人を救う真の福音とは?
教会の中に二つの福音が存在します。一つは真の福音で、もうひとつは偽の福音です。真の福音は聖書の言う「永遠の福音」で、神様が人類を救おうと計画された本当の救いの方法です。ところが偽の福音は、堕落した人間の心が、自分たちに都合がいいように勝手にその内容を作り変えたものです。
ところで問題は、この二つの福音は、同じような聖書の言葉とイエス様の名前を使うところにあります。そのために多くのクリスチャンが、この二つの間で混乱しています。しかも、人はそれぞれ自分に合う福音を、自分の中の真実の動機と希望によって選んでいるのです。すべての人は、この二つの福音のうちのどちらかを選んで信じています。
しかしこの選びの結果として、真の福音は良い実を実らせ、偽の福音は毒麦を育てることになります。
では、この二つの福音はどのようにして生まれてきたのでしょうか。その歴史的な側面については最後の第4部で学びますが、その前に、まず教会の中に存在する救いについての三つの立場について調べていきましょう。この問題を正しく理解することによって、自分がどちらの福音を信じているかが明らかなります。
第1部:教会の中に存在する三つの救済論
私たちはクリスチャンとして、どんな救済論を信じて生きているでしょうか?私たちが認めようと認めまいと、実は私たちは、次の三つの救済論のうちのどれかを信じているのです。
1)聖書の言う真の救済論(信じることによる義)
2)律法主義の救済論(行ないによる義)
3)自由主義の救済論(神学的な用語では‘道徳的敗北主義’ともいう)
キリスト教会の歴史を振り返ってみると、いつの時代にも神様の教会を堕落させてきたのは律法主義と自由主義(道徳的敗北主義)という二つの救済論です。律法主義は救いの問題において、律法に対する従順と善い行いを通して救われると信じる危険な教理です。もう一つの自由主義の救済論は、キリストを信じているのだから律法は守る必要がなくなったと言うもので、その結果多くのクリスチャンが世俗的で自由奔放な信仰生活を送るようになりました。この立場のクリスチャンは、罪の中で世俗的な状態にいながらも、自分は救われていると勘違いしてしまうので、これも恐ろしい教理といわなければなりません。サタンはこの二つの偽りの教理を通して、神様の教会を執拗に攻撃してきました。
サタンはかつてユダヤ教会に徹底した律法主義を植えつけることで、メシアを十字架につけるのに成功しました。しかしイエス・キリストの奉仕と死を通して、初代のキリスト教会が起こされ、まことのキリスト教会の信仰が始まりました。
初代のキリスト教会の信仰とは、消し去ることの出来ない自分の罪を赦されたマクダラのマリヤが、自分のすべてのものを売り払って高価な香油を買い、キリストの頭に注いだような信仰のことを言います。イエス・キリストに対する感謝と愛のゆえに、自分の生涯のすべてをキリストとその真理に捧げた信仰が、初代のキリスト教会の信仰です。愛はマリヤの心を真理にとらえられた、義の僕としました。そこでイエス様は「よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」と言われたのです(マルコ14:9)。マリヤがイエス様に対して表した信仰が、聖書が伝える救いの経験の一例です。