山田五十鈴さんのご冥福をお祈り致します。
私は70歳を過ぎた老人ですが、学生時代は、当時まだ中学校の頃、
同窓の校友たちが、定期券に入れて持ってたプロマイドの写真は、
原節子:岸恵子:高峯秀子、当時、ひばり:いずみ:ちえみ等、
東映・日活の俳優、裕次郎の慎太郎とエンタツ:アチャコ:ロッパの
時代に、山田五十鈴さんの娘さんが、1952年東映に入社し、
嵯峨美智子の芸名で女優デビューした、当時は、嵯峨美智子の
フアンでもあった。
母・五十鈴譲りの妖艶な色気と演技力で人気を得、1956年に松竹に
移籍され多くのフアンもいたが、嵯峨さんの波乱の役者人生は、
1992年滞在先のタイバンコックで、若くして57歳で亡くなられた。
この若くして亡くなった、娘さんの事は芸能界でも母、五十鈴さんから
あまり聞く事はなかったと言う、娘を早くして亡くした、その母親、
山田五十鈴さんは、大正6年、新派俳優の山田九州男(本名・大五郎)
さんの長女として生まれた。
父親が座長で、母親律は大阪北新地の売れっ子芸者という家庭環境も
あり、5歳の時から、常盤津、長唄、清 元、踊りの稽古に通い始め、
10歳で名取になった。昭和5年13歳で女優として日活に入社、
渡辺邦男監督の映画「剣を越えて」で大河内伝次郎の相手役デビュー、
片岡千恵蔵プロの作品にも出演し、日活時代劇でも 愛称“ベル”で
トップ女優に、昭和9年、第一映画に移籍し、トーキー映画「新納鶴千代」
で阪東妻三郎と共演。その後、新興キネマ、東宝と映画会社を移った。
11年、溝口健二監督の「浪華(なにわ)悲歌(エレジー)」に主演
一躍名を挙げ、17年、長谷川一夫さんとともに新演伎座を結成し、
東京、大阪での公演や軍の慰問にも参加。戦後、27年に劇団民芸の
俳優だった、加藤嘉さんと現代俳優協会を設立、左翼的な映画、
芝居にも出演した。
31~32年の成瀬巳喜男監督「流れる」、黒澤明監督「蜘蛛巣城」、
小津安二郎監督「東京暮色」などで日本映画史に残る名演をみせた。
「祇園の姉妹」に主演、一躍トップ女優となり、以来、250本以上に出演。
37年、東宝演劇部と専属契約し、 映画・舞台で幅広く活躍し、舞台
女優の道、演劇で活躍され晩年には、3大女優と言われ「杉村春子:森光子:
山田五十鈴」さん達、並外れた役者として、五十鈴さんが女優として
「初めて文化勲章」を受章された。
その偉大な、戦前:戦後の映画や舞台、テレビで活躍されたし山田五十鈴
(本名・山田美津)さんが9日、多臓器不全の為、女優の突然の死去の
訃報に、多くのファンの悲しみは計り知れない。
ただ、愛称「ベル さん」の、ご冥福を祈るばかりだ。
私は70歳を過ぎた老人ですが、学生時代は、当時まだ中学校の頃、
同窓の校友たちが、定期券に入れて持ってたプロマイドの写真は、
原節子:岸恵子:高峯秀子、当時、ひばり:いずみ:ちえみ等、
東映・日活の俳優、裕次郎の慎太郎とエンタツ:アチャコ:ロッパの
時代に、山田五十鈴さんの娘さんが、1952年東映に入社し、
嵯峨美智子の芸名で女優デビューした、当時は、嵯峨美智子の
フアンでもあった。
母・五十鈴譲りの妖艶な色気と演技力で人気を得、1956年に松竹に
移籍され多くのフアンもいたが、嵯峨さんの波乱の役者人生は、
1992年滞在先のタイバンコックで、若くして57歳で亡くなられた。
この若くして亡くなった、娘さんの事は芸能界でも母、五十鈴さんから
あまり聞く事はなかったと言う、娘を早くして亡くした、その母親、
山田五十鈴さんは、大正6年、新派俳優の山田九州男(本名・大五郎)
さんの長女として生まれた。
父親が座長で、母親律は大阪北新地の売れっ子芸者という家庭環境も
あり、5歳の時から、常盤津、長唄、清 元、踊りの稽古に通い始め、
10歳で名取になった。昭和5年13歳で女優として日活に入社、
渡辺邦男監督の映画「剣を越えて」で大河内伝次郎の相手役デビュー、
片岡千恵蔵プロの作品にも出演し、日活時代劇でも 愛称“ベル”で
トップ女優に、昭和9年、第一映画に移籍し、トーキー映画「新納鶴千代」
で阪東妻三郎と共演。その後、新興キネマ、東宝と映画会社を移った。
11年、溝口健二監督の「浪華(なにわ)悲歌(エレジー)」に主演
一躍名を挙げ、17年、長谷川一夫さんとともに新演伎座を結成し、
東京、大阪での公演や軍の慰問にも参加。戦後、27年に劇団民芸の
俳優だった、加藤嘉さんと現代俳優協会を設立、左翼的な映画、
芝居にも出演した。
31~32年の成瀬巳喜男監督「流れる」、黒澤明監督「蜘蛛巣城」、
小津安二郎監督「東京暮色」などで日本映画史に残る名演をみせた。
「祇園の姉妹」に主演、一躍トップ女優となり、以来、250本以上に出演。
37年、東宝演劇部と専属契約し、 映画・舞台で幅広く活躍し、舞台
女優の道、演劇で活躍され晩年には、3大女優と言われ「杉村春子:森光子:
山田五十鈴」さん達、並外れた役者として、五十鈴さんが女優として
「初めて文化勲章」を受章された。
その偉大な、戦前:戦後の映画や舞台、テレビで活躍されたし山田五十鈴
(本名・山田美津)さんが9日、多臓器不全の為、女優の突然の死去の
訃報に、多くのファンの悲しみは計り知れない。
ただ、愛称「ベル さん」の、ご冥福を祈るばかりだ。