訪問日 令和4年5月17日
越中国一宮 高瀬神社
社伝によると祭神(大己貴命)が北国開拓の折、この地に守り神を祀り
国成りおえて後、自らの魂をも鎮め祀り、出雲へ帰ったと伝えられている


鳥居

初めての神社なので境内の様子を眺める
50mほど正面に社殿らしきものが目に入ってくる

「藤井秀直翁之像」
藤井秀直名誉宮司は、平成14年3月(享年97歳)に帰幽
長寿と功績を称えて平成8年「藤井秀直翁顕彰会」が設立され、銅像建立と記念誌「神のまにまに」を作製する事となった

手水舎
昭和45年に伊勢神宮外宮から移築されたもの


竹筒から水が流れる手水舎は初めてだ

水鉢は、新潟県只見川上流から運ばれた自然石でつくられた「洗心」の禊場
水鉢内には高瀬遺跡から発掘された柱を水中で保護している


狛犬


鳥居(拝殿前)

神馬



拝殿
戦国時代の戦乱により荒廃したが、江戸時代に加賀藩主・前田氏の崇敬を受け、手厚く保護された
昭和17年(1942年)より国費で再建が始まるが、基礎工事が完了した昭和20年(1945年)8月に終戦を迎えた

GHQの指令により国費による再建は中止
崇敬者有志により、昭和22年(1947年)に本殿(流造)、昭和23年(1948年)に拝殿(入母屋造)、昭和62年(1987年)に唐破風の向拝殿が完成した


なでうさぎ
祭神の大国主命は、神話「因幡の白うさぎ」において、過ちを犯し体に傷を負った「うさぎ」のケガを癒し、悪しき心をも改心させたと記述されている

自分が病んでる部位と同じ部位を祈念しながら撫でるとご利益があるという

本殿
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)別名:大国主神

境内に茂る樹齢数百年の杉の巨木

末社 功霊殿
日清・日露戦争から大東亜戦争まで、砺波地区から出征された護国の英霊と、当地方開拓の功労者あわせて6,400余柱を祀る


功霊殿本殿は高瀬神社の旧本殿で、天保7年に建立された井波彫刻の粋を尽したもの

さざれ石

末社 高瀬稲荷社
伏見稲荷大社の分霊を祀る

茶筅塚
使えなくなった茶筅への感謝と茶道の発展・普及を願い建立された

祈り(二紀展 文部大臣賞受賞作品)




撮影日 令和4年5月17日
越中国一宮 高瀬神社
社伝によると祭神(大己貴命)が北国開拓の折、この地に守り神を祀り
国成りおえて後、自らの魂をも鎮め祀り、出雲へ帰ったと伝えられている


鳥居

初めての神社なので境内の様子を眺める
50mほど正面に社殿らしきものが目に入ってくる

「藤井秀直翁之像」
藤井秀直名誉宮司は、平成14年3月(享年97歳)に帰幽
長寿と功績を称えて平成8年「藤井秀直翁顕彰会」が設立され、銅像建立と記念誌「神のまにまに」を作製する事となった

手水舎
昭和45年に伊勢神宮外宮から移築されたもの


竹筒から水が流れる手水舎は初めてだ

水鉢は、新潟県只見川上流から運ばれた自然石でつくられた「洗心」の禊場
水鉢内には高瀬遺跡から発掘された柱を水中で保護している


狛犬


鳥居(拝殿前)

神馬



拝殿
戦国時代の戦乱により荒廃したが、江戸時代に加賀藩主・前田氏の崇敬を受け、手厚く保護された
昭和17年(1942年)より国費で再建が始まるが、基礎工事が完了した昭和20年(1945年)8月に終戦を迎えた

GHQの指令により国費による再建は中止
崇敬者有志により、昭和22年(1947年)に本殿(流造)、昭和23年(1948年)に拝殿(入母屋造)、昭和62年(1987年)に唐破風の向拝殿が完成した


なでうさぎ
祭神の大国主命は、神話「因幡の白うさぎ」において、過ちを犯し体に傷を負った「うさぎ」のケガを癒し、悪しき心をも改心させたと記述されている

自分が病んでる部位と同じ部位を祈念しながら撫でるとご利益があるという

本殿
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)別名:大国主神

境内に茂る樹齢数百年の杉の巨木

末社 功霊殿
日清・日露戦争から大東亜戦争まで、砺波地区から出征された護国の英霊と、当地方開拓の功労者あわせて6,400余柱を祀る


功霊殿本殿は高瀬神社の旧本殿で、天保7年に建立された井波彫刻の粋を尽したもの

さざれ石

末社 高瀬稲荷社
伏見稲荷大社の分霊を祀る

茶筅塚
使えなくなった茶筅への感謝と茶道の発展・普及を願い建立された

祈り(二紀展 文部大臣賞受賞作品)




撮影日 令和4年5月17日