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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人は何のために生きるのか?ソン・ケムン 第3回

2017年08月08日 | 日記

ところで、多くの人が「新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい…」(ヨハネ13:34)という聖句について、「イエス様が新約時代に来られ、新しい戒めをくださった」と言います。また、「私たちがお互いに愛しあったら十戒を守らなくてもいい」と言います。

皆さん、お互いに愛するのは本当にいいことです。 そして、新しい戒めを与えられたと言われたのも本当です。

しかし、これは新しい戒めでしょうか?

 

□レビ記19:18を見てみましょう。 ここには「あなたの隣人を愛さなければならない」 と言われています。 これは新しい戒めですか? すでに旧約聖書にあるのです。レビ記書は、新約ですか? 旧約ですか? レビ記はイエス様が来られた後に書かれましたか?

 皆さん、すでに旧約聖書に「あなたの隣人を愛さなければならない」と命令されています。ユダヤ人たちが愛がなく律法の文字だけを守っていたために、戒めの根本精神は愛であることを、イエス様は強調されたのです。 さらに、"愛さえあればいいのだ"というのは、全くイエス様が意図されたことではありません。

ですから、使徒ヨハネはこう言いました。 ヨハネの第二の手紙1:5、6

婦人よ。ここにお願いしたいことがある。それは、新しい戒めを書くわけではなく、初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは、みんな互に愛し合おうではないか。父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである

 

何とありますか? "互いに愛せよ"というのは「初めから持っていた戒め」と同じ意味だと言われています。

皆さん、十戒を守ると律法主義者になるのではありません。私たちは第五の戒めによって親を敬う人、第八の戒めによって人のものを盗まない人、第二の戒めによって神社参拝を拒んで、命まで奪われた殉教者たちを律法主義者だと非難しません。 それでは第四の戒めは?第四の戒めよって安息日を守る人たちだけが、律法主義者になるのでしょうか?

もし、安息日を守ることが律法主義なら、姦淫しないことも、律法主義という話ですか?それでは律法主義にならないために、今夜から罪を犯しながら生きるのでしょうか。神様の御心通りに生きるために努めることを律法主義と言うなら、"私は救われたから、自分勝手に生きる"というのが正常なキリスト者の生活だと言うのでしょうか? サタンは心から戒めを守る人を、まるで福音の恵みを拒絶した人であるかのように思わせています。