エリコ陥落の現代的意味
第1回
宝の民とは
昔のイスラエル人の歴史は、現代の私たちの信仰の歩みを象徴しています。昔の人々の生き方は、終わりの時代に住む私たちの教訓として与えられているとパウロは述べています。「これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである」(1コリント10:11)。
実際に旧約聖書は、私たちの信仰生活にたくさんの教訓を与えているんですね。旧約聖書は旧約時代の人々の生き方を通して、彼らは亡くなりましたけれども、多くの事を私たちに教えているんです。古代のイスラエル人の歩みは、終わりの時代に生きる私たちにどれほど大切な教訓を与えているか分からないですね。この今の、霊的イスラエルにとってとても大切なことを教えています。
現代の霊的イスラエルにも同じような事が繰り返されて、終わりの時代、神様の残りの民に、私たちの人生に、終わりの時代の私たちの生き方に、とても重要な意味を持っています。過去の歴史が私たちを通して繰り返される、ということが聖書に書いてありますね。私たちが、霊的イスラエルである私たちが、経験しなければならない事が古代イスラエルの歴史の中にあるんです。
ヨシュア記の6章、今日はヨシュア記に書かれている物語から、私たちの教会の歩き方、私たちの経験について、私たちのすべきことについて学びます。ここはたくさんの教えや光が与えられているんですね。ヨシュア記6章の1節から7節、ここにはイスラエルの人々がカナンに入る前に、最も堅固なエリコ城、エリコを攻め落とすことが書いてあるんです。
「さてエリコは、イスラエルの人々のゆえに、かたく閉ざして、出入りするものがなかった」(ヨシュア6:1)。今イスラエルの人々が、奇跡を通してヨルダン川を渡ってやってきたんです。それを聞いてエリコの人々は、とても恐れおののいたんですね。もういったいこれから何が起こるんだろうと、恐れおののいて、もう固く警備をして出入りしなくなったのです。
「 主はヨシュアに言われた、『見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている』」。(6:2)