石山寺の歴史
滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁。
石山寺は京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている。
また、『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。
東大門(重要文化財)
参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立。
本来なら門の両脇の仏像の写真があるはずなのだがどうも撮していなかったようだ。
東大門からみごとに整えられた参道を歩く。
くぐり岩
天平時代のもので体内くぐりの状態をつくっている。
私も挑戦してみたが、蕎麦を中心とした麺類を主食とし体重も随分軽くはなってきてはいるが、幅の部分で問題があるということがわかったので、あっさりあきらめることとした。
島崎藤村ゆかりの密蔵院
本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている
遠くに多宝塔の上の部分が見える。
本堂(国宝)
正堂、合の間、礼堂からなる複合建築である。
正堂は承暦2年(1078年)の火災焼失後、永長元年(1096年)に再建されたもので、滋賀県下最古の建築である。
内陣には本尊如意輪観音を安置する巨大な厨子がある。
合の間と礼堂は淀殿の寄進で慶長7年(1602)に建立されたものである。
合の間の東端は「紫式部源氏の間」と称され、執筆中の紫式部の像が安置されている。
礼堂は傾斜地に建ち、正面は長い柱を多数立てて床を支える懸造(かけづくり)となっている。
紫式部源氏の間
井沢元彦氏の「逆説の日本史」の4中世鳴動編の第3章に源氏物語について書かれているのを偶然読むことになったが、歴史的背景を考えながら撮すとよい写真になったのかもしれない。
多宝塔(国宝)
建久5年(1194)建立で、年代の明らかなものとしては日本最古の多宝塔である。内部には快慶作の大日如来像を安置する。
高野山の多宝塔が2番目に古く、1番古い塔が石山寺の多宝塔。旅の最後の日の記念になった。
月見亭
撮影 平成22年7月28日
滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁。
石山寺は京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている。
また、『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。
東大門(重要文化財)
参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立。
本来なら門の両脇の仏像の写真があるはずなのだがどうも撮していなかったようだ。
東大門からみごとに整えられた参道を歩く。
くぐり岩
天平時代のもので体内くぐりの状態をつくっている。
私も挑戦してみたが、蕎麦を中心とした麺類を主食とし体重も随分軽くはなってきてはいるが、幅の部分で問題があるということがわかったので、あっさりあきらめることとした。
島崎藤村ゆかりの密蔵院
本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている
遠くに多宝塔の上の部分が見える。
本堂(国宝)
正堂、合の間、礼堂からなる複合建築である。
正堂は承暦2年(1078年)の火災焼失後、永長元年(1096年)に再建されたもので、滋賀県下最古の建築である。
内陣には本尊如意輪観音を安置する巨大な厨子がある。
合の間と礼堂は淀殿の寄進で慶長7年(1602)に建立されたものである。
合の間の東端は「紫式部源氏の間」と称され、執筆中の紫式部の像が安置されている。
礼堂は傾斜地に建ち、正面は長い柱を多数立てて床を支える懸造(かけづくり)となっている。
紫式部源氏の間
井沢元彦氏の「逆説の日本史」の4中世鳴動編の第3章に源氏物語について書かれているのを偶然読むことになったが、歴史的背景を考えながら撮すとよい写真になったのかもしれない。
多宝塔(国宝)
建久5年(1194)建立で、年代の明らかなものとしては日本最古の多宝塔である。内部には快慶作の大日如来像を安置する。
高野山の多宝塔が2番目に古く、1番古い塔が石山寺の多宝塔。旅の最後の日の記念になった。
月見亭
撮影 平成22年7月28日