多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社。
伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれた。
また、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めた。
鳥居
鳥居前には土産店が立ち並び賑わいをみせている。観光バスの出入りも多く観光客が多い。

そり橋(太閤橋)
天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため社殿改修を行い大名に与えるに等しい1万石を寄進した。
境内正面の石造りの太鼓橋(大僧正慈性により寛永15年〈1638年〉造営)は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。

この「そり橋」は神橋であり、例祭には神輿が渡る。
自由に通行が認められているので渡ってみたが、かなり角度がある橋で丸太がなければ雨上がりのため滑ってしまう。

秋葉神社

愛宕神社

天満神社

御神門


当社にはお守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあるが、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされている

この石は通称「さざれ石」といわれ、古今集に天皇の大御代の弥栄を寿ぎ祈り、この石の如くましませと詠われ、日本国歌となった

御神馬

拝殿
度重なる喪失と再建。現在の建築は明治から昭和期のもの。


能舞台

拝殿の奥に神楽殿がある


寿命石
東大寺再建を発念して20年にならんとする齢61の重源が、着工時に成就祈願のため伊勢神宮に17日間参籠したところ、夢に天照大神が現れ、「事業成功のため寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願せよ」と告げた。

重源が多賀社に参拝すると、ひとひらの柏の葉が舞い落ちてきた。見ればその葉は「莚」の字の形に虫食い跡の残るものであった。
「莚」は「廿」と「延」に分けられ、「廿」は「二十」の意であるから、これは「(寿命が)二十年延びる」と読み解ける。
神の意を得て大いに歓喜し奮い立った重源は以後さらに20年にわたる努力を続けて見事東大寺の再建を成し遂げ、報恩謝徳のため当社に赴き、境内の石に座り込むと眠るように亡くなったと伝わる。
今日も境内にあるその石は「寿命石」と呼ばれる。
右から熊野神社、天神神社、熊野新宮

三宮神社(右)、聖神社

花の周りに人が集まっているので近寄ってみると。「七・五・三」の花文字が

本殿の千木が遠くに見える


陽も落ち帰ることに、御神門付近も参拝者が少なくなってきた

帰りも「太閤橋」を当たり前のように渡り駐車場へ向かった。

この日は、五村別院、姉川古戦場、観音寺、松尾寺そして多賀神社参拝と充実した一日となった。
撮影 平成25年11月8日
滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社。
伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれた。
また、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めた。
鳥居
鳥居前には土産店が立ち並び賑わいをみせている。観光バスの出入りも多く観光客が多い。

そり橋(太閤橋)
天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため社殿改修を行い大名に与えるに等しい1万石を寄進した。
境内正面の石造りの太鼓橋(大僧正慈性により寛永15年〈1638年〉造営)は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。

この「そり橋」は神橋であり、例祭には神輿が渡る。
自由に通行が認められているので渡ってみたが、かなり角度がある橋で丸太がなければ雨上がりのため滑ってしまう。

秋葉神社

愛宕神社

天満神社

御神門


当社にはお守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあるが、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされている

この石は通称「さざれ石」といわれ、古今集に天皇の大御代の弥栄を寿ぎ祈り、この石の如くましませと詠われ、日本国歌となった

御神馬

拝殿
度重なる喪失と再建。現在の建築は明治から昭和期のもの。


能舞台

拝殿の奥に神楽殿がある


寿命石
東大寺再建を発念して20年にならんとする齢61の重源が、着工時に成就祈願のため伊勢神宮に17日間参籠したところ、夢に天照大神が現れ、「事業成功のため寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願せよ」と告げた。

重源が多賀社に参拝すると、ひとひらの柏の葉が舞い落ちてきた。見ればその葉は「莚」の字の形に虫食い跡の残るものであった。
「莚」は「廿」と「延」に分けられ、「廿」は「二十」の意であるから、これは「(寿命が)二十年延びる」と読み解ける。
神の意を得て大いに歓喜し奮い立った重源は以後さらに20年にわたる努力を続けて見事東大寺の再建を成し遂げ、報恩謝徳のため当社に赴き、境内の石に座り込むと眠るように亡くなったと伝わる。
今日も境内にあるその石は「寿命石」と呼ばれる。
右から熊野神社、天神神社、熊野新宮

三宮神社(右)、聖神社

花の周りに人が集まっているので近寄ってみると。「七・五・三」の花文字が

本殿の千木が遠くに見える


陽も落ち帰ることに、御神門付近も参拝者が少なくなってきた

帰りも「太閤橋」を当たり前のように渡り駐車場へ向かった。

この日は、五村別院、姉川古戦場、観音寺、松尾寺そして多賀神社参拝と充実した一日となった。
撮影 平成25年11月8日