サタン:「おい、お前が義人なのか? ひどい罪人じゃないか。三年前、五年前に、こんなことをしたじゃないか?」そして、過去の罪をパノラマのように広げて、私たちの弱さと無価値さを見せて、「だからお前に望みはない」と告訴します。その時「私にまだ悔い改めていない罪があるか?」と自問して、まだ悔い改めていない罪、心に抱かれている罪が現れたら、やはり人間は神様の戒めを守ることができないと証明することになります。それはサタンの「神様! 人類のための救いの計画は失敗しました。 あなたは誰も守れない戒めという重荷を負わせたのです」という告訴が正しいということになります。 それは神様にとって、恥辱です。神様はその時、罪人をもう許すことができないのです。 仲保者なしに立つということは、これ以上、罪の許しがないという意味です。 罪を悔い改めて勝利する経験は今しなければならないのです。
皆さん! 心の中で、まだ切り捨てていない罪がありますか? イエス様のもとへ、心配せず、信頼をもって主の前に行きましょう。 主の恵みの時は終わっていません。今日が救いの日です。
ヤコブの艱難を通過する人たちの状態はどうあるべきでしょうか?
ヨブはどうでしたか? ヨブ記6:24を見ると、
「わたしに教えよ、そうすればわたしは黙るであろう。わたしの誤っている所をわたしに悟らせよ」
うゎー、とても大胆な発言です。ヤコブの大艱難を理解しなければ、ヨブは非常に高慢な人です。 ヨブは過ちがなかったと主張しているのではなく、許されていない罪があったら言ってくださいということです。 その信仰を持たなければなりません。
心に抱いている罪が一つもない最後の証人がいます。
「 彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった 」(黙示録14:4、5)。
「傷のない者」。大艱難の時に真理に立つ人は自ら義人になったというのではなく、悔い改めずに隠している罪がなく神様に全て許されたということです。それで、どれだけサタンが試みても、悔い改めずにいた罪がありません。 すでに許されたのです。
サタンがヨブの生命を奪えましたか。
ヨブ記2:6を見ると、
「主はサタンに言われた、『見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ』」と命令してヨブの命を保護されました。同様に最後の証人の生命も神様が保護されます。