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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人は何のために生きるのか?ソン・ケムン 第18回

2017年08月26日 | 日記

□しかし、すべての人たちがテストされる時が迫ってきています。 黙示録12:17を見ます。

「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った」。

 サタンは神の戒めを守る人に怒りを発します。そして獣の刻印を受けるように強要します。一歩ずつ世の中の要求を受け入れ、この世の習慣に妥協してきた人たちは、嘲笑と侮辱を受け異端と言われて軽蔑され、投獄や死刑を受けるより、むしろ権力に屈服することを選ぶようになります。最後の試練を乗り越える信仰が足りないことが、その時になって分かるのです。

 特にサタンは最後の時代に、食べて生きるために安息日を犯さざるを得ないような状況を作り出します。その時人は、神様になぜ仕えてきたのか、各個人の信仰の動機が全宇宙の前に明らかにされます。大多数が獣の刻印を受けるようになります。 なぜでしょうか? イエス様に命を捧げるほどの信仰は、救われようとして頑張ってできるものではないからです。今まではある程度できたかもしれませんが、安息日守ることがこの世の中で最も憎むべきこととされた時、本当にイエス様を愛する心がなければ、イエス様のために命を捧げる献身と、愛の心がなければできないからです。十字架の前で完全に屈服し、神様を喜ばせたい心で従うこと、それが戒めを守る人です。そのため最後の時には、安息日が神様の印となり、忠誠の印になるのです。

 [結論]

あなたは神様を愛しますか? でしたら戒めを守りましょう。魂の休みや癒しが必要ですか。戒めを守ってください。多くの人が「安息日を必ず守らなければなりませんか。私は魂の安息を持っています」、そう言います。「私は自由になりました。 私は律法に縛られません」。「安息日を守ると、社会生活ができません。必ず守らなければなりませんか」。そう言います。

まず従ってみてください。人間的などのような理屈をあげるよりも、ただ単純に従ってください。それがアブラハムの信仰ではありませんか。神様が“行け”と言われたら行くのです。全部理解できるまで待ったら、一生理解できません。ヨルダン川に足を踏み入れたら二つに分かれました。従ったらその時に道が開かれます。それが約束です。 ひとり子のイサクを殺せと言われた時、アブラハムは問いませんでした。そのまま従いました。アブラハムが従わなかったら、一生、彼の心の中に疑問として残ったはずです。「なぜ神様はあんな不合理なことを言われたのか」「神様も異邦の神のように子供を生贄に捧げることを望まれているのだろうか?」。彼の心に永遠に解決できない疑問として残ったはずです。人間がどうして神様を理解できるでしょうか。

しかし、従えば分かるようになります。多くの人たちが、従いさえすれば、気になっていた多くの問題が解決されるのに、先に問題が解決されれば従うと思っています。

神様と共に歩むことがどういうことか知りたくても、経験できず、もどかしい気持ちを持っている人はいませんか? 受けた光に完全に従ってください。神様の戒めを守りなさい! それは心を開いていただくことです。聖書を見る目が変わることになります。もどかしさが消えるのです。それが変わらない神様の誠実な約束です。