皇大神宮別宮 瀧原宮
温泉に近い道の駅を探し到着した駐車場に巨大な鳥居があった
道の駅で尋ねると由緒ある場所であることがわかった

朝6時に起床し早速参拝に出かけた
しばらく歩くと参道口に真新しい鳥居あり、「瀧原宮」ということを知った

参道の周辺にも巨木が生い茂り自然に囲まれた神域といった感じがする

先に進むと小さな橋が架かっている
この周辺の建物は新しく周辺の風景とは違和感がある

御手洗場

第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、天照坐皇大御神(天照大神)を祀る地を探し、「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので草木を刈り新宮を建てた
その後すぐに神意により現在の内宮のある伊勢市宇治館町に新宮(五十鈴宮)を建てたため、天照坐皇大御神御魂を祀る別宮となったとされる

案内板がないため使用目的は不明であるが、この建物も新しくまだ使われていない

さらに参道を先に進む

瀧原宮(たきはらのみや)と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)
両別宮ともに天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)
瀧原宮はその和御魂(にぎみたま)、瀧原竝宮は荒御魂(あらみたま)が祀られている
参拝順序が示されている

ここでは私の歩いた順で紹介していく
瀧原竝宮(たきはらならびのみや)
簡潔に説明すると、その昔、天照大御神を祀っていたが、皇大神宮(内宮)に遷ったため、現在はその「魂」を祀っていることになる

参拝したときには、何の知識もなくただ手を合わせていた

瀧原宮(たきはらのみや)

天照大神を過去に祀っていた場所を元伊勢と呼ぶが、瀧原宮は別宮とされた


両別宮の本殿は内宮に準じ、内削ぎの千木と、偶数の6本の鰹木を持つ神明作りで、萱葺である

奥の屋根の部分が年月の経過でかなり傷んでいる

手前が瀧原宮、奥が瀧原竝宮。両別宮の社殿は同等である

若宮神社

瀧原宮本宮の右側に鎮座する。瀧原宮所管社3社のうち第1位である

社殿の左手に御船倉(みふなくら)、倭姫命が使用した御船が納められているとされる

正殿は神明造の萱葺、1重の瑞垣と瑞垣御門を有し、1基の神明鳥居が建つ

長由介神社

瀧原宮所管社3社のうち第2位である

「ながゆけ」の音が「長生き」に通じるとして江戸時代には長寿を祈願する参拝者で賑ったという
社殿は神明造の板葺、1重の玉垣と玉垣御門を有し、1基の神明鳥居が建つ

位置関係であるが、右手前が長由介神社、左奥に若宮神社
瀧原宮所管社3社のうち第3位である「川島神社」の正殿は中絶し、長由介神社に同座する

式年遷宮
20年に1度の大祭、神宮式年遷宮は、正殿を始め御垣内の建物全てを新造
さらに殿内の御装束や神宝を新調して、神儀(御神体)を新宮へ遷す
我が国で最も重要なお祭りのひとつで、1300年にわたって続けられ、平成25年秋には第62回の神宮式年遷宮が古式のままに行われた

古殿地・新御敷地と呼ばれる式年遷宮のための空き地が所管社の脇にあり、伊勢神宮に準じて20年ごとに本殿が新築移動される

私が訪れた日が11月4日、この3日後の平成27年11月7日に20年に一度の式年遷宮が行われたことを後で知ることになった

境内の建物が新しい理由がやっと理解できた
昨年も遷宮前の伊勢神宮(内宮・外宮)に参拝したが、あまりにも厳格すぎて窮屈な思いをしたが、ここはとても居心地がよい

参道を歩きながら、何度も深呼吸していたことを思い出した

偶然訪れた場所ではあったが、大切なものを見つけることができたという感動があった
撮影:平成26年11月4日
中断していたブログを何とか再開することができた
作業手順もすっかり頭から抜けてしまい2日間も要してしまった
温泉に近い道の駅を探し到着した駐車場に巨大な鳥居があった
道の駅で尋ねると由緒ある場所であることがわかった

朝6時に起床し早速参拝に出かけた
しばらく歩くと参道口に真新しい鳥居あり、「瀧原宮」ということを知った

参道の周辺にも巨木が生い茂り自然に囲まれた神域といった感じがする

先に進むと小さな橋が架かっている
この周辺の建物は新しく周辺の風景とは違和感がある

御手洗場

第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、天照坐皇大御神(天照大神)を祀る地を探し、「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので草木を刈り新宮を建てた
その後すぐに神意により現在の内宮のある伊勢市宇治館町に新宮(五十鈴宮)を建てたため、天照坐皇大御神御魂を祀る別宮となったとされる

案内板がないため使用目的は不明であるが、この建物も新しくまだ使われていない

さらに参道を先に進む

瀧原宮(たきはらのみや)と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)
両別宮ともに天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)
瀧原宮はその和御魂(にぎみたま)、瀧原竝宮は荒御魂(あらみたま)が祀られている
参拝順序が示されている

ここでは私の歩いた順で紹介していく
瀧原竝宮(たきはらならびのみや)
簡潔に説明すると、その昔、天照大御神を祀っていたが、皇大神宮(内宮)に遷ったため、現在はその「魂」を祀っていることになる

参拝したときには、何の知識もなくただ手を合わせていた

瀧原宮(たきはらのみや)

天照大神を過去に祀っていた場所を元伊勢と呼ぶが、瀧原宮は別宮とされた


両別宮の本殿は内宮に準じ、内削ぎの千木と、偶数の6本の鰹木を持つ神明作りで、萱葺である

奥の屋根の部分が年月の経過でかなり傷んでいる

手前が瀧原宮、奥が瀧原竝宮。両別宮の社殿は同等である

若宮神社

瀧原宮本宮の右側に鎮座する。瀧原宮所管社3社のうち第1位である

社殿の左手に御船倉(みふなくら)、倭姫命が使用した御船が納められているとされる

正殿は神明造の萱葺、1重の瑞垣と瑞垣御門を有し、1基の神明鳥居が建つ

長由介神社

瀧原宮所管社3社のうち第2位である

「ながゆけ」の音が「長生き」に通じるとして江戸時代には長寿を祈願する参拝者で賑ったという
社殿は神明造の板葺、1重の玉垣と玉垣御門を有し、1基の神明鳥居が建つ

位置関係であるが、右手前が長由介神社、左奥に若宮神社
瀧原宮所管社3社のうち第3位である「川島神社」の正殿は中絶し、長由介神社に同座する

式年遷宮
20年に1度の大祭、神宮式年遷宮は、正殿を始め御垣内の建物全てを新造
さらに殿内の御装束や神宝を新調して、神儀(御神体)を新宮へ遷す
我が国で最も重要なお祭りのひとつで、1300年にわたって続けられ、平成25年秋には第62回の神宮式年遷宮が古式のままに行われた

古殿地・新御敷地と呼ばれる式年遷宮のための空き地が所管社の脇にあり、伊勢神宮に準じて20年ごとに本殿が新築移動される

私が訪れた日が11月4日、この3日後の平成27年11月7日に20年に一度の式年遷宮が行われたことを後で知ることになった

境内の建物が新しい理由がやっと理解できた
昨年も遷宮前の伊勢神宮(内宮・外宮)に参拝したが、あまりにも厳格すぎて窮屈な思いをしたが、ここはとても居心地がよい

参道を歩きながら、何度も深呼吸していたことを思い出した

偶然訪れた場所ではあったが、大切なものを見つけることができたという感動があった

撮影:平成26年11月4日
中断していたブログを何とか再開することができた
作業手順もすっかり頭から抜けてしまい2日間も要してしまった