訪問日 令和5年5月23日
唐津神社
創建は天平勝宝7年(755年)と伝えられている
一の鳥居
この純白の鳥居を通り駐車場へ
これほど大きな白色の鳥居は観た記憶がない
明治6年(1873年)に郷社に列し、これを機に現在の「唐津神社」に改称した
昭和17年(1942年)県社に昇格
二の鳥居
狛犬1
手水舎
正面に社殿が見える
初めて訪れる神社ということもあり左側の境内社から回る
水天宮
唐津在住の筑後人会が筑後地方の総氏神である久留米水天宮を勧請
白玉稲荷神社
江戸末期頃、唐津唐房の黒崎坊が新町の町内安全のため奉祀
廿日恵比須神社
江戸後期頃、刀町の各家で恵比須講が組織され宮座を定めて祀っていた
その後町内で祭礼をしていたが、昭和58年、当神社境内へ奉遷
火伏稲荷神社社
文化年中(1804~1818)、唐津の首町であった本町が町内安全を祈願し稲荷大神を勧請
明治37年当神社境内へ奉遷
狛犬2
狛犬3
三の鳥居
拝殿
昭和13年竣工 間口6間・奥行3間
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願
帰朝後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのが起源とされる
額には「唐津大明神」
天平勝宝7年(755年)領主であった神田宗次が神夢により海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得た
神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、「唐津大明神」の称号を賜ったという
文治2年(1186年)領主 神田廣が社殿を再建し、家祖 神田宗次の神霊を合祀し二ノ宮とした
本殿
祭神:一ノ宮 住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
二ノ宮 神田宗次公
境内図(分かりやすく参考になった)
社務所
狛犬4
石燈籠の上に乗り面白いポーズをとっている
白飛稲荷神社
慶長の頃、京都伏見より呉服町に飛来された稲荷を祀る
壽社
少彦名神、国安命、神亀之霊の三柱を祀る
粟島神社
元は氏子町中町に鎮座していたが、昭和32年 社殿を境内で新築し和歌山淡島本社より御分霊を勧請
鳥居天満宮
天明3年、京町の豪商 常安久右衛門保道は太宰府天満宮へ青銅製の大鳥居を奉献した
製作成就を祈念し木綿町の鋳造場に太宰府より天満宮を勧請
大正年中(1912~1926)に当神社境内へ奉遷
古拝殿
この地域の神社を巡り気付いたのだが、いずれの神社でも「神功皇后」の名前が出てくる
私が数回訪れたことのある、秋田県にある坩満寺には神功皇后が三韓征伐の帰路、大シケに遭って象潟沖合に漂着
皇后は臨月近く、無事に皇子(のちの応神天皇)を産み終えた
その後、象潟で半年を過ごし、翌年の4月鰐淵から出帆し、筑紫の香椎宮に向かったという伝説がある
歴史は面白い
撮影 令和5年5月23日
唐津神社
創建は天平勝宝7年(755年)と伝えられている
一の鳥居
この純白の鳥居を通り駐車場へ
これほど大きな白色の鳥居は観た記憶がない
明治6年(1873年)に郷社に列し、これを機に現在の「唐津神社」に改称した
昭和17年(1942年)県社に昇格
二の鳥居
狛犬1
手水舎
正面に社殿が見える
初めて訪れる神社ということもあり左側の境内社から回る
水天宮
唐津在住の筑後人会が筑後地方の総氏神である久留米水天宮を勧請
白玉稲荷神社
江戸末期頃、唐津唐房の黒崎坊が新町の町内安全のため奉祀
廿日恵比須神社
江戸後期頃、刀町の各家で恵比須講が組織され宮座を定めて祀っていた
その後町内で祭礼をしていたが、昭和58年、当神社境内へ奉遷
火伏稲荷神社社
文化年中(1804~1818)、唐津の首町であった本町が町内安全を祈願し稲荷大神を勧請
明治37年当神社境内へ奉遷
狛犬2
狛犬3
三の鳥居
拝殿
昭和13年竣工 間口6間・奥行3間
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願
帰朝後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのが起源とされる
額には「唐津大明神」
天平勝宝7年(755年)領主であった神田宗次が神夢により海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得た
神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、「唐津大明神」の称号を賜ったという
文治2年(1186年)領主 神田廣が社殿を再建し、家祖 神田宗次の神霊を合祀し二ノ宮とした
本殿
祭神:一ノ宮 住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
二ノ宮 神田宗次公
境内図(分かりやすく参考になった)
社務所
狛犬4
石燈籠の上に乗り面白いポーズをとっている
白飛稲荷神社
慶長の頃、京都伏見より呉服町に飛来された稲荷を祀る
壽社
少彦名神、国安命、神亀之霊の三柱を祀る
粟島神社
元は氏子町中町に鎮座していたが、昭和32年 社殿を境内で新築し和歌山淡島本社より御分霊を勧請
鳥居天満宮
天明3年、京町の豪商 常安久右衛門保道は太宰府天満宮へ青銅製の大鳥居を奉献した
製作成就を祈念し木綿町の鋳造場に太宰府より天満宮を勧請
大正年中(1912~1926)に当神社境内へ奉遷
古拝殿
この地域の神社を巡り気付いたのだが、いずれの神社でも「神功皇后」の名前が出てくる
私が数回訪れたことのある、秋田県にある坩満寺には神功皇后が三韓征伐の帰路、大シケに遭って象潟沖合に漂着
皇后は臨月近く、無事に皇子(のちの応神天皇)を産み終えた
その後、象潟で半年を過ごし、翌年の4月鰐淵から出帆し、筑紫の香椎宮に向かったという伝説がある
歴史は面白い
撮影 令和5年5月23日