人は他人の高ぶりはよく見えても、自分自身の高慢は見えないんですね。相手のことを言っているうちに、誰かが自分の過ちを指摘すると、毒蛇のように高慢の毒を噴出ながら相手を攻撃するんです。聖書は、人間の高慢を強く否定します。箴言6章を見れば、神様が憎まれる7つの中に、高慢が最初に挙げられています。このように神様は、人間の高慢を憎まれます。
神様は永遠に存在するお方で、私たちは何者でもありません。神様が見られる時、ドングリの背比べで皆同じなんです。神様の前にお互いを比べあうようなギャグはやめましょう。滑稽なコメディをやめましょう。私はあなたより優れていて、奥深いものを持っているようなふりをしたとしても、神様の前にはコメディ―でしかないのです。兄弟より少しでもよりよい考えを持っているという考えを捨てなければなりません。神様はそういうことを嫌われます。尊敬はそのようにして得られるものではありません。
この高慢が、夫婦の心を支配するようになると夫婦間の親密さを失ってしまうことになります。お互いのプライドために「ごめん、間違いました」という一言をいうのが、あまりにも難しいのですね。他の人には、体裁のために、良好な関係を維持するために、すぐあやまるのですが(たいてい本心からではないですが)、夫婦の間で、親子の間ではそれができないんですね。公のことは公に、個人的なことは個人的に謝罪して悔い改めてください。自分の過ちを認め、許しを求めることを知ること、それが自分の品性です。私たちがイエス様の恵みで救われるのは事実です。ですが、変化がなければ、永遠の命はありません。