また、人々はこのように言います。"新約で律法の問題はすべて解決されたのではないですか?律法は十字架ですべて廃止されたのではないですか?
皆さん、偏見を捨てて聖書を見てください。イエス様は律法学者たちと安息日論争を何度もされましたが、その論争の内容は「安息日を何曜日に守るべきか」とか「安息日を守るべきか」、そのような論争でしたか? いいえ!安息日を守る精神に関するものでした(マタイ12章参照)。"安息日をどう守るのか?"に関することでした。イエス様が安息日に人のために奉仕されたことが、安息日礼拝を廃止されたという意味ですか? それともパリサイ人のようにではなく、イエス様のように安息日を守りなさいという意味ですか? キリストはユダヤ人たちの習慣通りには安息日を守られませんでした。それで宗教指導者たちは、イエス様を殺そうとしました。今日も多くの人たちがこれと同じ精神を持っています。安息日の見解に対して、自分たちと違うからと言って、異端だと言って殺そうとしています。皆さんもそのような群衆に属していますか?
キリスト教で大事な事件は、十字架と復活の出来事です。そうです。しかし、重要な日は安息日です。日曜日は十字架と復活を記念するためだと言いますが、その日を記念しなさいという命令は聖書の中にありません。私たちはキリスト教信仰の中心事件である、十字架と復活を信じなければなりません。そして重要な日である安息日を覚えて聖としなければなりません。聖書を創世記から黙示録まで読んでも、その中で日曜日を神聖にしたという記録は一言も探せません。
皆さんご存知ですか? “教皇は単なる人間ではなく、神様だ”とカトリック教会は主張します。教皇は天使たちまでも破門する権威を持っていて、彼の発言は聖書より上にあると主張しています。安息日の変更は、イエス様や弟子たちが行ったことではありません。真のキリスト教徒たちを猛烈に迫害したカトリック教会が、異教と妥協して安息日を土曜日から日曜日に変えたのです。これがキリスト教の歴史であって、皆さんが知るべき重要な事実です。
□ルターは、こう言いました。
「彼ら(カトリック教会)は一見、十戒に反するかに見える安息日を主の日に変更したことを引く。そして、どの例においても安息日変更ほど、彼らが利用するものはない。教会が十戒の一つの教えを省いたので、彼らは教会の権威がきわめて大きいと言っている」。(Martin Luther、Augsburg Confession of Faith、Art.28、Par.9)