今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

国宝の城(現存12天守:国宝五城)

2024年09月20日 | 
国宝の城(現存12天守:国宝五城)
長野県(松本城<烏城>)
愛知県(犬山城<白帝城><追加>
滋賀県(彦根城<金亀城>)
兵庫県(姫路城<白鷺城>)
島根県(松江城<千鳥城><追加>

01 松本城(長野県松本市丸の内)
永正年間(1504-1520年)に、信濃守護家小笠原氏が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まり
後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深志城を拠点として松本平を支配下におく
武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し「松本城」に改名した



天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当時の松本城主小笠原秀政に代わりに石川数正が入城
石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う



現存する天守を築造したのは石川康長で、文禄2~3(1593~4)年頃
別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている



月見櫓の様子






<一部追加>
02 犬山城(愛知県犬山市大字犬山北古券)
木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名の白帝城



明元年(1469年) 応仁の乱の最中に 岩倉織田氏当主の織田敏広の弟・織田広近がこの地に砦を築いたのが始まり
天文6年(1537年) 清洲三奉行の織田信秀の弟・織田信康は居城の木ノ下城を廃し、現在の位置に城郭(乾山の砦)を造営して移った



天守は現存する日本最古の様式



現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した元和3年(1617年)ごろである
平成16年(2004年)3月末日までは日本で唯一の個人所有の城であった



この写真を撮影したのは平成15年11月で、城の持ち主は確か犬山市長の娘さんだったと記憶している












03 彦根城(滋賀県彦根市金亀町)
滋賀県彦根市にある彦根山に、井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)
山は「金亀山(こんきやま)」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいう



井伊直政は、関ヶ原の戦いの後、その軍功により佐和山城に入城したが三成の居城であったことを嫌ったという
直政は、関ヶ原の戦傷が癒えず、慶長7年(1602年)に死去
直政の遺志を継ぎ、慶長8年(1603年)琵琶湖に面した彦根山(別名、金亀山)に彦根城の築城を開始した



明治に入り、各地の城は廃城令で破壊・売却されていった



彦根城の天守閣は明治元年に700円で落札され解体される寸前であった
明治天皇が巡幸で彦根を通過した折、城の保存を命じたため破却を逃れたという






04 姫路城<白鷺城>(兵庫県姫路市本町)
姫路市街の北側にある姫山および鷺山を中心に築かれた平山城



姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範による築城とする説が有力



関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって今日見られる大規模な城郭へとさらに拡張された



明治時代には維新の初期に払い下げが行われ、百円で落札されたが、取り壊し費用が莫大であったことから落札者が願い下げした



国宝の大天守は外から眺めると5階建てに見えるが、内部の造りは地上6階、地下1階の7階構成になっている






<一部追加>
05 松江城<千鳥城>( 島根県松江市殿町)
亀田山に慶長12年(1607年)から5年の歳月をかけ築城



慶長16年(1611年)に竣工。完成数カ月前に堀尾吉晴公死去(69歳)
孫の三之助(忠晴)(13歳)が城主となる






廃城令により、松江城諸建造物と三の丸御殿を民間に払い下げることとし、ことごとく取り壊された
天守閣は180円で落札されたが、出東村の勝部本右衛門、高城権八らにより資金を調達、買い戻され取り壊しは中止、保存されることとなった



松江のシンボル松江城は、全国で現存する12天守のうちのひとつで、唯一の正統天守閣ともいわれている



人柱伝説:
天守台の石垣が何度も崩れ落ち、人柱がなければ工事は完成しないと、工夫らの間から出た
そこで、盆踊りを開催し、最も美しく、踊りの上手な少女が生け贄にされた。娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという
石垣は見事にでき上がり城も無事落成したが、城主の父子が急死し改易となった
人々は娘の無念のたたりであると恐れたため、天守は荒れて放置された
その後、松平氏の入城まで天守からはすすり泣きが聞こえたという城の伝説が残る
また、城が揺れるとの言い伝えで城下では盆踊りをしなかった



石垣積は、築城工事にあたって、全体の半分以上の労力を要した
松江城は5年間で完成したが、そのうちの3年間を石垣に費やされた



いくつかの城巡りをしているが、石垣の除草作業を目にするのは初めてである
綺麗な石垣を維持管理していくには、かなり危険で地道な手作業が必要ということを知った












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