弁当

2/3(土)一月も終わりて、早や如月となり今日は節分。節分だけは忘れないのだが、なんといっても、今は亡き父母の結婚記念日と聞かされてきたせいであろう。早いもので、今年はその両親の七回忌と十三回忌を迎える。

節分、すなわち立春であるが、今日も朝から雲が重く垂れこめて肌寒い。この時期、肌寒く感じるのは暖かなことであろうが、なんと言っても立春だからね・・・。風立ちぬ、ならぬ春たちぬ季節と云いたいが?。

今朝、朝食が済む頃に向かいに暮らす独居の従姉、勝っちゃんが姿を見せた。朝飯の用意をしながら「近頃、体の具合が悪い。医者に行きたい」なんて聞いてないな。そんなことが浮かんでいたが・・・。なんと!、体の具合がよくないから医者に行きたいとのだった。これって、これもか、以心伝心?っていうのかな?。

「いいよ、送っていってやるよ」と、即答したが、当人は「忙しいのに悪いよ」と、意味不明な遠慮らしき言葉を言う。「忙しいわけがなかろう、暇だよ」と、町の医院まで送った。

帰宅してから、確定申告の資料をまとめてネットで申告を済ませたところに、帰ってきた勝っちゃんは「恵方巻を」土産に買ってきてくれたのだ・・・。この辺りでは、恵方巻を食すような習慣はなかったはずだが、商業主義にすっっかり毒されてしまったようだ。

更に、カフェをやっている姪のあゆみが、知人の店で作っていたからと、これもまた恵方巻を届けてくれた。今年はよっぽど好いことが起きるかもね!。然し、恵方に向かって巻きずし喰わえるような趣味はないな・・・。

 

立春らしき出来事と云えば「フキノトウ」を二度ばかり採取した。まだまだ蕾は小さいが、春の階を感じたくて河原の穴場を探したら、少しだけ採れたので天婦羅にして食した。勿論、従姉の勝っちゃんも招いたさ、昨夜のことだが。 

     

 

こんなことをしては、山里暮らしを楽しんでいます。それでも合間には、ミカン畑の果樹の剪定、と云うよりは伐採に近いけどーや、ボッチ焚火の焼き芋と、遊びには事欠きません。

 

             

 

 

 

 

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大寒

2024-01-23 | 弁当

1/23(火)昨日、一昨日と春のような気温で暖か!。それが今朝から一転して大寒む(おおさむ)の気温である。おまけに風まであるのだから・・・。

そんな一日、無為に過ごしたが・・・、相続関係についてネット上を彷徨った。従妹のところから相談を受けてのことだが、出来れば関わりたくない案件ながら致し方ない。何しろ田舎のこと故、二代三代前の名義登記が残っているばかりか、直近の家族のことまで霧の中。

もつれた糸を解きほぐすのは容易なことでない。浅慮、無見識な私には荷が重いが、頼まれた以上はできるだけの努力をするに如かずか・・・。

その点、我が家は妹と二人だけだったこともあり、相続問題はシンプル&スムーズであった。

人の我欲と云うのは捨てられないものだと実感するばかり、山里暮らしの素浪人の小生ですら例に漏れない。無欲に生きられる人の詰めの垢でも飲むしかないか?腹壊すかな!。兎角この世は生きづらいものだ。

相続について一言云えるとすれば、面倒がらずになるべく早く整理することだね!。仕事も同様じゃないか、面倒なことほど早く手をつける!。言うは易しなれど行うは難し、かな・・・。

 

閑話休題、土曜日の午後「大心劇場」にて古る~い映画を観た。賠償千恵子さん主演の「下町の太陽」、モノクロ映画です。昭和三十年代後半の東京の下町の風景に懐かしさを覚えた。観客を数えると十人であった。

       

私が上京したのは四十年代になってからであったが、最初の勤務地は江東区東陽町で、未だ高度成長前で三十年代の名残の風景が随所にあった。ついこの前のようにその光景は脳裏にある。

 

畑は春野菜の植え付けに向けた土起こしと耕しが中心で、他には小さなタマネギ畝の草取り、夕食用に白菜やレタス・大根の収穫などである。

        

庭の方と云えば、冬草が伸びてきたがチューリップが芽を出してきた。片隅に水仙が咲き誇っている。植込みの山茶花の花は終わったが、木瓜が少し咲いている。

              

今夜から冷え込みが厳しくなるとの予報。-3℃ぐらいになりそうなので水道管の破裂予防に元栓を閉めた。

今夜は、やけに身も心も寒く感じる山里です。

 

 

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冬の雨なれど・・・

2024-01-20 | 弁当

1/20(土)一昨日の夕から雨、雨がつづいたがさほどの降りではない。曇り空や薄日が差す時間もありながら愚図ついた時が流れている。

そんな天候などで外に出ての畑遊びもせず愚図愚図とすごすばかり。畑用の肥料を買いに行った帰り、何時もの「豆電球」さんに寄って店主とコーヒーを飲みながらの歓談。

              

晩飯のメニューを考えても食したいものが浮かばない。義務的に飯を喰うだけの生活であるが、自作の白菜で漬け物を漬けたりして遊ぶ!。

蜜柑畑の方は、取り敢えず文旦の収穫が済み玉を拭いて熟成のために保管した。皮が厚くていい文旦ではないが、これでもいいと食してくれる人に差し上げる。少なくても三人はいるのが救いだ。

一昨日は前からある小夏の樹を切りまくり、陽当たりが良くない栗の木の下になる柚子を一本だけ丸坊主にした、焚火をして切った枝を燃やしながら焼芋をする。我が冬の風物詩?。

                

来週は天気が快復するようだが寒くなりそうだ。柚子の剪定と、ジャガイモ用の畝作りをする予定だがどうなるか?。

今日はこれから甥の法事に行く従姉を送っていくが、十分もかからない。帰りにまたしても「豆電球」でコーヒーかな?。

 

斯様に無為に時間を過ごす、無職、無頼の山里暮らし也。

 

 

 

 

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