オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

強風と豪雨

2024-11-02 | 弁当

11/2(土)津川&花岡さんを一昨日、空港に送った帰り種苗店で「玉ネギ苗」を買って帰宅。150本の苗を夕刻に植え付けた。翌日は雨となり部屋で過ごす。

                    

今週を振り返れば、津川さんを迎えた翌日は予定通りに「土佐次郎鶏」を食すために安芸市の山奥?旧畑山村まで出掛けた。途中から道路沿いに清流が流れる狭い山道を「ゆっくりゆっくり」と言われながら向かった。

土佐次郎は小型の鶏、その鶏の各部を丁寧に炭火で焼き塩味で頂いた。各人の食後の感想は・・・、また行ってみたいの言葉は出なかった。そんな会話をしながらの帰路、岩崎弥太郎邸跡、野良時計と廻った。

翌日、隣村の「モネの庭」から、室戸岬の空海が修行したと云う洞窟、岬の山上の灯台から24番札所「最御崎寺」を案内した。

                   

客人が見えた時の定番、高知県東部の観光コースである。幸いなことに小雨があっただけでの四日間であった。が、その分、昨日・今日と雨。それも昨夜から今日にいたっては大雨の強風。昼には竜巻予報まで出たのだ。

午後四時前になり雨あがり、薄日と青空が見え始めて茜空が・・・。で、ミカン畑とお墓の様子を見に行く。橋の上から川を覗くと泥川の洪水。

                

一番気になっていた野菜畑に出てみると、なんとなんと去年から設えてあった棚が全て倒れ、植え付けてまもない苗が一方向に寝ていた。畝間は水浸しで夕闇が迫る時刻、私の復旧・復興の作業は天気が快復する明日からにした。

             

政府からの予備費か補正予算が出るといいのだが、今の政府では無理だな~、倒閣でもしなきゃ!。こんな与太話を聞いてくれる人が居ない夕食、収穫した野菜などにピーマン肉詰め、鮭・明太子に昨夜の残り物等を並べた。

                   

 過食になるなぁ~、ヤバイぜ!。

 

 

        

 

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帰郷

2024-10-29 | 弁当

10/28(月)先週末の土曜日の夕、予定通りに一週間にわたる東京滞在を終えて帰郷した。

夕刻の薄暗くなる直前の時刻に帰宅して真っ先にしたのは「野菜畑」の様子見である。ほぼ粗問題はなさそうだったが、植え付けたばかりの白菜が数本消えていた。育苗で十日ばかり前にポットに種を播いたばかりの豆類は発芽して植え付けができるまでになっていた。先ずは、一安心した次第。

部屋掃除をし、神仏にお供えをして田舎暮らしの再開である。ジュンちゃんから頂いた花瓶に花を入れた。この白い花瓶は、ブログに載せたペットボトルに生けた写真を見て哀れみ頂いたのである。貧乏オヤジだからねぇ~。

                   

 

東京では「ベッタラ市」や電電記念日、その前後と連日して勤め人をしていた時代の友人・知人との歓談・懇談が昼夜。帰郷前夜は家族が集まって「ハローインパーティ」とか称しての食事会。短い在京で時間はいくらあっても足りなく、年末の帰京で補うしかなかった。

 

帰郷した翌日の日曜日、畑に出るつもりでいたら西内君からの電話が・・・。在宅なら立ち寄りコーヒーでもとのこと。衆議院総選挙の当日で県会議員の彼は時間が取れるようになった様子。ならばと、野菜を収穫してお土産代わりにすることにした。

訪れた西内氏は独りかと思ったら、奥様と赤ちゃんを同伴していた。長かった選挙期間の応援で忙しく働いたであろうから家族サービスも兼ねた日曜日だったろう。

赤ちゃんがすっかり大きくなっていたのに驚き!。確か、三月の誕生で、五月に来てくれた時は首も未だ安定しないくらいの時だったのに、その成長ぶりに目を見張った次第。姪の店「いなかじかん」でお茶をしたが、それまでニコニコしていた赤ちゃんが、私がだっこをしたら泣き出してしまった(笑)。

                   

 

そして月曜日を迎えた午後。東京から津川&花岡さんを高知空港で迎えた。三泊四日の来高で、二人が見えたのは十年ぶりくらい?か。津川さんにしてみれば、最後の来訪と云うつもりであろう。

高知に来れば「カツオの叩き」が定番であろうと、空港からの帰路、魚屋に寄って購った。そして、我が家でのこの季節は鮎である。

鮎の塩焼きと開き、鮎飯を炊いての夕食でもてなしたが・・・。津川さんは酒を飲まなくなった、飲めなくなったのが正解か。あれほど飲んでいたのに、冷酒をグラス一杯程度しか飲まないのだからネ・・・。食事の方も軽くなっていた。

                    

早めのお開きとなり、部屋に引き上げた。

衆議院選挙後の動向をYOUTYUBで見ているうちに眠り、気が付けば今の時刻。火曜日の夜明け前である。今日は、昼ご飯を「土佐次郎鶏」を出している安芸市の山奥まで行く。花岡さんがネットで調べて予約していた。

美味い鶏だとの評判は聞いているが、私は行ったことがない。因みに、私がこれまで食した焼き鳥で一番旨いと思ったのは「名古屋コーチン」である。その美味さは頭の片隅に残っている。

余談だが、東京から土佐次郎を食べに遥々と二度も来ていたのが佐賀出身の松尾君だ。彼は、総務省の官僚だった時に、わざわざ来るほど美味しかったと言った。

さて、どれほどのものであろうか?。昼飯を摂らない日常だが、今日ばかりは致し方ない。焼き鳥のコースに小鉢の親子丼で六千円と云う土佐次郎鶏を喰うしかあるまい。

 

お二人の滞在期間、お天気が良いことを願うが・・・。予報は宜しくないのだ。

 

 

 

 

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帰郷前日

2024-10-25 | 弁当

10/25(金)一週間の東京滞在を終えて、明日は帰郷となる。東京で何をしていたかと云えば、朝弁当作りをしたら後は自由時間となり、昼酒から夕酒と友人・知人との歓談で一週間が終る。

今日は、正午に池袋でAD時代の上司である清田大兄、同僚の萩原氏と初めてお会いする研究系の先輩板垣さんとの懇談。 

夕には帰宅し、長女・長男一家が来宅して食事会、なんとハローインパーティーとのこと。中二・小三・三歳の孫たちを楽しませる企画であろうが、こっちは堪ったもんじゃないが、帰郷前夜でもあり忍・我慢さ・・・。

何時も日程調整をしてくれる通称不良治の高橋君が体調不良で酒が飲めないとのことで、今日は欠席。日頃の悪行が祟って飲めなくなったかと云いたいが、ちょつと心配である。

 

今朝は、今週一週間の弁当作りの締めくくり。気合を入れての弁当作りと云いたいが、そんなことは無いさ。何時も通りに淡々とありきたりの弁当である。牛&豚肉をメインにしている。

      

火曜日から今日までの弁当を掲載しますのご笑覧ください。同じようなものばかりとお笑いください。

             

 

            

 

それじゃ、来週の衆議院選挙結果などでお会いしましょう・・・!。

 

 

 

 

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弁当オヤジ復活

2024-10-21 | 弁当

10/21(月)先週末の金曜日、帰京のANA便は大幅に遅延し17時に人形町に着いたが、予約していた歯科の時間には間に合わなかった。高知空港から歯科へ連絡を入れていた。予約でいっぱいとのことで「若し予約時間に若干の遅れであれば行きますが・・・」と。30分も遅くなっていたので日を改めて予約を取ることになった次第。

保谷さんから電話が入り「中村さんが着いて高松に入った」と。三ヵ月ぶりの東京、今夜は「高松蕎麦店」からのスタートである。東京メトロ人形町駅を出て角を曲がれば庶民の味方「ちょっぷく」が在る。店先から、店を守っているヨッチャンに挨拶し、脳梗塞でリハビリ中の店主山ちゃんの様子を聞いてから数分の高松へと向かう。

「高松」を目前にし、明日から始まる「祭礼とベッタラ市」の用意も整った提灯の灯りに迎えられ写真を撮った。今回の上京の主目的は、このベッタラ市のお祭りなのだから。翌日の賑わいの様子も併せて紹介する。

                

この祭礼は毎年10月19・20日と決まっている。曜日が変わろうが雨が降ろうが台風が来ようが日程は変わらない。会社がこの地に在った頃は屋台を出して祭りに参加していたが、それから六年になるか・・・。

 

高松では既にお二人が始めていた、勿論お酒である。久々、邂逅(五月の津軽旅行以来)を祝しての乾杯をし、近況などを聞く。中村さんは今日佐賀から来て、明日には帰るとのこと。高松ビルの五階に東京事務所があるので打ち合わせを済ませたとのこと。体調は宜しくないが、11月にはトルコに十日間の旅を予定と云う。

保谷さんは、四月にリタイアし悠々自適の日々を楽しんでいる。11月11日~15日まで来高するので「畑の芋掘りと柚子の収穫でも体験したら」と言ってある。

「高松」はいつも通りの繁盛ぶり、頃合いに席を譲って二次会、三次会と流れて結局六軒の店を廻り、帰宅は零時半であった。当然二日酔いで、翌日からのベッタラ市でのアルコール摂取量は控えめになった。

ベッタラ市初日は碓氷老人が、老人会の老婦人を同伴、青木君が滋賀から参戦。沼田君や油屋、原口と賑やかな面々が揃い、最後は「セイジュ」でカラオケとなったが、九時半に失礼した。

二日目の昨日、二時に岸本大兄と駅で待ち合わせ、祭りの屋台を一巡してから駅近くの仙台オデンとやらの店で歓談。喜夫をやリエ・ユリカからメールや電話が入り、大兄と別れた四時に万葉軒なる中華風の店に入り懇談。

三人ともナチュラル社時代のメンバーである。途中、学生時代からの腐れ縁、細川が椙の森神社に着いたの電話。すっかり忘れていたが、ベッタラ市で会おうということになっていたのだ。店に呼んで、一緒に飲むことにした。彼は郷里の富山に行ってきたとのことで、私が東京を直ぐに離れると思って今日帰ってきたと云うが?。

ユリもリエも、酒場で飲む機会などないとワイワイガヤガヤと騒がしいことこの上なし。三時間程大さわぎしてお開きにした。

 

そして月曜日の今朝を迎え、弁当作りとなった次第。久々の弁当ながら手の込んだものはやらない。肉を焼き、卵焼きを作り、蒲鉾や竹輪を切っただけのことである。東京を離れる今週いっぱい弁当作りをします。

                 

今日の予定は、午後一時上野駅前で岩瀬さん(元ローカーボマスター)、保谷さん、沼田君の四人で御徒町の千ベロで昼酒、夕方に人形町でサラリーマン時代の部下?と歓談。明日は正午から、横須賀三春町の「天丸」(旧埼玉家)で 研究所勤務時代の皆さんと埼玉家会。帰りにできれば、馬車道で移転オープンした「メグスタ」に顔出しできればと思うが・・・。

そして23日は電信電話記念日となり・・・、交流会なる集いに参加する予定です。24日だけはフリーになっているので岡崎氏とスケジュールが合えば会いたいのだが。歯科にも行きたいのだが?。

 

 

 

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帰京前日

2024-10-17 | 弁当

10/17(木)前回の投稿日が9月4日になっていたことを今気が付いて訂正した。正しくは10月4日だったのだ。

そんなことで二週間ぶりの投稿となる今日は木曜日、帰京する前日である。明日の夕に帰京し、先ずは人形町の歯科に行く。それから「高松」にて、保谷さんや中村さんとの懇談で一週間にわたる東京での酒宴の口火を切る。

10月19~20日と人形町ベッタラ市があり、連日の参戦でナチュラル時代のメンバーや、友人達との歓談。ベッタラ市には長いあだ会社として屋台を出していたこともあり感慨深い。この祭りを皮切りに、電電記念日のOB交流会や相前後して友人・知人との歓談が昼夜予定されいる。

最近、昼飲みの方が多くなってきたのは、現役を退いたメンバーが中心となった所以。困るのは昼夜のWヘッダーもままあり、昼の部から夜の部までの時間調整、或いは延々と続くための酩酊である。東京滞在を一週間と限定しているタイトなスケジュール故に致し方ないが・・・。

 

一週間の不在で心配するのはなんといっても野菜のことである。育苗した苗を植え替えたばかりだし、育苗を始めたばかりの種もあるので、水遣りや害虫被害が心配されるのだ。山里暮らしのお遊びにすぎぬ野菜作りだが・・・。

            

夏野菜はほぼ終わり、白茄子としし唐類の収穫があるのみ。中国菜のタアサイは間引きをしたのでこれから急激に成長するはず?。白菜・レタス・ブロッコリは帰京を前に本植えしたばかり。タマネギは育苗中、キヌサヤの類はポットに種を播いたばかり。

帰郷したらサツマイモ・里いも・生姜の順で収穫かな、出来栄えはいずれも期待できないが、それなりには採れるはずだ。

 

安田川の鮎漁は今月十五日、一昨日に終わった。妹が最後の鮎だからと届けてくれた。亭主の広勝は目標の千匹を達成したとのこと。鮎がいない、不漁と云いながらも例年通り目標をクリアできたとは敬服である。こっちは頂いて喰うばかりの身ながら竿仕舞いが近づくと「どれだけいった」と進捗を訊くのである。

          

             橋上から広勝のシャクリ漁を撮った写真です。

山里の秋も深まりつつあるが、それでも日中の畑作業は汗びっしょりになる。これも運動と思って作業をするが捗らないねぇ~。ノロノロぼちぼちと体を動かし、色だけは農夫のように焼けています。

何度か投稿していると思うが、今年は柚子も、ほかの蜜柑も不作。昨年はバケツに三杯とった栗は30~40個しかなく、柿の実は一つもなっていない。全てのフルーツが駄目な一年と云えます。せめて野菜くらいは綺麗に育てたいが、これも思うにまかせぬ出来栄え。

そんなことながら、たまにやミカン畑で焚火と焼き芋、姪の店「いなかじかん」や「豆電球」さんでコーヒータイムを楽しむ余裕だけは持っています。

 

 

では、またの日に・・・・。

 

 

 

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今週の山里

2024-10-04 | 弁当

10/4(金)一昨日の夜から雨となり、昨日今日も雨の一日だが雨の合間と云う時間帯もあったが・・・、畑作業はできず少々の収穫をしただけである。明日から3~4日も雨マークの予報となっている。

 

雨の日はやる事がない、というより何もしたくない。精々、ボートレース遊びで散財するのが関の山さ!。懲りないねぇ~、バカは死ななきゃ治らないとはよく言ったもので、けだし名言である。

さて、今週の山里は・・・話すほどのことはないが、振り返ると日曜日の昼、佐賀の大野氏が来高した。安芸駅で迎え、遅くまで歓談してから一泊で帰った。大した用向きではないが、氏の事業である障がい者就職支援スクールの開始にあたり、頼まれて僅かな出資をした。高松で母校のOB総会があり、ついでにその極僅かな配当を持ってきてくれたのである。

大野氏は十年前、会員になっている地球市民の会の前事務局長兼理事で、現在は事業の傍ら副理事長でもある。そんなことで、度々通った佐賀のことや、おりしも自民党総裁選の後であったので、佐賀選出の議員のことや政治のことなどで、その日は五時頃から零時近くまで歓談した。そして翌朝、大野氏を安田駅で見送ったのである。

月曜日~水曜日までは畑遊び。里芋の葉を喰っている「夜盗虫」を捕殺したり、植えたばかりの苗の手入れ(虫が付くのだ)や、ゴーヤにしし唐類、ボロボロになってきた茄子の収穫をしては、野菜の嫁入り先探しであった。

川向こうのミカン畑の様子を見に橋のたもとまで行くと、はるか川の向こうに彼岸花の一群が見えた。うちの畑であろうと目星がついた。畑に着くと、見事なばかりに咲き誇る彼岸花が群生していた。

                

11月に入ると植え付ける、玉ネギや葉物用の畝作りをしなくてはならないが、予定している畝は収穫時期がきていないサツマイモが虫食い葉になりながら頑張っている。土中の様子は如何にと試し堀した。サツマイモは五種類植え付けたが、掘ったのは一番先(五月下旬)に植えた「土佐紅金時」と云うやつ。

イモはまだ小さいながらも程よく付いていた。芋も一月ほど熟成させた方が甘くなるようだが、蒸かしと天婦羅にして食した。まだ若い味だったねぇ~。月末には全て掘らないと次の野菜が植えれない。量は要らない、邪魔だから。綺麗で美味しいのが少しあれば十分だが?、これが虫喰いになったり割れたりするんだ・・・。

                

路地では季節外れとなったが、遅れたスイカが実っていたので収穫した。甘未不足と青臭い匂いがした。未だ、二っ残っているが美味くないだろうね。

そして、雨となった昨日はボートレースで財布を軽くし、今日は安芸市まで買い物に出掛けた。野菜種育苗用の土、神仏に供えようと当地の特産(今は全国的に広がった)「新高梨」を買いに・・・。

左が高知ブランドの針木梨(針木は地名です)、右は比べると小さいが十分大きい福岡産の新高梨。味比べをしようと買ってみた。値段は、左は2千円、右は7百円なのでどれだけ味が違うかと思い。今年は梨も不作で、出来が良くないとのことながら・・・。

 

雨で閑な一日と云うのも困りもの!。昨日、庭からバラの花を採りペットボトルに差して無聊を囲っています。花とオジサン?ならぬ、木瓜オヤジ‼。

             

                   

 

 

 

 

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秋の気配が・・・

2024-09-28 | 弁当

9/28(土)夜明け前、四時に肌寒くて目覚める。YUOTUBEで自民党の総裁選の様子など見ているうちに何時の間にか眠っていたようだ。窓は閉めてあったが、ここ数日の間に深夜から明け方にかけて冷涼感が増してきた。

とは云いながら、日中は暑い!。畑に出るのが嫌になるくらい暑くなるのだ。そんなことで、昨日はほぼ遊んですごした。その前日に畝作りで汗をたっぷりと掻いた反動のようなものだ。

党員&党友でもあるので総裁選は気になっていたが、開票が始まる時刻になってから安芸市まで有機肥料や食材の買い出しに出掛けた次第。

先ずは一月ぶりに散髪(カットのみ)を済ませーこの安さが売りの理髪店は早いんだ、こっちの薄毛の所為もあるが十分もあれば終わるー、先客は一人だけだったのですぐに済んだ。ホームセンタで肥料を買い、すぐ隣のスーパーで不足していた食材と、JINを買った。暫く飲んでいないジンの炭酸割を飲む気になったのだ。

帰路にお気に入りの「メリーガーデン」なる、花やフルーツ(小夏・マンゴー・ライチなど)を生産販売するガーデンハウスに久々に立ち寄った。今はフルーツのシーズンではないが、カフェレストランがあるのでコーヒー&軽食でもと・・・。

駐車場に入ると、その半分以上がパンジーの育苗スペースになっていた。顔なじみのスタッフが暑い中をパンジーのポットの手入れに余念がなかった。このパンジーは11月頃から売り出しが始まるか?。毎年20ポットほど買って花壇に植える。

カフェのテラスで、アイスコーヒー&ハチミツトースト(アイスクリームが載っている)を口にしながら、暫し暑い中、庭を眺めて過ごすひと時。

              

車内温度が上がった車に戻り、ラジオを入れてニュースで総裁選の様子を聴きながら帰路へと就く。高市&石破両候補の決着がつきそうなので途中で車を停めて聴くが・・・、私が応援している候補は・・・残念な結果。日本経済の先行きが心配されるが、田舎暮らしのオヤジにとっては・・・、されど株価の懸念が・・・。

昨日は、と云う一日で夕方に野菜に水遣りをし、夕食用に野菜を少しだけ収穫しただけであった。

夕食に従姉の勝子婆さんが来るので、収穫したピーマンで肉詰め、買ってきた大根や牛筋肉の煮物、アジの開き焼きを。食べたいと言われたソーメンを用意したが、私は後輩の勝田君から届いたばかりの新米(久万高原米)を炊いた。美味しいんで二杯も食したぜ!。

九月も間もなく終わり暦を捲ることになるが、日中のこの暑さは何時までか?。もう遥か昔(半世紀かも)、ということになるが、九月の終わりまじかの土・日で伊豆の大瀬崎(おせざき)まで海水浴に行ったことがる。

あの夏も暑かった。最後の独身寮での夏、後輩の戎居君の運転で東名沼津インターから三島、伊豆半島へと。三島駅で、名古屋から日帰りでやって来たお嬢さんと合流したように記憶するが?。

そんな夏もあったと、今年の暑さで甦るのである。

とは云いながらも、秋の予兆である彼岸花はミカン畑で満開であった。秋採れの茗荷は、収穫は激減しているが少しだけ採れた。

               

味覚の秋と云うけれど、ミカンも柿も栗も全くダメな秋である。来年に期待するか?、命が長らへていればこそだが・・・。

野菜の方は、胡瓜は全滅したが白茄子はほぼ元気。ゴーヤやジャンボシシトウなどは採れすぎ。遅くに植え付けたサツマイモの試し堀をしたが、イモの付きは良さそうだが葉が虫食いで悲惨なことになっている。

              

野菜作り二年生にとっては厳し現実、暑い夏であるが、足早に秋から晩秋を迎えるであろう。されど、晩秋から翌春に向けた苗作りも、種蒔きもスタートしている。タマネギ・ほうれん草・ターサイ・ノラボウ菜などと。

              

畑作業に終わりなし・・・。農家の皆さんのご苦労に思いが馳せる、実感する日々であります。

 

そうだ!、明日は佐賀の大野氏(ユニカレ佐賀社長・地球市民の会副理事長)が見えることになっている。モクズカニでも食べてもらうか?。

 

 

 

 

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お彼岸となりて・・・

2024-09-20 | 弁当

9/20(金)昨日、19日は彼岸の入り。前日にお墓の掃除とシキビ&花を供えた。その一週間ほど前に隣接するミカン畑の草刈りをしたが、その時には姿を見ることがなかった彼岸花が咲き始めていた。

               

今年は殊の外猛暑がつづくが、彼岸花(曼殊沙華、こちらではシレイと呼んでいた)を見ると季節が移ろいつつあると実感する。

窓を開けた深夜から明け方にかけては、涼しいと云うよりは肌寒く感じるようになっている。

17日は十五夜なので、従姉のかっちゃんを誘って庭で月見をしたのだが・・・。この山あいの里から見る月は時間が遅くなる。食事もアルコールも進みl草臥れた頃、友人達から届く月だよりから一時間以上も遅れた午後七時半過ぎ、漸く東の山上が明るくなり始め、やがて煌々と輝く満月が姿を見せてくれた。

               

美しいと云う他、表現ができない。青く明るく輝くさまは例えようのない美しさで、その明るさで夜空は白々と広がり満天の星を煌めかせていた。

こうしていると、その例えようもない美しい光景が今も脳裏に蘇る。

斯様にのんびりと過ごす日々ながら、畑のサツマイモは虫食いで葉っぱがボロボロになりつつある。四番目に植えたキュウリは「ウリハムシ」に食害されてこっちもボロボロ。八月になって植えた白茄子は元気で収穫が始まりました。

                

二十本ばかり植えてあったズッキーニは撤去して二ヶ月近くなるが、一本だけ丸ズッキーニを実験的に残しておいたが、これがウリハムシの襲撃を受けながらも意外にも元気で、茎は3mほど伸びてホースの様ながら受粉をしてやったら実が採れたのだ。これには驚きと発見でした。

   

              ズッキーニの葉を齧る「ウリハムシ」

 

先日の深夜、何気に襖を見ると大きな蜘蛛が這っていた。大蜘蛛が居るのは承知していたが、ご主人様のところに来るとは・・・。暫くして、今度は天井近くの壁に別の大きな蜘蛛が出現。若干体型が違うようなので雌雄であったか。十分ばかり見ていたら隣の部屋に行ってしまった。百足でなくてよかったよ!、百足なら瞬殺するしかない。

    

 

そんなことや、こんなことで日々が過ぎゆく山里です。

では、また。

 

 

              

 

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台風去りて・・・

2024-09-03 | 弁当

9/3(火)土曜日に台風が去りて、ネズミ一匹も出ずの静けさの朝を迎えることが出来てひと安心。それでも、深夜には風雨が一時激しくなり、そして明け方には西の空が薄明るくなっていた。

早朝から気になっていた野菜の様子を見るために畑に出たが、何の被害もなくて安心した。支柱を補強したり、不織布を掛けたりして一応は備えてあったが!。

                

台風一過から、また暑くなり畑に出るのが億劫になっている。オクラやジャンボシシトウなど収穫をしなくてはいけないので、一・二時間だけになってしまった。

今日は薄雲が広がったので三時頃から畑に出て白茄子の手入れなどし、それから池の覆いにした葦簀を支える竹棒が折れたので河原に竹を切りにいった。その頃から雲が広がりやがて霧雨になった。手ごろな竹を切ってミカン畑に戻ったら雨が本格的な降りになってきたのだ。

庭まで戻った時には相当な雨になり雷まで鳴り出してきた。それでも何とか竹を入れ替えようと思ってパラソルの下で様子見をしていたら豪雨になった!。流石に諦めてずぶ濡れになってベランダに帰った次第。

                 

昨日も夕方に小雨があり、今朝も雨がふってきた。時々に降る前は干天の慈雨と思うが、降りすぎは如何なものか?。秋の長雨と云うから、その時期かも・・・・。

 

そろそろ秋播きの種を育苗しなければならない頃だ。何時までもノンビリしていないで勤勉?にならなくてはなるまい。老いやすく野菜なり難し、と云うではないか!。思いはすれど、体は動かざること山の如し!。

 

では、また・・・。

 

 

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命日

2024-08-30 | 弁当

8/30(金)今日は、平成30年に亡くなった母の命日。先週土曜日に亡父の十三回忌と併せて七回忌を済ませたところである。

そんな今日は、仏前に供える膳を作り奉った。妹に電話してお参りに来るように誘った。夫妻で来てくれた次第。

台風襲来で豪雨&強風の予報だが、雨の間をぬって畑にでてみた。成長して大きく伸びている甘唐辛子に支柱を立てて倒伏防止を施し、強風に揺られて枝折れを防止するために茄子を収穫していると雨が降り出した。すっかり濡れてしまった。

後は部屋に垂れ込めてYUOTUBEを見て時間をつぶす。夕刻近くなり一時雨が止んだので川の様子を覗きに橋の上まで・・・。泥色の川になっているが、心配するほどの増水でなかった。橋桁までは十分に余裕がある。

夕餉を済ませてから台風情報をチェックすると、四国添いの瀬戸内海を進んでいる。このままだと朝方の予報と違って直撃はなさそうだ!。少し安心ながら、直撃される方向の人には気の毒である・・・。他人の難儀は蜜の味ではなかろう。難儀は皆避けたいのだから・・・。

 こんな些事を書いているが、外で強風が巻く音と、激しくベランダの屋根を叩く雨音が断続している。台風一過を座して待つばかりの夜である。

 

 

 

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