栄光の天使の働き
ヨハネの黙示録18章にどのようにありますか?第四の天使が下りてきますね、私の民よ、そこから逃げよと、そのわざに加わってはならないと叫びます。イスラエルの民のことを考えてみてください。戦いを目の前にして、ただエリコの回りを回るだけなのです。彼らはただ神様の約束に信頼し、歩き続けたんですね。神様はなぜそのようなことを命令されたのでしょうか?あなた方は戦うな、と言われたのですね。私が戦うからあなたは私の言葉を信頼して従順にしなさい。この人々の前に何がありましたか?契約の箱が先に行ったんです。これどういう意味ですか?契約を守る民ということです。ラッパを七個持ちました。これは何を意味しますか。神様との契約に従順な人を表していたんですね。なぜ彼らの前には祭司たちが進んだのでしょうか。祭司たちが前を進むと言うのは、祭司たちの役割というのは神様の律法を教え、それを通して悔い改めに導き、改革をさせる、そのような働きをするのが祭司たちの役目なのです。彼らが先頭に立ったということは、民をそのように指導し導く、そのことを象徴していたんですね。
ですから、申命記の中にありますね。神様から離れた時には、イスラエルの民は滅んでしまうと(11:26~28)、そのようなことが書いてあるんですけれど、神様の契約を第一にし、その働きを先頭に、改革の働きが先頭に立って行く、そういうことを意味しているんですね。神様の契約を守る人、従順な人々を通して三天使の使命が宣教されるんですね。そしてイエス様の証と十戒を守る人が残りの民になるのですね。
彼らはエリコの回りを毎日回ることによって、日々神様を信頼することを体験し、最後の七日目に七回まわって、大声で叫んだんです。黙示録18章を見てみますと、なんて書いてあるかというと、天使が下りてきて大声で叫ぶんです。第四番目の天使が来ると、その栄光によって全地球が照らされると。それはイザヤの預言の反映です。「起きよ、光を放て、あなたの光が臨み、主の栄光があなた方の上にのぼったから」(60:1)と。栄光と義と品性と言うのは同じことを表しています。神様の品性と義と、義が私たちのうちに現されるようになるんですね。それが私たちのうちに光となり、神様の栄光となるんですね。私たちが神様の御言葉と十戒に従順になり、聖なる生き方をする時に、私たちの内にある神様の能力が栄光となり、神様の栄光となるんですね。私のうちに住まわれるキリストが神様の栄光となる、それが希望となる、私たちにはそれが光なんです。
イザヤは「起きよ」と言いましたが、「起きよ」と言うのはどういう意味でしょうか?それは倒れていたからです。罪に倒れている人に、神様はおっしゃったんですね。「起きなさい、そして光を放ちなさい」と。あなたがそういう習慣にあろうと、罪の習慣に陥っていようと、起きなさいと神様は言って下さっているのです。そしてそこに光が現わされるのです。品性というのは、単なる人間の行為とか道徳とか、そういったものではありません。神様の十戒と言うのは、動機とか思いとか、そういったものまで要求されるものです。ですから、十戒を守るという事は、その基準というのは、イエス様によって変えられた心でのみ可能となるのです。
皆さん、「むさぼってはならない」と十戒にありますね。「むさぼってはならない」とは十戒の何番目にありますか?十番目にあるんですね。「むさぼってはならない」ってどういう風に守ればいいんでしょうか?皆さん、この「むさぼってはならない」ってどういう行動でしょうか。これは私たちの心で守る十戒なんですね。イエス様が十戒で与えられたものは全部心で守るものなんです。そしてこれは、イエス様の心によって守ることが出来るんですね。それは私の心を主の前に屈服させて、イエス様の心をいただいてはじめて守れるようになるんです。
私たちが自分の罪深さ、そういったものを知った時に、絶望をした時に、イエス様によって心を変えていただくことができます。イエス様の品性と私の品性を比べた時に、自分はもう死にたくなるほどいやになるんですね。そうした時はじめて、私の心の内に神様の恵みが入ってくることが出来るんです。