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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演20)

2012年11月20日 | 日記



   ひまわりさんより(11月20日)

神学校へ行っている息子が、興味深いことを言っていました。それは、黙示録14章に出てくる144、000人の生きてイエス様を迎える人々の特徴の事です。彼らは、「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く」(14章4節)とあります。普通にはこれは、イエス様の苦難の道を歩んでいく、という意味のことだと思いますが、息子は最近、聖所の研究をしており、その研究を通して、イエス様は今、何処に居られるかというと、天の至聖所に居られるのです。144,400の人々が、「イエス様の行かれるところへはどこへでもついて行く」のだとすれば、その人々は、天の至聖所にまでついて行かなければならないのです。恵みの御座であり、さばきの座でもある至聖所の、契約の箱の前に、「まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づ」(ヘブル10:22)くという経験が必要なのです。そして、私たちの経験として、至聖所に入るということは、み言葉がその人の体験になり、その人がもう罪を犯せなくなるということだと思います(1ヨハネ3:9参照)。

  ヨブの忍耐を学ぶ(デビット・カン講演20)

終末において、七つの災害の最初の災害が「できもの」ですね(黙示録16:2)。ヨブはあたかも神様から見放されたような状態に追いやられました。そしてヨブが灰の上に座っていた時に、彼の妻が彼のところにやってきて、「あなたは神様を呪って死になさい」と言いました。ヨブにとって、これは本当に苦しい状態でした。皆さんだったら、あのような状態に置かれて、どのようになされるでしょうか。
聖徒たちが「ヤコブの悩み」に投げ入れられるという意味、皆さん理解しておられますか。どんな状態に陥っていくのか、私たちにはわかっていません。ただヨブの忍耐を学ぶ必要があるのです。神様に対する愛を、しっかり持つ必要があります。





なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演19)

2012年11月19日 | 日記



   ひまわりさんより(11月19日)

今日は朝から直接利用者さんの家に訪問し、一日外回りの仕事でした。しかも、知らない家がほとんどだったので、方向音痴の私は、不安だらけでした。でも、会社が私のために最新式のナビ、ゴリラを取り付けてくれたので、それに頼って何とか仕事を続けることができました。そして、仕事が終わり、家に帰る時になって、自分の家をセットしてスタートしたら、今まで全く知らないコースを、進むよう指示されるのです。これでいいのだろうか、と心配でたまりませんでしたが、ナビは、上から私の車を見ていて指示するのだから、間違いはないはずだと思って進みました。そうしたら思いがけず、近道で家に帰りつくことができました。その時、天の神様は、上から見ていて、天国へ行く一番の近道を教えていて下さるのだから、自分の思いを入れないで、聖書に従っていきたいという思いが強められました。




    ヨブの忍耐(デビット・カン講演19)

ヨブの子供たちがお祝いしているときに、屋根が崩れて子供たち全員が死んでしまいましたね。皆さんの家族でそのようなことが起こったら、どのように感じられますか。その時にもなお、神様をほめたたえ、神様に栄光を帰することができますか。それとも皆さんだったら、不平不満を神様に向かってぶつけるでしょうか。ヨブはその時、口を閉ざして不平不満を口にすることはありませんでした。
その次に、彼の富が全部奪われていきました。その時も、彼は文句を言いませんでした。サタンが再びやってきて、神様が尋ねられるわけですね。「あなたはどこから来たのか」。「私は地球の支配者です」。神様は、「あなたが地球の支配者だというなら、なぜあのヨブのような人物が、まだあなたの支配する国に住んでいるんだ」と言われました。「神様、待ってくださいよ」と、サタンは言うわけです。「私が彼の身体に触れるのを許されるならば、彼はあなたを拒むようになるでしょう」。そこで神様は、サタンに向かって、「あなたが彼の命を奪うのでなければ、あなたの好きなように彼を苦しめなさい」と言われました。そのあと彼の身体全体に吹き出物ができました




なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演18)

2012年11月17日 | 日記



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     ひまわりさんより(11月18日)

今日は息子の行っている大学の学園祭で、保護者も手伝いがあるため出かけました。学園祭は4時には終了したので、帰りに、近くのDIYで、ジョイの場所のライトを買いに行きました。引っ越してきてから、ジョイはずっと外で過ごしていますが、日の暮れるのが早くなり、夜の散歩やえさやりのとき暗くて困っていました。そこで屋外でも安全な、ハロゲンライトを、夫につけてもらいました。150Wの強力な灯光器なので、回りがとても明るくなりました。ジョイの顔がはっきり見えて、アイコンタクトもとれるようになり、ついでに鯉の水も、取り替えることができました。本当に光というのはなんとありがたいものだろうと思いました。そして、イエス様が、あなたがたは世の光である、と言われたように、私たちが光となっていかなければならないことを思いました。


  ヨブと信仰のテスト(デビット・カン講演18)


私たちはなぜ神様に仕えるのですか。ある時イエス様は、ペテロに向かって言われました。「ペテロよ。サタンがあなたの名を呼んでいる。あなたの名を呼んでテストします」。サタンは、私たちの名前も天で用います。しかし神様が、まだあの人については終わってないよ、と言われます。待っていなさい、待っていなさい、と神様は言われます。今現在に至るまで、神様はずっと私たちのために、時間を稼いでおられるのです。
しかし、遅かれ早かれ、私たちの名前が、天において取り上げられる時が来ます。それが調査審判なんですね。その時、私たちの心の真の動機が吟味されます。「なぜ、私たちが神に仕えているのか」。サタンがヨブを訴えたときに、神様は何をされましたか。神様は他に選択肢がなかったんですね。神様は、ご自分が正しいということを証明するために、サタンがヨブを試練に陥れることを許されたのです。そういったわけで、ヨブは激しい試練にあうことになりました。



なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演17)

2012年11月17日 | 日記



  ひまわりさんより(11月17日)

今日の安息日は、K教会を、初めて訪問しました。とても明るい会堂の外観でいい印象でした。讃美歌礼拝では、皆さんが大きな声で賛美しておられ、私たちも久しぶりに声高らかに賛美しました。教課研究や礼拝は、昔からの知り合いのS先生で、力強いメッセージでした。私たちがこの教会へ行ったのは、実は、先日郷里の熊本教会へ行ったとき、母と同世代の信仰の仲間であるNさんの息子さんが、最近毎週この教会へ出席しておられると聞いたので、あいさつに伺ったのです。九州男児なので、ごつい方をイメージしていたのですが、とても穏やかな雰囲気の方でした。うれしかったのは、この方をはじめ、三人の方に、11月10日に紹介した証をお渡しできたことです。一人でも多くの、心ある方が、聖所の真理に目が開かれたらと、願いつつお渡ししました。(写真は昨日紹介した我が家の庭のサフランです)

   サタンの攻撃材料(デビット・カン講演17)

サタンはそれに反論して何と言いましたか。「ちょっと待ってくださいよ」とサタンは神様にいうわけです。「ヨブがあなたに仕えているのには理由があるんですよ。あなたが彼を祝福されているから、ヨブはあなたに仕え、礼拝しているんですよ。あなたが彼の周りにまがきを設けられて、彼を守っているから、彼はあなたに仕えているわけですよ。
サタンが言っていたのは、言い換えればヨブが神様に仕えている理由は、利己的な動機だというわけですね。同じような批判を、サタンは神様に対して、私たちを引き合いに出して攻撃します。神様が私たちを義認され、私たちが義人となったと宣言されたとき、サタンがやってきて、神様を譴責します。「そんな事ないですよ。なぜ彼らが、あなたに仕えていると思いますか。あなたが彼らを祝福しているからでしょう。経済的にも、健康的にも、家族も、あなたが彼らを祝福しているから、彼らは良い生活をしているからですよ。彼らはまた、天国へも行きたいと思っているから、だから、あなたに仕えているのです。でも、もしあなたが彼らを試練の中に突き落とすならば、苦しみ、悩み、試練を彼らに与えたならば、彼らはあなたを呪って、あなたに仕えるのをやめるでしょう」。常にサタンは、私たちをネタに神様をそのように譴責します。




なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演16)

2012年11月16日 | 日記



    ひまわりさんより(11月16日)

ここ2,3日の間に、夏植えたサフランが咲き出しました。可憐な紫と、黄色と赤の雄しべ雌しべが色鮮やかです。サフランは、聖書にも登場する植物で、イザヤ書には、このように書かれています。「荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは花咲き、さふらんのようにさかんに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う」(35章1,2節)この聖句は天国の情景だと思いますが、天国で、この美しい花と会えるのは楽しみです。ちなみに、さふらんの花言葉は、「歓喜」ということで、この聖句からとられたのかもしれませんね。

    サタンの支配に屈しない人(デビット・カン講演16)

本当に世界情勢を見るときに、考えさせられる状況です。私自身は、日曜休業令が実際にやってくるその日その時は知りません。イエス様が、何年に来られるか、それも私は知りません。しかし、本当に近いということだけは、私は知っています。目覚める時であります。こういった諸事件を、聖書の預言と照らし合わせて見ていくときに、私の中で恐れが生じます。あまり準備する時間が残されていないことを知っているからです。アメリカ合衆国が、債務不履行に間もなくなろうとしているのです。
次に、ヨブ記1章の6節から12節を見てみましょう。6節を見ますと、「ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた」。ここに出てくる神の子たちというのは誰のことでしょうか。これは、はじめに生まれた「長子の教会」と言うんですね。このような言葉遣いはヘブル書12章にも出てきます。(23節)この、地上の長子とは誰のことでしょう。アダムですね。
この宇宙には、もう数多くの堕落していない星があって、そこにも長子らがいるわけです。これらの人々が時折り集まって、他世界の長子たちが各惑星から集まってきて、神様と一緒に会議を開きます。その場所にサタンが現れたというわけです。神様が7節で「あなたはどこから来たか」と尋ねます。「サタンは主に答えて言った。地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。ヘブル語によると、この意味あいは、「私がこの地球という星を支配していて、私が代表者としてやってきたんだ」ということなんです。そこで神様は再び尋ねます。「もしそうであるならば、なぜあなたの国に、ヨブのような全く正しい、神を恐れ、悪に遠ざかる者が、まだあなたの支配下にある世界に住んでいるのだ」と尋ねたわけです。
ヨブの存在が、この地球がまだ完全にサタンの支配下に陥っていないということの証拠になっていたわけです。サタンがこの地球の支配者であると主張しても、この地球には、サタンの支配下にいない人たちがいる、ということですね。その人たちが義人なんです。その人達が勝利者なのです。私たちもまた、この世界はサタンの支配下にはなく、神様にこの世界は属するんだという事の証人になっていくわけですね。