8/5(土)7月25日に新型コロナが発症して微熱が、翌日の検診でコロナと診断された。が、この日から既に熱も下がりどうってことはなかった。
日課の野菜畑の水遣りは継続するも少しけだるさがあり、体に力が入らないようであった。それでも一日3時間ばかりは畑遊びをしていた。
そんな日々の中、30日の午後に義母が亡くなったと連絡が入る。十日ほど前から危ないとのことであったので驚きはしないが、私のコロナ謹慎明けに合わせてタイミングよく葬儀かと・・・。
帰京スケジュールを翌日に決めることにし、帰郷はいつになるかと飛行機便をチェックすると・・・。なんと、東京に一週間もいると飛行機が取れないと判明した。夏季の超繁忙期に突入するのだ。困ったな~・・・。
葬儀日程が3日午後となり、取り敢えず帰京は1日の午後便を押さえた。ここで問題が発生!。なんと、今度は喪主である家人がコロナに罹患したと連絡が・・・。
私が罹る一週間前に義弟が罹り、義妹は我が家に避難していたのだ。続くものだな・・・・。幸いにも葬儀の段取りは全て済んだとのことで、私が格別に出っ張ることはなさそうであった。ただ、自宅で過ごせなくなり長女の家に行くことになった次第。
そんなことで、東京での滞在を短くし、三日の葬儀が終り次第この日の最終便で帰郷することにした。
葬儀は家族(三姉妹にその家族)、二十数人で雪谷斎場にてしめやかに行われた。その後、桐ケ谷斎場にて荼毘に付された。火葬を待つ間、義妹を相手に「施設に入ると早いな・・・」そんなことを話しながら、ビールを飲んでいた。
一日の15:55分、高知空港発便は、羽田の悪天候の影響で出発が三時間も遅れた。三日の最終便19時発は、満席ながらも定刻に離陸した。
昨日は帰郷後の野菜収穫、前日から雨が降りだしており水遣りの必要がなくなったのは幸いである。台風の影響であろが、向こう一週間は雨の予報が続く・・・。
それにして慌ただしい東京滞在であった。帰郷してからの朝のお供えに、義母の安らかな眠りを祈る言葉が加わった。