今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

釈迦山 百済寺(滋賀県東近江市百済寺町)

2013年09月05日 | 神社・仏閣
湖東三寺の最後の寺となる百済寺。
この三寺は秘仏公開なども同じ期間に行うなど結びつきは強いようだ。


百済寺の歴史
滋賀県東近江市にある天台宗の寺院。
山号を釈迦山と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は聖徳太子とされる。

聖徳太子は当時来朝していた高麗(高句麗)の僧・恵慈とともにこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。
その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで十一面観音の像を作り、像を囲むように堂を建てた。
これが百済寺の始まりであるといい、百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。


表参道の途中に駐車場があり、その下の方にこの寺の顔となっている「赤門」があるらしい。
初めて訪れる寺だけにその辺の事情も知らず、湖東三寺に共通する石段があったので無意識で上を目指してしまっていた。 




緑に囲まれた薄暗い参道は外気温から-5~6℃で、年間を通しても30℃をこえることは1週間もないそうだ。
参道は石段と坂があり体力によって選択することができるが、下が土の方が膝には負担がかからない。
参道の左右には僧坊跡と思われる空間が広がっている。




「地上の天国」から
宣教師のルイス・フロイスは書簡に百済寺を地上の天国と書いていたが、百済寺の僧が敵対していた六角氏に通じていたことが、織田信長の逆鱗に触れ、徹底的に焼き払われたという。
信長後記には「4月11日、百済寺堂塔・伽藍・坊舎・仏閣、悉く灰燼となる。哀れなる様、目も当てられず」と表現されている。




仁王門
石段を上がると仁王門が見えてくる。
百済寺の創建は推古14年(606)、一説では崇峻3年(590)だという。
日本最古の寺「飛鳥寺」は崇峻元年(588)に着工されていることを考えると、何も残されていないのが残念な気もする。




金剛力士像






本堂側から見た仁王門



仁王門からさらに石段を上がると本堂が見えてくる。



本堂(重要文化財)
入母屋造、檜皮(ひわだ)葺き。江戸時代初期、慶安3年(1650年)の再興である。
中世以来の密教仏堂の形式を残しつつ細部には近世的特質の現われた建築で、2004年に重要文化財に指定されている。
元来の本堂は現在地の裏手にあり、規模も大きかった。また、旧本堂の右方(南)には五重塔が建っていた。







鐘楼 



当時は歴史的背景やその価値も知らず「ずいぶん寂しい寺だな」と思い、この鐘を強く撞いた記憶がよみがえった。



撮影 平成22年7月24日
コメント
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