皆さんはどのような人でしょうか? 「私は生まれつきこうなんです。私の性格がこうです。私は、元々分析的で、哲学的、批判的、直接的で、否定的です。それは神が私に与えられた性質です。だから、私はその通りに生きています。」
皆さんはそうでしょうか?そうではありません。生ける神様のみ言葉である聖書がどこにあるでしょうか?福音にはそのような、性質を変える力もないということでしょうか?性格が少し融通が利かないでしょうか?問題をそのままに済まさず、必ず是非を問わなければ気が済みませんでしょうか?でしたら、その性質を直してください。そのような人格、そのような品性では天の御国に行けません。そのような性質が問題ではなく、その性格を持って人を傷つけるので、そうなのです。考えてみてください。みなさんのそのような性質のためにどれほど多くの人々が傷ついて悲しい思いをしたでしょうか?子供、夫、妻、同僚...。習慣はまさに性格から出てきます。どのような性格かによって習慣が形成され、その習慣が培われて品性となり、まさにその品性が永遠の命を決定するのです。
人それぞれに多様な性格があります。ある人々は、性格がおっちょこちょいです。ミスをよくし、忘れるので仕事を任せると、まともに終わらないので後始末が必要になり、何度も確認する必要があります。そのような人と一緒に仕事をすると本当に大変ですね。ところが、その人は仕事以外では、側にいたくなるような楽しい人なのです。
逆に緻密で繊細な人々、そのような人ですと、仕事を任せても安心ですね。几帳面な人は、完璧に仕事をしてくれます。一度任せると安心でき、再び確認する必要もありません。このような人は、一緒に仕事をするときはいいのですが、ちょっと気難しかったりします。
良し悪しを言っているわけではありません。 すべての人に長所と短所があります。人間が持っている気質があります。性質です。人間は有限で、弱い存在ですので、不足している部分は埋めて満たし、はみ出しているところは削り、イエス様のみ姿に整える必要があります。