神に栄光を帰すとは
皆さん、外にある敵よりも内にある敵が怖いんですね。みなさん、アカンの物語をよく知っていますね。彼はむさぼりましたね。エリコの城壁をこんなにも驚くべき方法で滅ぼして大勝利をあげたのに、次の小さな町を攻め取るのに彼らは失敗してしまったのです。なぜこのようなことが書いてあるんでしょうか?この戦争は、自分たちの優位さ、武器とかそういったものによるのではないんですね。この戦いは神様に栄光を帰し、神様の名誉のためになされるものなのです。私たちは単なる道具であり、器で、私たちが自分の力でやるのなら、その結果として、何か自分にご褒美を得る必要があるかもしれません。ところがそうではないんですね。これは全て神様の戦いであったので、神様に栄光を帰して、すべてを神様に捧げて火で燃やしなさいとおっしゃったのですね。なぜなら、私たちはただの器ですから、自分たちの能力や努力によって戦ったのではないからです。
ですから、終わりの時代に、自分の力や能力に頼る人は、神様の最後の戦いに参加することはできないわけですね。自分の事を考え、自分の、何か評価とか自分の安心、そういった自分の事に捕らわれている人は、この戦いに加わることはできないですね。
列王記下の5章に、エリシャのしもべだったゲハジの物語がありますね。ナアマンの病気が癒されナアマンからの感謝の贈り物が届けられた時に、エリシャは断ったのですけど、ゲハジは後でナアマンに言いました。「今お客さんがやってきたので、さっきのものを分けて下さい」、そしたらナアマンは「どうぞ、どうぞ、差し上げます」と言いました。ところがゲハジは戻って来た時にライ病にかかってしまいますね。なぜでしょうか?考えてみましょう。ナアマンが来てから、ゲハジはずーっと彼に仕えてきたんですね。食事を用意したり色々やってあげていたのです。ゲハジが失敗したのは、ゲハジは自分のした事に対する報いを得ようとしたことなのです。これだけやったんだから、そのために苦労したんだから、自分はこれくらい貰ってもいいんじゃないか、一生懸命仕えたから少しぐらい貰ってもいいんじゃないか、と思ったのです。
でもそうじゃないですよ。このナアマンが癒されたことは、神様にのみ栄光を帰さなければならない時だったのです。少しは自分に手がらがあるから、自分も少しは働いたから、そう思って衣服を取ろうとしました。そのことを神様は罰せられたんですね。