これがあっているのに、これが神様の方法なのに、私の子供が、夫、妻、友人、兄弟、隣人が、すぐあなたについて来なくても、静かにしておいて下さい。それがイエス様の品性なんです。神様がその人を感動させて、連れて来られる時間があります。皆さんが解決しようとせずに、お待ち下さい。
聖書を見れば、自分が解決者であるかのように行動しようとしていた人が出てきます。誰でしょうか?イスカリオテのユダは、自分の優れた資質のゆえに自分を高く評価し、彼の同僚たちの判断力と能力を非常に劣っていると見下していました。ユダは「愚かな弟子たちは自分に教えてもらおうとせず、どうしたらイエス様の活動が世の中で成功できるか方法も何も分かっていない」と考えました。「あんな男がどうして教会の指導者になる事が出来るだろうか?あんなに視野が狭くては、決して繁栄しない」などといつも心配していました。
ユダは熱心な人です。何とか自分が属しているコミュニティを発展させようと、いつも考えている人です。ところが、そのメンバーを見るとまったくなっていないんです。「こういう人々でどうやって新しい国を設立することが出来るだろうか?」。閣僚級の人材が一人もいません。このままでは新しい政府は全部失敗に終わるでしょう。ペテロは、気が短くてあとさき考えずに暴れ、ちょっとみっともない。ヨハネはいつも考え事ばかりしている小心者で、大事なことを任せるには力不足だし、マタイは珍しく正直者だが、適切な手腕とお世辞で政界に幅をきかせるには、あまりにももどかしくて、それでは成功できない。
このように、ユダは、すべての弟子たちを一人ひとり計りにかけてみて、自分の手腕がなければ、教会は苦労するという考えを持ってうぬぼれていました。ユダは自分自身を、失敗を知らない有能な人だと思いました。自分はこの働きに必要不可欠な者だと評価し、いつもそのように自分自身を表していました。
そこでユダは、自分が正しいと思うことを弟子たちに強要しました。先ほど話しましたね。すべての暴力は自分の正しさから始まると。私が正しいので、私の言葉通りでなければならないとこだわるんです。自分の考えが正しいことを相手が同意しなければ気がすまず、その正しさが自分のすべてになるので、その話をしなくては耐えられなくなります。自分の正しさを、すべての人が捨てることを願います。
「それでは何の話もしてはいけないということでしょうか?」いいえ、話すべきですね。どのくらい話せばいいでしょうか?一度だけです!それ以上話をしてはいけません。兄弟がまだよく聞いていないと思うから、絶えず話しているんです。「その兄弟がまだ直さないんです。まだこの意見を受け入れないからなんです」。やめてください。忠告は一度でいいんです。その次からはしつこい小言になってしまいます。会社で何度も同じ忠告をする人は、家の中でも全く同じです。妻に、夫に、子供たちに自分の意志が行われるまで言い続けます。自分の考えがあっていて、それが正しくて・・・。やめて下さい。そんなのうんざりですね!