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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

ヨブとヤコブの経験 私たちの未来 第17回

2017年01月23日 | 日記

   17

皆さん、大艱難の中にあっても、サタンは命には触れることはできません。 サタンが生命を奪えないもう一種類の人たちが出現します。

 

「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった」 (黙示録7:3、4)。

 

印を押すまでは害してはならないとあります。神様の印を押される14万4千が出ます。 彼らが最後の証人たちです。 印を押された人は神様の永遠の所有であり、永遠の保護を受けるという意味です。 ヨブ記は「ヤコブの艱難の歴史的なモデル」です。 この概念がなくては、ヨブ記は完全に説明できません。

 

ヨブ記19:25-26を見ると、ヨブの告白が出ます。

「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。 わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう 」。

 

皆さんの聖書にはどうなっているかは分かりませんが、「肉を離れて」という翻訳は間違っています。

英語ではin my flesh/「私が私の体を着て」(欽定訳)です。 注≪「私は、私の肉から神を見る」≫(新改訳)  

 

この言葉の意味は何でしょうか? ヨブは復活信仰と再臨の望みを持つようになりました。 肉体と魂が別々にではなく、私たちの復活は肉体と魂が一つです。 ヨブは苦難前には発見できませんでしたが、苦難の後に大いなる真理を悟ったのです。

聖書で一番先に記録された本なのに、旧約を過ぎて新約を経て、再臨まで見ることになりました。 慰めを受けようと友達に求めても、ただ神様のほかに慰めてくださる方がいないということを悟ったのです。 ヨブが見た最後の再臨の直前に私たちは住んでいます。 ヨブ記19:27です。

 

「 しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない。わたしの心はこれを望んでこがれる 」。