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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

人は何のために生きるのか?ソン・ケムン 第16回

2017年08月24日 | 日記

また、人々はこのように言います。"新約で律法の問題はすべて解決されたのではないですか?律法は十字架ですべて廃止されたのではないですか?

皆さん、偏見を捨てて聖書を見てください。イエス様は律法学者たちと安息日論争を何度もされましたが、その論争の内容は「安息日を何曜日に守るべきか」とか「安息日を守るべきか」、そのような論争でしたか? いいえ!安息日を守る精神に関するものでした(マタイ12章参照)。"安息日をどう守るのか?"に関することでした。イエス様が安息日に人のために奉仕されたことが、安息日礼拝を廃止されたという意味ですか? それともパリサイ人のようにではなく、イエス様のように安息日を守りなさいという意味ですか? キリストはユダヤ人たちの習慣通りには安息日を守られませんでした。それで宗教指導者たちは、イエス様を殺そうとしました。今日も多くの人たちがこれと同じ精神を持っています。安息日の見解に対して、自分たちと違うからと言って、異端だと言って殺そうとしています。皆さんもそのような群衆に属していますか?

 

キリスト教で大事な事件は、十字架と復活の出来事です。そうです。しかし、重要な日は安息日です。日曜日は十字架と復活を記念するためだと言いますが、その日を記念しなさいという命令は聖書の中にありません。私たちはキリスト教信仰の中心事件である、十字架と復活を信じなければなりません。そして重要な日である安息日を覚えて聖としなければなりません。聖書を創世記から黙示録まで読んでも、その中で日曜日を神聖にしたという記録は一言も探せません。

 

皆さんご存知ですか? “教皇は単なる人間ではなく、神様だ”とカトリック教会は主張します。教皇は天使たちまでも破門する権威を持っていて、彼の発言は聖書より上にあると主張しています。安息日の変更は、イエス様や弟子たちが行ったことではありません。真のキリスト教徒たちを猛烈に迫害したカトリック教会が、異教と妥協して安息日を土曜日から日曜日に変えたのです。これがキリスト教の歴史であって、皆さんが知るべき重要な事実です。

□ルターは、こう言いました。

彼ら(カトリック教会)は一見、十戒に反するかに見える安息日を主の日に変更したことを引く。そして、どの例においても安息日変更ほど、彼らが利用するものはない。教会が十戒の一つの教えを省いたので、彼らは教会の権威がきわめて大きいと言っている」。(Martin Luther、Augsburg Confession of Faith、Art.28、Par.9)


人は何のために生きるのか?ソン・ケムン 第15回   

2017年08月23日 | 日記

□イエス様が亡くなられた金曜日の午後3時。

十字架で亡くなられる前にイエス様が最後に言われた言葉は何ですか。「すべてが終った」と言って亡くなられました。ところで「すべてが終った」時がほかにもあります。いつですか? 創世記2章で、神様が天地万物を造られた六日目の金曜日の午後、すべての作業が終ったと宣言されました。そしてすべての作業が完成した後で、安息日を制定して創造を記念されました。

人間が堕落して罪の奴隷になっている時、イエス様は人間の罪の代価を払われ、その後で、同じ時間に、同じ言葉で「すべてが終った」と宣言されました。その後、どうなりましたか? 日が暮れて安息日に入って、すべての仕事を終えて休まれました! 十字架で亡くなられることによって、私たちを創造された創造主としての責任と、救世主としての責任を果たされました。イエス様は創造主であり、救い主です。安息日は、創造と救いが調和した最高の記念になりました。十字架でこの二つの驚くべき出来事が起きました。

 私たちはイエスの十字架を通して、私たちを創造してくださっただけではなく、罪の奴隷になって、食べ物のために生きていた私たちを救うために救い主として来られたイエス様に会うことができます。安息日はエジプトからの解放だけでなく、罪からの解放を伝える記念日になりました。安息日を守ることで、罪から救われたことを思い出すことができます。罪からの解放を与える方が、安息日の主です。聖書の他のどんな出来事も、この驚くべき真理を表すことはできません。"ただ、安息日だけです!"

 [反論]

□ このように説明しても、多くの人が"安息日はユダヤ人のために制定されたのではありませんか"と言います。それなら、偶像を崇拝するな、エホバの名をみだりに唱えてはならない、殺人をしてはいけない、などの戒めもユダヤ人だけのために制定されたということですか?

□ 聖書のどこにも安息日がユダヤ人だけのものだと言うところはなく、むしろ<世界を創造された故に> と宣言します。 ユダヤ人の安息日ではなく、神様の安息日です。安息日は人類の始まりと同時に最初から守るように命じられた日です。またこの時は、ユダヤ人が存在もしていなかった時です。


人は何のために生きるのか?ソン・ケムン 第14回  

2017年08月20日 | 日記

イスラエルの民がエジプトから出た後、安息日を守る理由がもう一つ付け加えられました。本来は、人や天地万物を創造された神様を礼拝する日でしたが、エジプトを脱出した後は、奴隷生活から解放された記念日という意味が追加され、安息日を守ることが命じられました。

□申命記5:15

「あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられるのである」。

奴隷生活から解放された日を何と言いますか? 独立記念日と言います。神様があなたを救ったことを記念して、戒めを守りなさいと言われたのです。人々は、"戒めを守れば救われますか?"と聞きます。いいえ、救われた人は神様の戒めを守ります。その人が神様の戒めを破っているなら、その人は救いが何かを知らない人だという事実を覚えてください。

 安息日は創造を祝う創造の記念日だけではなく、神様の民はどうやって生きるべきかという、生命の法が制定された憲法記念日であり、奴隷暮らしから解放された独立記念日の意味が含まれています。このすべての意味が安息日の中に美しく調和しています。

 記念日というのはその日に起きた、歴史的な出来事を記憶する時間的な意味を持ちます。夫婦が結婚記念日を、1年の中の適当な日に決めて祝うでしょうか? 記念日を変えたり、どの日でも記念日にしていいという考え方を持つ人はいないでしょう。ですから、地球が存続する限り創造が記念されるのです。創造主である神様は、安息日を通して創造に基づいた礼拝を捧げるようにされたのです。

 安息日は食べることを中心とする生き方から離れ、神様を中心とする生き方をしていることを表す日です。産んだだけで後は知らないと言うなら、親ではありません。ずっと責任を負わなければなりません。痛ければさすってあげ、迷子になったら探さなければなりません。神様は人間を造られただけでなく、最後まで責任を負われる方です。人間を創造して安息日を記念として与え、私があなたの親だということを知らせてくださいました。やがて、その人間が罪の奴隷になって売られてしまったので、創造主である神様が、罪の奴隷になった人間を探して解放するために、罪でまっ黒になったこの世界に、しもべの姿をとって来られました。 


人は何のために生きるのか?ソン・ケムン 第13回  

2017年08月19日 | 日記

□出エジプト記20:8-11。

「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」。

 なぜ安息日を聖とせよと命じられましたか。「私は君を造った創造主、神だから」と言われるのです。ここで「あなた」は親「あなたのむすこ、娘」は子どもたちです。 安息日の戒めの中に何がありますか。安息日の中に家庭が入っています。エデンの二つの制度が安息日にも入っています。家庭の回復です。エデンの園が安息日を通して再現されます。さらには家畜も安息日を守るようにしてほしいと言われました。多くの人は、安息日がユダヤ人のものだと言いますが、ユダヤ教を信じる牛や羊を見たことがありますか。皆さん、安息日は宗教的な日ではありません。安息日は生命の法則です。生命の法です。安息日は宗教的法ではありません。人間であれば、守らなければならない生命の法則なのです。

□出エジプト記23:12を見てみましょう。

「あなたは六日のあいだ、仕事をし、七日目には休まなければならない。これはあなたの牛および、ろばが休みを得、またあなたのはしための子および寄留の他国人を休ませるためである」。

 「 休ませる 」という言葉は、ヘブライ語で"私を新たにしてくれる"という意味です。 ただ、休んで何もしないのではなく 、英語では"Refresh" つまり、復活させる、再創造する、新たにしてくれる、という意味です。罪は人間の魂を苦しめます。そのような人間に、真の休みと真の生命力を与える日が安息日です。再創造される日です。新たになる日です。すべての被造物は創造主、神様の秩序に従う時、安全、安心なのです。「安息日を覚えて、これを聖とせよ」ということは、食べるために生きるのではなく、この世に生まれた理由を知りなさい、創造の目的を覚えなさい、という神様の愛の命令です! "食べる問題が解決されたら、信じる。"これは取り引です。このような人は食べ物がなくなると、イエス様を信じなくなります。 


人は何のために生きるのか?ソン・ケムン 第12回

2017年08月18日 | 日記

親になれる資格は何でしょうか。とても簡単ですね?子供を生んだことによって親になります。子どもたちから尊敬を受け、親としての責任と権利を持つのは彼らを生んだからです。同様に、神様になる資格は創造にあります。ですから、人間から礼拝と尊敬を受ける理由も創造にあります。 安息日はどんな宗教創始者の発明品でもありません。それは創造主自身によって定められた最初の制度です。創造のわざを記念して、被造物である人間が喜んで"創造主を礼拝するように"と始められた日です。安息日を守ることは、エホバを自分の創造主として信じるという信仰告白です。私たちが親を尊ぶ理由は、自分を産んでくれたからであるように、神様を礼拝する理由は、その方が私の創造主であるからです(イザヤ43:21)。

 神様が人間を創造された後、人間が罪を犯す前に、エデンの園で人類に下さった二つの制度あります。皆さんそれが何かわかりますか? 安息日と、家庭制度です。 その一つ目の安息日について、創世記2:1-3にはこうあります。

「こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである」。

 エデンの園で罪を犯す前に与えられていた安息日が、長い間罪によって忘れられていたため、もう一度記憶するように、神様が自らシナイ山に来て十戒を与えられました。憲法が公布された日を何と呼びますか。憲法記念日です。この時神様は、単なる宗教法ではなく、人を生かす生命の法を与えられたのです。