多くの人々が、離婚の根本的な原因として性格の違いを持ち出しますが、それは一部分で真の原因は、お互いの利己心のためです。性格の違いというのは、事実は、利己主義と罪の問題なんです。結婚当初は対立を避けるために譲り合う気持ちがありますが、時間がたつにつれ、相手の欠点を直してやると、意気込んで身構えるようになります。その結果、葛藤は極に達し、多くの夫婦がこの峠を越せないまま、つまずきます。
これは夫婦関係だけでなく、会議の中で、職場で、近隣関係のすべての人間関係に適用される話です。「あの人と私と合わない、何から何まで違う、性格の違いが多すぎる」。こんな人いませんか?朝出勤すると、朝からひどいことを言われたりします。寮で気の合わない人と一緒に住んでいると、なおさらですね。では、次はどうなるでしょうか?喧嘩別れでしょうか?その人が辞めて去ったとしたら、それによって解決されるでしょうか?
すべての暴力は自分の正しさから始まります。「私が正しいので、私の言った通りにしなさい!」。夫婦関係も家族関係も、近所の人、兄弟関係、仲間関係も、すべての暴力は自分の正しさを証明するために始まります。私の考えが正しいことを、相手が同意するまで続きます。その正しさに思いが圧倒されてしまい、その話をしなくては耐えられなくなります。私の正しさの前に、すべての人が屈服することを願います。正しさが多いところほどその正しさのための暴力が満ちるようになります。そんな義人が多いところほど、傷ついた魂が一杯になります。
「それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。すなわち、 『主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、すべての舌は、神にさんびをささげるであろう』と書いてある。だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。それゆえ、今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめよう。むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、つまずきとなる物を兄弟の前に置かないことに、決めるがよい」。(ローマ14:10~13)