心の安息が人を生かす
そのような心で生きるときに、多くの場合、病気が癒されるのです。私が言っていることがお分かりでしょうか? 死の恐怖を持っている人の多くが、病によって亡くなっていきます。しかし、神様のご計画を心から信頼し、心に本当の安息の経験を持つなら病が癒される、そういうことを、私は自分のミニストリーの人たちの経験から見てきました。これは、神様のみ力なのです。イエス様は、私たちを死の恐怖から救って下さる方なのです。死の恐怖にとらわれている人たちを解放するのです。
ヘブル2章16節を見ます。
「確かに、彼は天使たちを助けることはしないで、アブラハムの子孫を助けられた。そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである」。
16節の英語訳をみてみますと、“He took not on him the nature of angels but he took on him the seed of Abraham.”「彼は、天使の性質ではなく、アブラハム子孫の性質をとられた」と書いてあります。これは、まさに私たちと同じ肉のことです。しかし、イエス様は、そのような状況の中で罪を犯すことがなかったのです。天使の性質ではなく、私たちと同じ弱さをもった肉体を持ってこの世界にお出でくださったからこそ、イエス様は私たちの模範となることが出来るのです。
いいですか、イエス様は私たちと同じ条件で生きられ、同じように誘惑を受けられたのです。ですから、イエス様は私たちを助けることが出来、執り成すことが出来るのです。皆さん、≪執り成しの祈りというのは、単に私たちの罪をご自身の血潮によって赦し、悔い改めを取り上げ、それを神様に紹介してくださることではありません。それは、罪の勝利を私たちに与える力なのです。これが、イエス様の仲保者としてのお働きです≫。罪に勝利する力を与えるものなのです。そのためにも、主は人としてこの世に生まれてくださったのです。神様が人のうちに宿られたのです。