死の恐怖からの解放
先ほどのヘブル書には、「死の恐怖」と書いてありますが、このことで思い出すことがあります。実は、去年南アメリカに伝道集会に行ったのですが、その時、とても小さな飛行機に乗って行きました。だいたい20人ぐらいの人が乗っていました。その時、天候があまり良くなかったのです。雨が降っていまして、風も強かったのです。そして、飛行機が非常に揺れたんです。すると、ちょうどイースターというカトリックの大きな祭典の時期だったこともあり、飛行機の中には多くのカトリックの方が乗っていって、一斉に、十字をきったり、指輪に口づけをしたりしてお祈りが始まりました。それを見ていて、少し不思議に思ったのです。
多くの人が、死の恐怖に中に生きているということがわかったんです。なぜ、死を恐れるのでしょうか? イエス様を個人的な救い主として受け入れ、復活の希望を持ち、救いの確証を持っているべきクリスチャンが、なぜ死を恐れるのでしょうか? 多くのクリスチャンが、病気になったり、ガンを告知されると、泣きわめいて、死にたくないと叫ぶことがあります。皆に、祈ってください、と頼み、ありとあらゆる手術を受けたりするのです。今日のテーマは、健康改革や、自然療法ではないので、あまりそういったことを話すつもりはないのですが、ガンを告知されたら、それは祝福です。そうではないですか?ちょっと、答えにくいですね。
皆さん、これは本当に大きな祝福です。ガンを告知されたなら、休むことが出来ます。仕事をやめて、「私は半年後、一年後に死ぬでしょう。その時がいつなのかはわかりませんが、主に委ねています」。そのように言えばいいのです。これは、証のための本当によい機会となるはずです。
今までの人生を振り返り、心を吟味して、それを清めていただく時間とすればいいのです。もし、自分の余命がわかれば、霊的な問題に関して、本当に真剣になると思いませんか?ですから、これは、本当に祝福なのです。そうですよね? いまやっと、少し、「アーメン」と聞こえましたね。これは、ほんとうに祝福です。私たちは、物事に対して、クリスチャンとしての視点を持たなければいけません。
また、ほかの病気になったとしましょう。その時、「主よ、なぜ私がこんな目にあうのですか」と、赤ちゃんのように駄々をこねないでください。みなさんは、成熟したクリスチャンです。感謝するのです。どちらにせよ、私たちは死ぬことになるのですから。
ラザロは、どうでしたか? 彼は復活しましたが、やがてまた死にました。私たちは、いずれ死ぬことになるのですから、決して、それを恐れないで欲しいのです。死から逃げ回らないでください。もし、そのような時は、神様に感謝をしてほしいのです。こう祈っていただきたいのです。「主よ、この機会を心から感謝します。この機会に私は、私の人生を振り返り、心から悔い改め、心を清めたいと思います。主よこの祝福を心から感謝します」。