今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

吉田山 新長谷寺(岐阜県関市長谷寺町)

2022年06月15日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月14日

吉田山 新長谷寺(しんちょうこくじ)
通称「吉田観音(きったかんのん)」
真言宗智山派の寺院
貞応元年(1222年)、後堀河天皇の勅命により、空海の四世護認上人の開山
本尊は十一面観世音菩薩。三重塔、本堂など、重要文化財が多く、美濃の法隆寺といわれている

仁王門(関市指定文化財)
宝暦3年に徳川家により再建された






ここまでは普通であるが、仁王像の撮影は禁止と書かれている
事前にネットの口コミなどを読んでいたが本当の話だった



総門
総門前には「境内全域撮影禁止」と「境内全域、カメラ・ビデオ等の撮影は固くお断りいたします。
源氏一族ゆかりの八百年以上の歴史を持つ寺です、公園ではありません。」の札が立っていた。



境内に入ると「境内全域撮影禁止 観光地ではありません。
信仰の場であり仏さまの聖地です。お守りください。No photo」が各所に
写真を撮ることを目的としている私にとっては何とも居心地が悪かった

本堂、三重塔、薬師堂、釈迦堂、阿弥陀堂、大師堂、鎮守堂、客殿は重要文化財に指定されている
室町時代の建立で、屋根は檜皮葺き、別世界に迷い込んだような雰囲気を伝えることができないのが残念だ

三重塔(重要文化財)



撮影日 令和4年5月14日
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日吉神社(岐阜県安八郡神戸町大字神戸)

2022年06月15日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月14日

日吉神社
弘仁8年(817年)伝教大師(最澄)が天台宗の布教に東山道を通った折、神戸(ごうど)の地に立ち寄った
郡司・安八太夫安次は大師の教えに帰依し、大師は安次の懇請に応じて影向山神護寺善学院を建てた
近江坂本・日吉神の四柱の神を勧請、日吉信仰の社を創建した
その後、大師の弟子の慈覚大師(円仁)が伝教大師の足跡を慕って神戸の地に寄り、日吉神社へ三柱の神を勧請した

惣門
伝教大師が四柱、慈覚大師が三柱、合わせて七柱の神々が勧請されて祀られ、今日まで山王七社として奉幣されてきた
当時は神仏は一体であるという神仏習合説がとられた
この考え方により明治時代を迎え神仏分離令が出されるまで、善学院が神社の別当寺として運営に携わってきた



木々に囲まれた参道を歩く
国旗が掲揚されている



正面に見えるのは神輿殿



御手洗



カエルは珍しい



案内板



境内図



「産石」



「牛石」



大物忌神社



竈殿神社



三重塔(重要文化財)
この神社は二度目になる。初回もこの三重塔拝観が目的であった
塔の記憶は強く残っていたが所在地が曖昧で、道の駅の近くにあったことが幸いした






NHK大河ドラマ「春日局」ゆかりの地で、室町時代後期に建立した斎藤利綱は春日局の父 斎藤利蔵の伯父
修造した稲葉一鉄は春日局の叔父









神輿殿



全景(左から二宮・宇佐宮・大宮・客人宮・樹下宮)






大宮(岐阜県指定文化財)<弘仁八年伝教大師最澄勧請(817年)>
日吉神社境内の正面、玉垣の中央に本殿がある
本殿は正殿ともいい、祭神の御座を設ける建築物で、神社の最も神聖な場所である
祭神:大己貴大神(おおなむちのおおかみ)



客人宮<貞観三年慈覚大師円仁勧請(861年)>
祭神:白山姫大神



樹下宮<弘仁八年伝教大師最澄勧請(817年)>
祭神:鴨玉依姫大神(かもたまよりひめのおおかみ)



二宮<弘仁八年伝教大師最澄勧請(817年)>
祭神:大山昨大神(おおやまくいのおおかみ)



宇佐宮<弘仁八年伝教大師最澄勧請(817年)>
祭神:湍津姫大神(たきつひめのおおかみ)



狛犬






牛尾宮<貞観三年慈覚大師円仁勧請(861年)>
祭神:大山昨大神 荒魂(おおやまくいのおおかみ あらみたま)



願望絵馬掛処



三宮<貞観三年慈覚大師円仁勧請(861年)>
祭神:鴨玉依姫大神 荒魂(かもたまよりひめのおおかみ あらみたま)



招魂社
神戸町および大野町本庄の明治、大正、昭和の戦病死軍人四百十余柱



狛犬






早尾神社



神明神社



収蔵庫



三猿



「見ざる、言わざる、聞かざる」という叡智の3つの秘密を示しているとされる



撮影日 令和4年5月14日
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