男子プロゴルフツアー
日本シリーズJTカップ
東京よみうりCC,7023㍎、パー7
最終戦
最終戦、最終日、最終組、最終ホール、ドラマは奇跡的チップイン
最終組での勝負は何と16度目、優勝を狙う優作に、3打差で迫る山下和宏:谷原秀人呉、
そして6打差で追って来る外国勢、呉 阿順:李 京勲、誰が相手か?
ツアー初優勝、宮里優作おめでとう。
3打差で優勝を前に向かった1番から悪夢のボギーで始まった。
同組で一所に回る宮里に、3打差でスタートした山下和宏:谷原秀人でなく、
1組先でプレーをする6打差で優勝を狙う者が居た、バックナインの16番で呉 阿順に、
1打差まで迫られた宮里だったが、17番ロングホールで、呉阿順が痛恨のボギーとし
2打差に変わった。
呉、痛恨のボギー:
そして宮里自らが迎えた17番のロングホールで、バーディーを奪い取って、
2位の呉阿順(中国)に、3打リードして迎えた最終18番パー3。
優作17番を見る:
楽に勝てるこの場面で、優勝経験のない宮里が迎えた大舞台で、アノデナリンを
抑える事の出来ないまま、4番アイアンで放った第1打は、グリーン左のラフへ。
一瞬「驚いた観衆の溜息」、
宮里優作、1番でのシーンが頭を遮った瞬間に、放った第2打をトップさせてグリーン
オーバーで、苦しい状況に追い込まれ、トリプルボギーでのプレーオフ突入かと
思われた時、淡泊ならまだしも考え過ぎていたようだ。そんな時、永久シード
選手の青木功氏の、言葉のアドバイス「どういうショットを打つかではなく、
勝ったか負けたかが大事なんだよ…というあの言葉で。
この場面に観衆がざわめいた。グリーン脇で見守る藍はむろん、家族全員は身を
硬くした。
誰が予想できただろうか、想像を絶するドラマが待っていた。
ピンまで10ヤードの右ラフから。意を決めてサンドウエッジを振り切るとフワリと
上がったボールはグリーンを転がり、カップに吸い込まれた。
指摘されていた詰めの甘さを克服したように、勝負に集中した結果、勝負に勝った。
だからこそ18番の一打は劇的だった。
奇跡的なチップインパーを優作が、妹の藍を始め両親、妻、子供ら愛する家族に
見守られる前で決めた、悲願の初優勝は大歓声に包まれ、つかんだ優勝の味を
かみしめて、膝を落として泣き崩れた。
首位から出た宮里優作は4バーディー、5ボギーの71と苦しみながら、通算13アンダー
で2位(呉阿順)に、3打差をつけ逃げ切り、ツアー参戦11年目の、50回大会記念に
ふさわしい感動のフィナーレを飾った。
最終日・最終組は過去15回。そのうち3回、2位に泣いた。アマ時代も含めて
通算6回、プロの舞台で2位に甘んじたが。
「やっと勝てました。これが腰を抜かすというものなのか、と分かりましたと。
今季、ここまでの獲得賞金(約3869万円)を上回る優勝賞金4000万円を手に入れた。
賞金ランクは自己最高の07年14位を大幅に上回る7位に躍進。
「これから2勝、3勝と積み重ね、本当に強いゴルファーになりたい」と言い切った。
第50代日本シリーズ王者となった優作は、この初優勝で、さらなる飛躍を見せるだろう。
また一つ、来季のゴルフ界に、楽しみが増えたようだ。
遅咲きの花、
宮里 優作、1980年6月19日、沖縄・東村生まれ33歳。レッスンプロの父の優さんの
影響で3歳からゴルフを始め、大阪桐蔭高、東北福祉大時代に日本ジュニア、日本アマ、
日本オープンローアマ、日本学生とアマのメジャータイトルを総なめ。
2002年12月にプロ転向し、2003年からツアー参戦。170センチ、70キロ。
ツアー初参戦から初優勝に要した年数を優作は11年を要して達成。
やっぱり家族の中でも、一番喜んだのは藍ちゃんかな、本当におめでとう。