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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演25)

2012年11月25日 | 日記



    ひまわりさんより(11月25日)

今日の日曜日は、久しぶりに布団を干したり、洗濯をしたりすることができました。主婦が働いていると、どうしても家事が十分にできないことがあります。午前中気になっていたことを全部片付け、午後はこれも久しぶりに、ヘアーカットに行きたいと思いました。前にも書きましたが、以前住んでいた町の美容師さんは、本当に私の思った通りにカットしてくれるので、すごく気に入っていました。でも、自分も引越し、その美容師さんも2時間ぐらいの所に移動してしまい、もう私の気に入ったカットは望めないと思っていました。2時間かけて通ってみようかとも思ったのですが、さすがにそこまではできません。仕方なく、近くの美容院をいくつか回れば、気に入ったカットをしてくれる人がいるかもしれないと思い、一番近くの美容院へ行ってみました。入った時の印象は、無愛想な感じで、ちょっと気が引けました。でも、最初のシャンプーの時から、「ああ、この人なら大丈夫だ」という気持ちになりました。お湯の温度といい、シャワーの水圧、洗う時の力の入れ加減、耳にお湯がかからないようにするやり方がとてもいい感じでした。シャンプーをしている数十秒で、『この人は相手の身になることができる、心のある人だし、ていねいで、器用な人だ』ということが感じられました。これならカットも大丈夫と思って、「あなたにお任せしますから、いいようにカットして下さい」と言ったら、本当に私の思った通りのカットに仕上げてくれました。私は介護の仕事をしていますが、手の動きだけで、心が伝わる、それを意識して介護をしていかなければならないと思いました。

   神様に仕える理由は?(デビット・カン講演25)

これまで聞いたことのない、最高の証だと思いました。そのような状況にあって、皆さんだったら、この女性のように言う事ができるでしょうか。
私たちはなぜ神様に仕えるのでしょう。神様が皆様を祝福しておられるからですか。健康改革のメッセージに従って、健康にしてもらったからですか。なぜ神様に仕えるのですか 。永遠に生きたいからですか。神様の裁きを避けたいからですか。なぜでしょう。
神様がどのような神様であられるか、もっと学ぶ必要があります。ヨハネの福音書17章でイエス様は言われました。「永遠の命とは、父なる神と、父なる神が送られた御子を知ることであります」と。永遠の命とは何ですか。神様を知ることであります。皆さんイエス様を知っておられますか。神様を知っているがゆえに神様に仕えているでしょうか。それが私たちの神様に仕える理由でなくてはなりません。




なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演24)

2012年11月24日 | 日記



   ひまわりさんより(11月24日)

今日の安息日は、I集会所へ出かけました。ちょうどこの日の礼拝は、古くからの知り合いのM先生でした。先生は81歳ということでしたが、とてもお元気そうで、いつも飾らない謙虚な姿勢で、多くの人から慕われている方です。私は、5年ほど前、信仰が分からなくなり、自分がすごくみじめな状態の時、この先生の、「ほのぐらい灯心を消すことなく」という説教を聞いて、とても感動したことを覚えています。その時の自分は、本当に「傷ついた葦」今にも消えそうなともし火でしたが、そこから少し光がさしてきたように思いました。そして今日、久しぶりに先生のメッセージを聞きました。今日のお話しは、「置かれたところで咲きなさい」というテーマで、人生にはいろいろな境遇が与えられるけれども、イエス様の力によって花を咲かせていきましょう。そして、どうしても花が咲かない時には、根っこを伸ばしていきましょうというメッセージでした。今日のメッセージも、自分の今の状況にピッタリで、今は私にとっては、根っこを伸ばしていく時期で、やがて、イエス様の品性という花を咲かせていきたいと思いました。

 それでも私は神様を讃えます(デビット・カン講演24)

3年前のことですけれど、感謝祭の日に、車を運転していました。クリスチャンのラジオ番組を聞いていましたが、あるクリスチャンの女性が証をしていました。彼女は日曜教会に属する人でした。そして彼女は、「私の夫は、ある詐欺の罪名で疑いをかけられて、投獄されてしまいました」と言うのです。「それでも私は神様の御名を讃えます」、と言いました。まあ、そんなことが言えるのは感謝祭の日だからかなあ、と私は思いました。それから彼女は次のように言ったのです。「私の17才の息子が2週間前に自殺してしまいました。それでも私は神様を讃え、神様に感謝するものです」と言いました。聞いていて信じられませんでした。息子が自殺したのに、なおも神様を讃えるということは、どういうことだろう。感動し感銘を受けました。
それから続けて、このように言いました。「私はガンにかかっていて、もう治らないと言われ、ガンの第3段階の状態にあります。そして医者からは、あと6ヶ月しか生きられない、と言われました。それでも神様に感謝して、神様のみ名を讃えます」。
私は、本当にもうびっくりして、倒れそうになりました。そして深い感銘を受けました。SDAの信者ではありません。しかし、驚くべき信者さんです。そして彼女は、このように言いました。「私が天国に行く時に、今よりもっともっと、神様を讃え、神様を賛美していることでしょう。私の主人も、私の息子もそこにいないかもしれないけれど・・・。なぜなら、天国に行ったら、神様がどれほど一生懸命私の家族を救おうとされたかということが明らかになるからです。だから神様の側に非はありません。私たちの側に非があるわけです。ですから神様が私の家族を救おうと、どれほど懸命に働かれたかということを私がもっと知るようになる時、私の心はさらに感謝の念に満たされ、神様のみ名を讃えることでしょう」。





なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演23)

2012年11月23日 | 日記



     ひまわりさんより(11月23日)

今日の夜は、息子が友人を連れてきたので夕食を一緒に食べ、そのあとで、信仰のことについていろいろと語り合いました。息子は最近、聖所のことについてすごく関心が深まってきて、今日も聖所の話題について親子で話し合いました。息子は、イエス様が、「私は道である」と言われたときの道とは、実は聖所への道の事だったことに気がついた、と言いました。「私たちはイエスの血によって、はばかることなく聖所に入ることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道を通って、はいって行くことができる」(ヘブル10:19,20)。私も、11月10日の証にも書きましたが、聖所の問題に目が開かれてからというもの、心が動揺しなくなり、感謝が満ちてくるようにされていて、聖所の話題は本当に語らずにはおれないものです。ところが、息子の友人は、まだ、バプテスマをうけて1年ほどで、私たちの話していることは、あまり分からなかったのではないかと思います。しかし、信仰は聞くことから来るのですから、聞いていれば、それがいつか必要な時に実を結ぶのだと思います。み言葉の種が、友人の心にとどまり、実を結びますようにお祈りします。また、このブログを読んでくださるみなさまの上にも、神様のお導きがあり、聖所の教えに心がむけられますように、お祈りいたします。


 

      試みの中に立つ信仰(デビット・カン講演23)

『大争闘』下巻の391ページから392ページをお読みします。「サタンが神の民をその罪のゆえに責められるときに、主はサタンが彼らを極限まで試みることをゆるされる。神に対する彼らの信仰と堅実さとが激しく試みられる」。
終わりの時に、神様がご自分の教会をサタンの手に渡して、極限まで試みられるのをおゆるしになるのです。その極限まで試みられる人たちが、14万4000であります。そしてこの大いなる悩みから抜け出してくる人たちが14万4000であります。
次に『大争闘』下巻396ページです。「かつてなかったほどの悩みの時が、間もなく我々の前に展開する。それだから我々は一つの経験、今我々が持っておらず、また多くの者が怠けて持とうとしない経験が必要なのである。現実の困難というものは予想したほどではないということがしばしばある。しかし、我々の前にある危機の場合はそうではない。どんなに生々しく描写しても、この試練の激しさにはとうてい及ばない。この試練の時に、人間はみな、自分で神の前に立たなければならない」
神様の前に立つ用意が、皆様できていますか。ヨブの経験というのは、はるか昔に起こったものではないのですね。私たちの経験になってきますよ。



なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演22)

2012年11月22日 | 日記



   ひまわりさんより(11月22日)

11月10日の証で紹介した、M園教会でよく教えられていたのは、エペソ4:29「悪い言葉を、いっさいあなたがたの口から出してはいけない」というみ言葉です。最近このみ言葉は本当にすごいと思うことがたびたびあります。新しい仕事で、お昼を食べる時間もなく動いていると、さすがにどっと疲れて、つい、誰かに不満や愚痴を言いそうになります。でもそれを、み言葉にあるから、と思って出さないでいると、天使が心を守ってくださるようで、心が平安になるのです。そして、不平が出てきそうになった時に、もう少し沈黙していると、今度は相手の心が変わって笑顔になる、という経験をさせられています。み言葉に従うということは、本当にありがたい結果をもたらすのだと思います。

   悩みの時の準備(デビット・カン講演22)

でも、もし、私の妻が私を非難したとしたら、これはちょっと話が違ってきます。私の家内が私を非難したら・・・。説教を終わって、教会員が私の語ったメッセージを非難したとしてもあまり気にしません。どうでもいいんです。全く気にしません。しかし、家内が、私の妻が、私に何かを言ったりしたら・・・。「今日あなたは何というメッセージを語ってくれたの」、と言ったとします。「あんまりいい話じゃなかったわね」。そんなことを言われたら、私は意気消沈したことでしょう。おわかりですね。奥さんである皆さんは、ご主人に優しくしてあげてください。彼の確信は、皆さんの承認にかかっているのです。皆さんが支持するか否かにです。
ヨブも自分の妻から譴責されました。「あなた、神様を呪って死になさい」と言われたんです。彼は本当にすさんだ状態に陥りました。にもかかわらず彼は固く立ったんです。これがヨブの忍耐でした。そして、これが私たちに必要な信仰なのです。
遅かれ早かれ、私たちはこのような試練に入っていくことでしょう。悩みの時に入っていくわけです。皆さん準備ができていますか。今私たちは、イエス様の愛を積立てていかなくてはいけないんです




なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演21)

2012年11月21日 | 日記



     ひまわりさんより(11月21日)

弟夫婦と、小さなデイケアと、ヘルパーステーションの共同経営をはじめて20日がたちました。ちょうど働いていたヘルパーさんがやめて、その分の仕事が回ってきたので、大忙しの日が続いています。夫はデイサービスの責任者として、私はヘルパー事業の責任者として働いていますが、ヘルパー事業は、ヘルパーさんが急に都合が悪くなって変更になったりするので、その穴埋めを探すのが大変です。義妹はケアマネージャ―で、弟は、経営責任者という立場で、いろいろアドバイスをしてくれるのですが、どうも、ヘルパーの気持ちに寄り添うような発言ではないので、何か違和感を感じてしまいます。結局それは、実際にヘルパーの仕事をやっていないので、同じ目線で生きているのではないからなのだということに気づきした。妹は、あくまでもケアマネージャーの視線で物事を判断し、決定し、弟は、経営者の見方で物事を見ているのです。私は、現場にいるので、現場の人がよその人の家にはいって行くときの気持ちや、オムツを交換したり、入浴介助や、食事を作ったりするときの気持ちが良くわかるので、その気持ちと、将棋の駒のように人を動かそうとする経営者の気持ちとは違うのだと思いました。これから、その違いをどのように埋めていくのか、課題が出てきたと思いました。そのように思うと、イエス様が、人間として地上に来られ、私たちのすべての体験を(罪を犯すこと以外は)お通りになって、私たちと思いを一つにしてくださるというのは、何とありがたいことだろうと思いました。

  人からではなく神様から認めていただく(デビット・カン講演21)

私も、いろんな人から、自分の伝道活動に対して非難を受けたことがあります。あまりそんなものは気になりませんでした。狂信者、極端な人物、と呼ばれたこともありました。完全主義者とか、そういった、ありとあらゆる譴責を受けました。デビット・カンが、ある日酒場から女性と腕を組んで出て来たのを見たぞ、という噂も流されました。私の評判、人格を無きものにしようと、いろんな試みがなされたのです。デビット・カンは金持ちになって、高級マンションに住んで、金の蛇口をひねっているぞ、という噂まで流されました。「伝道活動で、悪質のもうけを自分の懐に入れて大儲けをしているぞ」、いろんな噂を流されました。これは全部嘘ですよ。
私は今でも、あそこにトレーラーがありますよね。ああいった家に住んでいます。私は今まで一戸建ての家を所有したことは一度もありません。でも主にあって、いつも私は幸福です。富とか世的なものに関してはどうでもいいのです。私にとっては・・・。もう、とうの昔に、私は世の中の幸せや、富や名声、地位を放棄しました。毎日毎日、神様から認めていただくだけで、私にとっては十分であります。たくさんの人から、いろいろな非難を受けました。私を意気消沈させようと、いろんな試みがなされました。しかし、気にしませんでした。どうでもいいんです。