1 律法主義者たち
クリスチャンは神様の十戒に従わなければなりませんが、自分の力では従うことが出来ません。しかし神様のおきてに従うたった一つの方法があります。それは新生の経験を持つこと、そして、信じる者と共におられるキリストのみ力に頼ることです。「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである」(ガラテヤ2:20)。
律法主義者は、神様の律法を尊重してそれを守るために絶えず努力しますが、自分の心と人生をすべて捧げていないために、汚れた自己中心的な心をもって神様のおきてに従おうと、無謀な努力をします。彼らはこの世や財産に対する徹底的な決別と、新しく生まれ変わるという霊的な経験がないまま、自分の意志と努力に頼って、神様の尊い律法を守ることで義なる者となろうとし、その対価として救いを得ようとするのです。弱い人間の力では、全く到達不可能な目標を立てて走るマラソン走者のように、最後には律法主義者は敗北と挫折の渦の中に入ってそこから逃れることが出来なくなります。これが律法主義者の最終的な運命です。
ここでひとつ確認しておきたいことは、今日多くのクリスチャンが、自分の良い行いに頼るのではなく、ただイエス・キリストの十字架の血の恵みによってのみ救われるということを信じると言います。しかし、日々の生活で神様の力を信じなかったり、神様の恵みに頼らなかったり、良心にささやく聖霊のかすかな声に耳を傾けて生きていないなら、そのようなクリスチャンも、実際には自分の力に頼って生きる律法主義的な信仰を持っているということです。
自分は律法主義を信じないと言いながらも、実際の生活においては律法主義的な生き方をしているので、とても注意が必要です。神様の尊い律法と裁きに圧倒され、神様を畏れ敬う心で聖書のみ言葉に従おうとしますが、自我と欲を捨て切っていないので、失敗と挫折の経験を繰り返すクリスチャンは律法主義的な信仰をもっていると言えます。