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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人は何のために生きるのか? 第1回

2017年08月05日 | 日記

おはようございます。 皆さん、イエス様を愛していますか? もちろん、イエス様を愛する方々だからこそ、この番組を見ていると思います。私は、イエス様を本当に愛しました。神様のためなら何でもしたいと思っていました。子供の時から高校生の時まで、ずっと教会の学生部で活動して、イエス様を本当に愛するから、死ねと言われるたら死ぬふりもできるほど、神様への愛を表現したかったのです。

大人になるとアフリカに宣教に行こうか? それが、イエス様を愛する方法だろうか。それとも、全世界の貧しい者たちを捜し回り、貧民街の人たちと一緒に暮らそうか、それがイエス様を愛することだろうかと考えていました。

母の胎にいる時から、早朝の祈祷会に通っており、いわゆる母胎信仰でした。生後数ヵ月しか経っていなくても、雨が降ろうが雪が降ろうが、母の背中におんぶされてずっと早朝の祈祷会に通いました。

それは私の習慣になって、学生時代も、学校に行く前に朝の祈祷会に通い、学校の授業が終われば、家とは反対方向でしたが、いつも教会に先に行って、一日の感謝の祈りをして家に帰っていました。学校・家・教会しか知りませんでした。雨がたくさん降る日は、古い教会が雨漏りしていないか心配になって、授業に集中できませんでした。 授業をサボって教会に行って、雨漏りするところはないか調べるような、そんな学生時代を過ごしました。これだけ言うとすごく模範生のようですが、違います。友達と交わりながら問題をたくさん起こしました。それで母親にはたくさんの心配をかけてしまいました。

 

多くの人たちと会って、真理を見つけるために数々の異端を回って調べたりしました。私は真理を知りたかったのです。皆さんは1992年10月28日について、ご存じですか? その日何があったか分かりますか? 当時、10月28日に携挙されるという話がありました。その事件は有名ですから聞いたことがある方もいると思います。私はその事件の時、そこに関りを持っていた人間です。その時私は高校生でした。学校が終わって夜9時ぐらいになると、家に車が来ました。その車に乗ってその祈祷会に行って、明け方まで声を出して祈祷していました。何ヵ月も、10月28日になる直前までそこに心酔して熱心に祈りました。もちろん私は、10月28日になる前にそこから出ました。とにかく、それだけ自分なりに熱心にイエス様の再臨を待ち、イエスの御心通りに生きたくて、あらゆることをやってみました。このように中高時代を過ごし、大学に行って運転免許を取るとすぐ、教会の早朝祈祷会のための送迎車の運転をしました。

毎週金曜の徹夜祈祷会に行き、夏休みには40日間、山の中の祈祷院に行って世の中とは離れた生活をしました。 40日間祈祷院に住み、異言を語ったり、幻も見ました。夏休みの時だったので、多くの教会の人が祈祷院に修練会をしに来ました。そんな集まりの時、お祈りしながら、手の皮が裂けるほど太鼓をたたいたりしました。私はそれが、イエス様を愛することだと思っていました。