2023年放浪の旅 思い出の情景 その1
01 国宝 犬山城(愛知県犬山市犬山北古券65-2)訪問日 令和4年5月12日
この年の春、あと2年、車中泊による放浪の旅を継続しようと決めた時、最初に頭に浮かんだのが犬山城であった
全国唯一の個人所有の城として保存されてきたが、平成16年(2004年)「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたっている
若い女性が所有している国宝の城というのを雑誌か何かで知って訪れたのが最初である
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調べてみると6年ぶり4回目の訪問になる
自分の意思で訪れた最初の城ということもあり思いいれが深い
犬山駅から木曽川沿いを城を眺めながら徒歩で訪れた時の記憶が今でも鮮明に残っている
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成瀬家12代城主「成瀬正俊」 周囲のものとは違う写真
写真家 篠山紀信氏が撮影したという
この写真を選んだのが13代城主「成瀬淳子(公益財団法人 犬山城白帝文庫 理事長)」だと係の人が話してくれた
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02 大垣まつり、大垣城、奥の細道むすびの地記念館(岐阜県大垣市)訪問日 令和5年5月13日
前回、大垣城を目指していたが駐車場がなく断念
今回も駐車場を探していると、多くの警察官の姿が目に入ってきた
大垣まつり(国重要無形民俗文化財)
大垣市役所周辺に来ると、犬山市で観た車山(やま)が集まってきていた
開会式で知ったのだが、この日は、4年ぶりの開催となる「大垣まつり」の当日だった
360年余の歴史がある大垣まつり、偶然とはいえ絶好の機会に恵まれた
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車山を、男達が豪快に持ち上げて方向転換する「どんでん」は確かに迫力がある
狭い道路上ではかなりのテクニックが必要になることは想像できる
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大垣城
国宝だった大垣城は昭和20年の空襲で焼失した
天守は昭和34年(1959年)に、乾櫓は昭和42年(1967年)に鉄筋コンクリート構造で郡上八幡城を参考に外観復元された
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戦国時代には大垣城は戦略上重要な地点であったため争奪戦が繰り返された
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、石田三成ら西軍の主力部隊が入城して根拠地となった
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戸田氏鉄公騎馬像
寛永12年(1635年)に戸田氏鉄が城主となって以降、明治に至るまで大垣藩戸田家の居城となった
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奥の細道むすびの地記念館
元禄2年3月27日に江戸深川を出立した芭蕉は、門人の曽良をともない、東北・北陸地方をめぐり、8月21日に大垣に到着した
係の女性の話によると、芭蕉は奥の細道のむすびの場所に、この地を最初から選んでいたという
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黛まどか氏が名誉館長でAVシアター(200インチスクリーンの3D映像)による解説を行っている
昔からファンで惹きつけられる魅力がある
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03 佐伎治(さきち)神社(福井県大飯郡高浜町宮崎59-3)訪問日 令和5年5月15日
ネット検索により、車中泊をした道の駅の近くに1800年の歴史を持つという神社を見つけた
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境内には多くの狛犬が置かれている
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駐車場に戻ろうとしたとき、「大きなカメラですね」とスエット姿の男性から声をかけられた
有名寺社の写真を趣味で撮っていると話すと、実は宮司だと名刺を渡され拝殿の奥まで案内してくれた
金ぴかの狛犬だが修復してこのようになったそうだ
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宮司と会話する機会はこれまでなく、祭神について疑問に思っていることを尋ねてみた
私の質問の内容は祭神の形についてである
それは神社では秘密で言えないことになっていると話してくれた
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その後も境内を案内され神社の歴史などについても説明を受けた
そのほとんどは記憶からなくなっているが、神社に対する興味は、以前より増してきた
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国旗を掲揚している神社などほとんどないなか清々しさを感じていた
そのことを伝えると、理解して貰って嬉しいと言われた
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04 亀居山 大乗寺(兵庫県美方郡香美町香住区森 860)訪問日 令和5年5月15日
「応挙寺」の名前で知られる大乗寺
江戸時代の画家 円山応挙とその弟子たち12名の筆になる障壁画が165点が重要文化財に指定されている
私の知人に画家がいて、その影響なのか時折このような寺や美術館も訪れている
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大乗寺と円山応挙との関係について
応挙が京都で苦学をしていたところ、当時大乗寺の住職であった密蔵上人が才能を見込んで学資(銀三貫目)を援助した
客殿の建築のときに、恩返しとして一門の弟子と共に大乗寺の障壁画を描いた
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内拝料:大人/1,200円 子供/600円(小学生)
客殿の障壁画は計算しつくされた配置により、立体的な曼荼羅を構成している
宗教的空間の具現化を意図したものではないかといわれている
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5年前に一度訪れているが、団体さんの後ろで説明を聞いていたのでよく理解できなかった
今回は私一人だったので説明もわかりやすく、質問にも適切に応えてもらうことができた
残念なところがあり、目にしているのは、デジタル再製画
本物は重要文化財の襖絵165面を災害と腐食から保護するための国内最大の収蔵庫に収められていること
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05 会見山 安養寺(鳥取県米子市福市724)訪問日 令和5年6月17日
後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の計画が露呈した事で捕縛され隠岐に流されることになった
後醍醐天皇皇女瓊子(たまこ)内親王も変装して随行したが、渡航の直前に身分が知られ隠岐に渡ることが許されなかった
内親王は隠岐に近いこの地に留まり遊行五代安国上人の弟子となる
16歳の時に尼(西月院宮安養尼)となり後醍醐天皇の勅願寺として安養寺を開基した
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「後醍醐天皇社」
後醍醐天皇は、第96代天皇および南朝初代天皇
鎌倉幕府の両統迭立を壊すために、後醍醐天皇は倒幕運動を行ったが失敗
元弘2年(1332年)隠岐に配流された
南北朝の内乱で劣勢を覆すことができないまま病に倒れ、延元4年 / 暦応2年(1339年)8月15日 義良親王(後村上天皇)に譲位し、翌日、崩御した
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「後醍醐天皇皇女 瓊子内親王墓<宮内庁>」
暦応2年・延元4年(1339年)8月1日死去 24歳 法号は安養尼
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後醍醐天皇崩御の2週間前に死去している
父親思いの娘の話を知りこの寺を訪れたが、その思いが伝わってきたような感じがした
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<次回に続く>
01 国宝 犬山城(愛知県犬山市犬山北古券65-2)訪問日 令和4年5月12日
この年の春、あと2年、車中泊による放浪の旅を継続しようと決めた時、最初に頭に浮かんだのが犬山城であった
全国唯一の個人所有の城として保存されてきたが、平成16年(2004年)「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたっている
若い女性が所有している国宝の城というのを雑誌か何かで知って訪れたのが最初である
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調べてみると6年ぶり4回目の訪問になる
自分の意思で訪れた最初の城ということもあり思いいれが深い
犬山駅から木曽川沿いを城を眺めながら徒歩で訪れた時の記憶が今でも鮮明に残っている
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成瀬家12代城主「成瀬正俊」 周囲のものとは違う写真
写真家 篠山紀信氏が撮影したという
この写真を選んだのが13代城主「成瀬淳子(公益財団法人 犬山城白帝文庫 理事長)」だと係の人が話してくれた
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02 大垣まつり、大垣城、奥の細道むすびの地記念館(岐阜県大垣市)訪問日 令和5年5月13日
前回、大垣城を目指していたが駐車場がなく断念
今回も駐車場を探していると、多くの警察官の姿が目に入ってきた
大垣まつり(国重要無形民俗文化財)
大垣市役所周辺に来ると、犬山市で観た車山(やま)が集まってきていた
開会式で知ったのだが、この日は、4年ぶりの開催となる「大垣まつり」の当日だった
360年余の歴史がある大垣まつり、偶然とはいえ絶好の機会に恵まれた
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車山を、男達が豪快に持ち上げて方向転換する「どんでん」は確かに迫力がある
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大垣城
国宝だった大垣城は昭和20年の空襲で焼失した
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戦国時代には大垣城は戦略上重要な地点であったため争奪戦が繰り返された
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戸田氏鉄公騎馬像
寛永12年(1635年)に戸田氏鉄が城主となって以降、明治に至るまで大垣藩戸田家の居城となった
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奥の細道むすびの地記念館
元禄2年3月27日に江戸深川を出立した芭蕉は、門人の曽良をともない、東北・北陸地方をめぐり、8月21日に大垣に到着した
係の女性の話によると、芭蕉は奥の細道のむすびの場所に、この地を最初から選んでいたという
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黛まどか氏が名誉館長でAVシアター(200インチスクリーンの3D映像)による解説を行っている
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03 佐伎治(さきち)神社(福井県大飯郡高浜町宮崎59-3)訪問日 令和5年5月15日
ネット検索により、車中泊をした道の駅の近くに1800年の歴史を持つという神社を見つけた
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境内には多くの狛犬が置かれている
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04 亀居山 大乗寺(兵庫県美方郡香美町香住区森 860)訪問日 令和5年5月15日
「応挙寺」の名前で知られる大乗寺
江戸時代の画家 円山応挙とその弟子たち12名の筆になる障壁画が165点が重要文化財に指定されている
私の知人に画家がいて、その影響なのか時折このような寺や美術館も訪れている
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応挙が京都で苦学をしていたところ、当時大乗寺の住職であった密蔵上人が才能を見込んで学資(銀三貫目)を援助した
客殿の建築のときに、恩返しとして一門の弟子と共に大乗寺の障壁画を描いた
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内拝料:大人/1,200円 子供/600円(小学生)
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05 会見山 安養寺(鳥取県米子市福市724)訪問日 令和5年6月17日
後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の計画が露呈した事で捕縛され隠岐に流されることになった
後醍醐天皇皇女瓊子(たまこ)内親王も変装して随行したが、渡航の直前に身分が知られ隠岐に渡ることが許されなかった
内親王は隠岐に近いこの地に留まり遊行五代安国上人の弟子となる
16歳の時に尼(西月院宮安養尼)となり後醍醐天皇の勅願寺として安養寺を開基した
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「後醍醐天皇社」
後醍醐天皇は、第96代天皇および南朝初代天皇
鎌倉幕府の両統迭立を壊すために、後醍醐天皇は倒幕運動を行ったが失敗
元弘2年(1332年)隠岐に配流された
南北朝の内乱で劣勢を覆すことができないまま病に倒れ、延元4年 / 暦応2年(1339年)8月15日 義良親王(後村上天皇)に譲位し、翌日、崩御した
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暦応2年・延元4年(1339年)8月1日死去 24歳 法号は安養尼
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後醍醐天皇崩御の2週間前に死去している
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<次回に続く>
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