今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

廬山天台講寺<蘆山寺>・東山 建仁寺(京都府京都市上京区・東山区)

2013年09月25日 | 神社・仏閣
京都御所の周辺を散歩していると、初めて聞く名ではあったが蘆山寺と書かれた寺門があり、沿革などを読んでいると急に興味が湧き入ることにした。

圓浄宗大本山 廬山寺<廬山天台講寺>
京都市上京区にある天台系の単立仏教寺院。圓浄宗の本山。本尊は阿弥陀如来。
寺号は詳しくは廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)と称する。紫式部の邸宅跡として知られる。




比叡山延暦寺の中興の祖である良源(元三大師、慈恵大師)により天慶元年(938年)に京都の北山に創建。
寛元元年(1243年)に法然の弟子である覚瑜が船岡山の南麓に再興、中国の廬山にならい廬山天台講寺と号した。

日本人で唯一人「世界の五大偉人」に選出され、フランスのユネスコ本部に登録された世界最古の偉人並文豪紫式部は、「平安京東郊の中河の地」すなわち現在の廬山寺の境内(全域)に住んでいた。



    めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に     
             雲がくれにし夜半の月影  (紫式部)

紫式部が幼友達に贈った歌である。
『思いがけず出合って、その形を見たのかどうか分からぬうちに、雲の中に隠れてしまった夜中の月のように、久し振りにお目にかかり、お姿をみたかどうか分からぬうちにもうあなたはお帰りになられましたのね。』といった意味である。


御内仏殿(本堂)



源氏庭
紫式部が育ち、未婚時代を過ごしたのは堤第といわれた藤原兼輔が建てた邸宅であり、父・為時の邸宅に住んでいた。



この邸宅で結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ)を育て、源氏物語を執筆した。  



それは平安京の東に接した中河と呼ばれる地にあり、現在の廬山寺の境内を中心とする処に営まれていた。 



さすが、京都。小さな寺ではあるがやはり歴史がある。




どのように移動したのか、何故、建仁寺に行ったのか全く記憶がない。 

臨済宗建仁寺派大本山 東山 建仁寺
京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。
山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。
京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」が有名。


法堂(仏殿と法堂を兼ねている)
明和2年(1765年)の建立。本尊 釈迦如来






双龍の絵



平成14年(2002年)創建800年を記念して天井に小泉淳作により双龍の絵が描かれた。









安国寺恵瓊首塚



東陽坊
北野大茶会の際に千利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が好んだと伝えられる茶室。二畳台目下座床の席。



構成・意匠ともに薮内家の燕庵に共通する点が多く見られる。大正年間に現在地に移築された。




由緒ある庭なのかも知れないが



興味があるのはこちらの庭。奥に和服の二人の若い女性がいる。



後ろから庭を撮るふりをして、こっそりシャッターを切る。



女性が突然振り返り「写真撮ってくれませんか」とカメラを渡された。「いいですよ」と撮ってあげたが感じのよい女性だったので。
「さっき、あまりにも美しかったので1枚撮らせてもらいました」と言うと。
「知っていましたよ」と笑って応える。「それでは、もう1枚後ろ姿でいいですから撮らせてください」とお願いすると。
「どうぞ」と快諾してくれた。2枚撮らせてもらったうちの1枚である。



ここで、思い出したが、この日着物をきた女性が沢山歩いていた。
そのうち数名が建仁寺に入ったのでつられて入ったような気がする。面目ない……。   


撮影 平成22年10月12日
コメント
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