源光山 円手院 明石寺(めいせきじ)
四国八十八か所43番札所
雨が降り続いていたが博物館の近くに、建物の多くが有形文化財に指定されているという明石寺があることを知り、向かった
仁王門(登録有形文化財)
雨に濡れた階段の上に建つ仁王門を見るだけで、来てよかったと思う

明治34 (1901) 年頃の建築

扁額には山号の「源光山」

「あかしじ」と勝手に読んでいたが間違いだった

手水舎(登録有形文化財)
昭和12 (1937) 年建築。境内の建物の多くは歴史を感じるものばかりだ

地蔵堂(登録有形文化財)
明治42 (1909) 年建築

この日は多くの巡礼者と降り続く雨で、人のいないところを選んで参拝することにした

石段および塀(登録有形文化財)
正面には本堂。本堂に続く石段と塀も登録有形文化財になっている

遍路修行では、各札所の本尊(本堂または金堂)と大師(大師堂)に、経を(読経、写経等で)奉納する
読経が始まるとしばらくの間待たなければならない

その間、境内を散策することになる

鐘楼堂(登録有形文化財)
江戸時代末期建築

本堂(登録有形文化財)
明治23 (1890) 年頃の建築。毎年8月9日、本尊千手観音が開帳される

細かなところまで見事な彫刻で飾られている

棟包みにも彫刻されている。

四国に入り八十八か所の巡礼をしている訳ではなく、訪れた寺がたまたま札所になっていたというだけである
信仰心も無く、寺社の古い建築物を拝観するのが好きな私にとっては、居心地が悪く、引け目を感じてしまう

大師堂(登録有形文化財)
明治13 (1880) 年建築

魅力的なお堂が沢山あるが、博物館で傘を無くしてしまったため、枚数が極端に少なくなってしまった


最後に本堂を撮る。晴れた日にまた訪れてみたいと思った

撮影 平成29年10月15日
四国八十八か所43番札所
雨が降り続いていたが博物館の近くに、建物の多くが有形文化財に指定されているという明石寺があることを知り、向かった
仁王門(登録有形文化財)
雨に濡れた階段の上に建つ仁王門を見るだけで、来てよかったと思う

明治34 (1901) 年頃の建築

扁額には山号の「源光山」

「あかしじ」と勝手に読んでいたが間違いだった

手水舎(登録有形文化財)
昭和12 (1937) 年建築。境内の建物の多くは歴史を感じるものばかりだ

地蔵堂(登録有形文化財)
明治42 (1909) 年建築

この日は多くの巡礼者と降り続く雨で、人のいないところを選んで参拝することにした

石段および塀(登録有形文化財)
正面には本堂。本堂に続く石段と塀も登録有形文化財になっている

遍路修行では、各札所の本尊(本堂または金堂)と大師(大師堂)に、経を(読経、写経等で)奉納する
読経が始まるとしばらくの間待たなければならない

その間、境内を散策することになる

鐘楼堂(登録有形文化財)
江戸時代末期建築

本堂(登録有形文化財)
明治23 (1890) 年頃の建築。毎年8月9日、本尊千手観音が開帳される

細かなところまで見事な彫刻で飾られている

棟包みにも彫刻されている。

四国に入り八十八か所の巡礼をしている訳ではなく、訪れた寺がたまたま札所になっていたというだけである
信仰心も無く、寺社の古い建築物を拝観するのが好きな私にとっては、居心地が悪く、引け目を感じてしまう

大師堂(登録有形文化財)
明治13 (1880) 年建築

魅力的なお堂が沢山あるが、博物館で傘を無くしてしまったため、枚数が極端に少なくなってしまった


最後に本堂を撮る。晴れた日にまた訪れてみたいと思った

撮影 平成29年10月15日
女神の願かけ、どのような願いを掛けるために大石を運んでいたのでしょうか…
わらじが奉納されていました。金のわらじなら欲しいところですが…
歴史のある寺には間違いはありませんが、縁起の通りであれば飛鳥寺や四天王寺以前の創建となりますので、史実とは異なるようです。
ただ、写真でお解りの通り、朽ち果てる寸前の感じが何とも言えず、私の好みでいえばこの寺の魅力になっています。
巡礼者も多く写真の僧侶の後ろには20~30人の巡礼者がいて、長い時間をかけ読経していました。
わらじは確か仁王門の上方に置かれていました。巡礼者の旅の安全を願い奉納されたものと思われます。