過越しの祭りの意味
エレミヤ書4章にこのようにあります。神様は「自分の心の前の皮を取り去れ」(4:4)と言われました。あなた方は心に割礼を受けなさいと書いてあるんですね。私たちは偶像礼拝や世俗やイエス様に反する、そういったもの全部を切り取る必要があるんです。これが改革であり、切り取る作業、これが必要です。神様の働きが行われるためには、まず私たちの心に割礼を受ける、切り取る作業、清める働きが必要でした。
割礼とは、心の割礼、罪から分離することを意味しているのです。皆さん、この割礼を受けなければ信仰を持つことができないんです。
敵が待ち受けているのに、敵が目の前にいるのに割礼をするならどうなるでしょう。もしそれをしたら、一瞬にしてイスラエルの人は亡ぼされてしまうような、最も弱められるような経験なのです。もし心から神様を信頼していないなら、敵を前にして割礼を受けることなど出来ませんでした。ですから現代の私たちも、まず私たちのうちにそういった経験が必要なのです。後の雨を受ける前に、私たちが正しい神様の教え、真理を悟り、真理によって切り取られていく、こういう経験を必要としているんです。
それから、ヨシュア記5章10節を見ますと、「イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕暮、エリコの平野で過越の祭を行った」(ヨシュア記5:10)とあります。私たちが心の割礼を受け、本当の悔い改めと信仰の改革によって義とされる、その心の経験がまず必要です。その次には過越しの祭を受ける必要があります。過越しの祭とは何でしょうか?イエス様の血によって清められる、イエス様がこの地上で十字架にかかって死んで下さった時の、流された血の恵みによって清められる経験にあずかる必要があるのです。
過越しの祭とはどういうものでしたか?出エジプト記にありますね。それはエジプトで起きた最後の災害に自分たちが巻き込まれないように、門の前に血を塗ることでしたね。神様はこのエリコの城壁を崩そうとされる時に、エリコに最後の神様の裁きが下される前に、イスラエルを救うためにこの過越しの祭りを行われたのです。彼らは過ぎ越しの祭を通して、神様の裁きの働きから守られる必要があったのです。ですからイスラエルは皆、過越しの祭を行ったんです。もしこの経験にあずからないなら、エリコの城壁が攻め落とされる時に、イスラエルの人も共に滅んでしまったことでしょう。ですから過ぎ越しの祭を通して、イエス様の血によって、災害から守られる必要があったんです。
敵を滅ぼす時に、この過越しの祭にあずからなかった人々は、滅ぼされる危険があったんですね。それで神様は、ここでまず心に割礼を受けさせて、次に過越しの祭、イエス様の血によって清められ、神様の裁きから免れるようにされたんですね。心に割礼を受けた人、そして過越しの祭の血によって神様から認められた人だけが、神様の最後の裁きから守られるのです。