ところでなぜ神様は沈黙されるのでしょうか。
ヨブはこのような苦難の時、なぜ仲保者がおられず、苦難を受けたのでしょうか? ヨブ記9:33を見ると、
「われわれの間には、われわれふたりの上に手を置くべき仲裁者がない 」。
ヨブが「神様は聞いておられますか? 無視しておられるのですか?どこにおられるのですか? 返事ぐらいしてください」と問いかける時、神様は「ここにいる」と手助けをすることができないのです。この苦難の特性上、助けてあげることはできません。 神様は心苦しく、すぐにでも助けの手を伸べたいのですが、できません。
補足しますが、最後の大艱難の時は、神様が私たちに背を向け、無視しておられるのではなく、仲保者の役割、すなわち罪を許す働きをこれ以上できないという意味です(PP 201p、GC 613p参照)。
今、私たちが罪を犯すと、罪を許してくださるキリストがおられます。 それは、いつまででしょうか? イエス様が再臨される時までですか。 違います。これ以上罪を許す働きをされなくなる時が来ます。 これ以上罪を許す働きをされないということは、言い換えるならこれ以上罪を犯さなくなった人たちがいるということです。 このことは最後の大艱難を経験する人なくして、起こらないことです。 ヤコブの経験は最後の大艱難を経験する人たちのモデルです。
つまり、大艱難の期間内にヤコブの艱難が含まれているのです。 ヤコブの艱難の間に仲保者がないという事実は、救いと滅びが決定されたことを意味します。 この言葉はヤコブの大艱難の際にすべての罪がゆるされ解決されている必要があるということです。
なぜ仲保者がおられないのでしょうか? なぜですか?
恩恵期間が終了し、私のための仲保の祈りが終わった時、サタンが神様にこう話します。
サタン:「この人がどうして義人ですか?」
神様:「そのために私が死んだ。そしてこの人はそれを信じることで義人になったのです」。
サタン:「それが義人なのでしょうか? 私が少し誘惑すれば倒れますよ!」
神様:「そうではない。そんなことはない。では彼らの生命だけは奪ってはいけないが、苦難が臨むことを許可する」
これは、どこかで見た話ではないですか? ヨブにしたことと同じようにサタンと全宇宙の住民に、この人が本当に信仰によって義人となったのか、天の国に入る資格があるのかが立証されなければならないのです。