今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

眼目山 護国殿 立山寺(富山県中新川郡上市町眼目)

2021年08月15日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月31日

眼目山 護国殿 立山寺(りゅうせんじ)
眼目村は上市川扇状地の扇頂部平野および段丘上に位置し、咲花とも察花とも記された
慶長10年(1605年)3代藩主前田利常が巡視した際、眼目山立山寺の由緒を聞き、察花の字を「眼目」にしてサッカと読むようにしたといわれる
山号は眼目山(がんもくさん)で、町名の眼目(さっか)とは読み方が異なる



駐車場横の「境内図」を確認し総門周辺に移動する



総門






含蓄のある言葉が記されていた



参道栂の並木(富山県指定天然記念物)
栂の木は北陸固有の呼称で、正式名称は樅(モミ)の木
總持寺祖院から三大将軍家光の寛永期、十六世拗山是越大和尚時代に植樹されたと伝えられる



300m続くという参道栂の並木を実際には歩いていない
この並木道を歩く人には下に駐車場がある



六地蔵



三門
三門は400年前、左甚五郎の作と伝えられている






中雀門



鐘楼
梵鐘は大戦中に搬出されたが、昭和21年11月に新しく具された



このような石で積まれた土台を初めて見た



正面に本堂



右側に庫裡



銀木犀(上市町指定天然記念物)



らかんまき



本堂
開山は建徳元年(1370年)曹洞宗大本山總持寺二代峨山紹碩禅師の高弟大徹宗令禅師
禅師が立山に詣で、座禅をしていると、樵(きこり)の姿となって立山権現が現れ立山山麓の小丘を指して「かの地は法要の所、到り見たまえ」と禅師を懇請した
寺院の建立を約束した夜、大豪雨となり上市川に数千の大木が流れついた
翌日より18名の大工(伽藍守護の18神将)が集まってきて、七堂伽藍の精舎が落成し眼目山立山寺と号した



昭和28年の火災の時伽藍から宝物を全部焼失
間口13間奥行き、13.5間の鉄骨コンクリート造りで復興



堂内にはいると寺の歴史と堂内の説明が音声で流れる



正面に本尊 釈迦牟尼如来、阿難尊者、迦葉尊者






右手に十二支守り本尊






普賢菩薩が辰年生まれの守り本尊



中央左右に十六羅漢






右手に観音堂
廻廊には33体の石佛観音像






千手千眼観自在菩薩(放光観音菩薩)






撮影 令和3年5月31日
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高岡山 瑞龍寺(富山県高岡市関本町)

2021年08月13日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月31日

高岡山 瑞龍寺
富山県に入ると必ず訪れるのが「伽藍瑞龍」と云われる、この寺である

総門(重要文化財)



正面幅三間の薬医門形式で正保年間









伽藍は、鎌倉時代広く我が国にもたらされた中国の寺院建築を模して建立されたもので、総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列

山門(国宝)



住職お勧めの撮影ポイント(全ての建物が見える場所)



現在の門は文政3年(1820年)の建立 高さは約18m



二重門で屋根は入母屋造、杮葺き
上層と下層の屋根の出があまり変わらないのは、積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐため



瑞龍寺は曹洞宗寺院だが、山号「高岡山」は黄檗宗の隠元が揮毫している



仁王像






仏殿(国宝)
万治2年(1659年)の建立
当初、屋根は杮葺きであったが、現材は総重量約47トンの鉛瓦葺き



俗説では非常時に250万発の鉄砲の弾にするためともいうが、実際は冬季の積雪対策のためだという






堂内



本尊の釈迦如来と、普賢菩薩、文殊菩薩の釈迦三尊像



前田家の家臣、長連頼九郎左衛門より明暦4年(1658年)に寄進されたといわれる天蓋



達磨大和尚



元老和尚 大禅師



傳大士



大権修理菩薩



法堂(国宝)
明暦元年(1655年)の建立  総桧造りの入母屋造、銅板葺き






扁額には寺号の「瑞龍寺」



二代藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置



手前の3部屋の前面には広縁(板間)があり、その前面は左右に細長い土間廊下
こうした平面形式は曹洞宗建築の特色を示す



堂内装飾品









天井には狩野安信筆四季の百花草が描かれている









欄間






大茶堂(重要文化財)



防火建造物である土蔵造りの手法を用い、外壁を大壁とし、内部は土天井とするなど大変珍しい



賓頭盧尊者像



茶室



石廟(石川県指定文化財)



前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟が並ぶ












大伽藍を囲む約300mの回廊



禅堂(重要文化財)












「選佛場」の額 
選仏場とは、修行僧の坐禅道場のこと



初めて訪れた時には堂内に入った記憶があるが、現在は立入禁止









年季の入った魚板



東司の守護神 烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)



浴室の守護神 跋陀婆羅菩薩(ばったばらぼさつ)






大庫裏(重要文化財)


















韋駄尊天



延命地蔵菩薩



鐘楼



拝観を終え見事に掃き清められた砂地の参道を歩き駐車場に戻る



撮影 令和3年5月31日
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雲龍山 勝興寺(富山県高岡市伏木古国府)

2021年08月12日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月31日

雲龍山 勝興寺
平成10年(1998年)からの大規模保存修復工事が令和2年11月に終えた事を知り再訪

総門(重要文化財)
天保11年(1840年)建立  高さ8.7m、桁行5.5m、梁間3.1m



城郭を思わせる「鯱を」載せた高麗門形式



唐門(重要文化財)



明和6年(1769年)建立  前後の軒に唐破風が付く間口6mの門



明治26年(1893年)京都・興正寺より2艘の北前船を利用し移建



扁額には山号の「雲龍山」



平成26年(2014年)まで行われた修復で、銅板葺きから檜皮(ひわだ)葺きに復元された






鐘楼



経堂(重要文化財)



文化2年(1805年)建立



内部に極彩色の輪蔵を備える






本堂(重要文化財)
寛政7年(1795年)建立  間口39.3m、奥行き37.4m、高さ23.5mの大型の仏堂



国宝・重要文化財の建造物の中で、本堂では全国8番目の規模を誇る
元々は鉛葺きの屋根が明治時代に瓦葺きに、1998年から2004年まで行われた本堂の大修復で亜鉛合板葺きになった









堂内に入る



本尊は阿弥陀如来



説明文を読むと
壱萬人の佛(分骨・納骨)を漆と石灰を交ぜ練り上げて製作した









「屋根を支える猿」
軒の四隅に猿があるようだが目視では確認できない



デジカメの力を借り拡大してみると確かに潜んでいる(笑)



龍に見立てた柱の傷






大広間・式台(重要文化財)



左側が大広間、右側が式台



式台は玄関だけではなく、勝興寺では客の控えの間も含んでいる






室内に入る





大広間(重要文化財)






上段の間












梅鉢紋蒔絵女乗物



台所(重要文化財)






戸を開けると本堂が見えた






勝興寺で囲碁の棋聖戦が行われたという記事



書院・奥書院(重要文化財)






洛中洛外図屏風 勝興寺本(重要文化財<複製>)


















錺(かざり)金具









勝興寺の七不思議
① 実ならずの銀杏



② 天から降った石



③ 水の涸れない池



④ 三葉の松



浄聖平和党



宝蔵(重要文化財)
江戸時代末期建立



土蔵造では珍しい、入母屋の置屋根



鼓堂(重要文化財)
享保18年(1733年)建立
総門をくぐった正面、掘割に面して建つ2層の入母屋造りの建物で、城郭の櫓に似た外観をもつ



2階には時を告げる太鼓が保存されている






式台門(重要文化財)
安永4年(1775年)建立



薬医門形式で番所の唐破風屋根には江戸時代の杮葺が残されている



唐門を通り駐車場に戻る



撮影 令和3年5月31日
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金栄山 妙成寺(石川県羽咋市滝谷町)

2021年08月11日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月30日

金栄山 妙成寺(みょうじょうじ)



国家に詠まれている「さざれ石」



浄行堂(じょうぎょうどう)


















二王門(重要文化財)



















開山堂(石川県指定文化財)









経堂 (重要文化財)









北前船の豪商 西村屋忠兵衛の墓






加賀騒動の大槻伝蔵の墓



第十七世 妙心院日莫聖人






三代 前田利常公長女 浩妙院殿墓



三代 前田利常公生母 尊福院殿墓






五重塔(重要文化財)





















丈六堂(石川県指定文化財)
























焔魔堂






三十番神堂(重要文化財)












三十番神堂拝殿(重要文化財)










三光堂(重要文化財)












本堂(重要文化財)
























祖師堂(重要文化財)












鐘楼(重要文化財)










書院庭園(石川県指定名勝)












書院(重要文化財)












庫裡(重要文化財)















撮影 令和3年5月30日
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金沢競馬場(石川県金沢市八田町西1番地)

2021年08月10日 | 競馬場・競輪場・競艇場
訪問日 令和3年5月30日

金沢競馬場
寺社巡りも楽しいが、時に息抜きがしたくなる
全国の競馬場巡りも私の旅の目的の一つだ



朝食後に福井県の道の駅で金沢競馬の日程を確認すると運良く開催日だった
金沢までは100km弱の距離で、車旅をしている人間の感覚では近い(笑)



コロナの影響で「ハッピーポイントカード」会員のみ入場が許可されていることを知って驚く
旅行者だということを告げると、簡単な手続きと検温後に入場することができた



金沢競馬場は今回が2回目でどこに何があるのかは検討がついている
向かったのはパドック
競馬新聞は購入せず、パドックと返し馬だけで馬券を購入することにした



中央競馬を見慣れている人には違和感がある「出走馬掲示場」



1Rに騎乗する騎手。地方競馬は礼儀正しく気持ちがいい



1Rは金沢競馬所属騎手(21名)を代表する吉原騎手から購入
馬名の「オジョウサン」も可愛い



閑散としている場内



1Rがスタート
目の前を競走馬が走って行く
観客との距離が近いのも地方競馬の魅力



1着は吉原騎手の「オジョウサン」
オッズを見ないで購入しているため的中したがトリガミ



観客が少しずつ増えてきている



2Rも予想は的中していたがマークシートの記入ミスで外れ



3Rはパドックでは肌の色艶も悪く、走る気が感じられないと思い、一番最初に切った馬が1着にきた
4Rと5Rも狙っていた馬が後方を走っていた



旅の資金を増やそうと思ったが、思い通りにいかないのも競馬の楽しみ
私も前を歩く人と同じに肩を落として歩いているのか(笑)



撮影 令和3年5月30日
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摩尼宝山 瀧谷寺(福井県坂井市三国町滝谷)

2021年08月09日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月29日

摩尼宝山 瀧谷寺(たきだんじ)
H30(2019年)10月、近くにある東尋坊観光の後に立ち寄ったのが最初で再訪したいと思っていた



全景図



拝観料は500円だが、昨年の台風の被害を受け宝物殿拝観不可ということで300円だった



「弘法大師像」 真言宗智山派の寺院



「総門」



その昔、戦国武将の朝倉、柴田をはじめ歴代藩主が祈願のためにこの石畳を歩いたという



「龍頭の水」



この石の中央に手を上げた人の姿(佛かも)が見える



不動明王



鐘楼門(重要文化財)
天正年間に、柴田勝家の寄進によって建立されたと伝えられている



扁額には山号の「摩尼寶山」
貞享4年(1687年)に智積院第七世 瑞応泊如運敝僧正の筆



元禄11年(1698年)の改修
上部が鐘楼堂となっている



両脇に供待を付設しているのも特徴的である



本堂(重要文化財)
南北朝時代の永和元年(1375年)、睿憲上人によって開山された
中世には、戦国大名の朝倉氏や柴田勝家、福井藩主の松平家、丸岡藩主の有馬家ら、歴代領主の祈願所として篤い帰依と保護を受けた



本堂横から入堂する
堂内では住職から、寺の歴史等について簡潔な説明があった



中央正面の瑠璃殿に本尊の「薬師如来(伝、泰澄大師作)」が祀られている



貞享5年(1688年)の改築 寄棟造
間口11間、奥行8間の寄棟造りで江戸時代中期の建造物



観音堂(重要文化財)
室町時代建築、寛文3年(1663年)改修
真言密教の伝承を行う儀礼・伝法灌頂を行ったことから灌頂堂とも称されていた



正面の広縁上部の虹梁の草花文様は全国的にも珍しい形式



本尊は「大聖如意輪觀世音菩薩(秘仏)」



越前地方では、数少ない江戸時代中期の密教系寺院仏堂の遺構



名勝 庭園
江戸時代前期作






石龕開山堂(重要文化財)



石棺の内壁に元亀3年(1572年)作の十三仏の浮彫



築造した堀江氏は後に織田信長と相通じ、信長より「陣取放火」等の禁制状をうけ、兵火からまぬがれることができたという






「大佛」






鎮守堂(重要文化財)



室町時代建築の特徴が木割、構造、手法等によく表れている
木造・柿葺、流造り間口199.8cm、奥行250cm



開山 睿憲上人により安島雄島の三保明神等を祀っている



石庭
9つの石を心字で配し、観世音菩薩の慈悲の心を表している






観音堂前に位置している



観音堂



鐘楼堂



参道を通り駐車場に戻る



撮影 令和3年5月29日
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曹洞宗 大本山 吉祥山 永平寺(福井県吉田郡永平寺町志比)

2021年08月05日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月29日

曹洞宗 大本山 吉祥山 永平寺
山門前の様相が変わっていると思い調べてみると、平成25年(2013年)以来の参拝であった



「日本曹洞宗第一道場」とあるように修行の厳しさを過去2回程見聞してきた









「瑠璃聖宝閣」と明治百年記念国民体育大会「炬火採火の地碑」



「天地観世音菩薩」



「永平寺全景図」
永平寺は堂内に入ると外に出ることができず、自分が何処にいるのか分からなくなる
写真の整理の時にとても役に立つ



「一葉観音」
道元禅師が仏法を求め中国に渡り修行を終え、帰路の船旅で嵐に遭遇した



一心に観音経を念誦すると、蓮華の花びらに乗った観音菩薩が現れ、風雨が静まった伝えられている
右側の蛙は「無事帰る」なのか(笑)



唐門<勅使門>(重要文化財)
大瀧神社の美しい社殿(重要文化財)を建てた、大久保勘左衛門棟梁が手がけた門
天保10年(1839年)の建築



唐門はかつて「勅使門」とも呼ばれ、皇室から使者を迎える時に開かれた門
現在は皇族の入山時や貫首就任時のみに開門している



門扉には皇室の御紋章の菊花紋が飾られている
立入禁止区域で唐門へと続く石段の脇には巨大な杉がそびえ、永平寺を象徴する光景の一つとなっている



「通用門」
拝観料は500円で受付を通り、吉祥閣にて注意事項の説明がある
修行僧以外の撮影は許可されている



「傘松閣<絵天井の間>」
昭和5年(1930年)の二祖国師・孤雲懐奘650回忌を記念して建築
222畳敷きの大広間の天井には昭和初期の有名な画家144人による230枚の日本画が埋め込まれている



花鳥風月の日本画の中に鯉2枚、唐獅子2枚、栗鼠1枚の計5枚の絵が隠されているという



「傘松閣」の額
永平寺最初の山号「傘松峰」に由来



布袋像を撮りながら他の参拝者の後をゆっくり進む
残りの人生をこのような笑顔で送りたいものだ



廻廊(重要文化財)
有名な廻廊は修行僧が毎朝磨きあげるためピカピカ



「鐘楼堂」



山門(重要文化財)
寛延2年(1749年)の改築で永平寺最古の建築物
重層の門で、階上には釈迦如来像、五百羅漢像などを安置する
雲水が正式に入門する時、そして修行を終えて永平寺を出る時にしか通ることが許されない門

永平寺の表玄関で「四天王」が祀られている









吉祥の額(福井県指定文化財)
道元禅師による「吉祥山永平寺」由来の額



中雀門(重要文化財)
山門の前には中雀門(ちゅうじゃくもん)



仏殿側から



僧堂(重要文化財)
明治35年(1902年)の建築
僧堂は坐禅修行のための建物



扁額には「雲堂」
僧堂は雲水の修行の場であることから「雲堂」ともいう



廻廊(重要文化財)
山門東方廻廊、山門西方廻廊、中雀門東方廻廊、中雀門西方廻廊、仏殿東方廻廊の五棟からなる



法堂(重要文化財)
天保14年(1843年)の建築
桁行32.2m、梁間23.2m、一重、入母屋造






聖観音像を安置



承陽門(重要文化財)
一間一戸向唐門、銅板葺



承陽殿から



承陽殿本殿及び拝殿(重要文化財)
道元禅師は「承陽大師」とも呼ばれていたことからこの名前がついた



道元禅師の御真廟
日本曹洞宗発祥の根源であり、聖地ともいえる場所









「大光明蔵(禅師様相見の間)」






「妙高台(特別貴賓室)」



廻廊(重要文化財)



仏殿(重要文化財)
明治35年(1902年)の建築
仏殿は七堂伽藍の中心に位置している









壇の中央には永平寺の本尊「釈迦牟尼仏」が祀られ、未来を司る「弥勒仏」、過去を司る「阿弥陀仏」も祀られている



欄間の彫刻にも注目



欄間には12枚の彫刻がはめこまれている








大庫院 (重要文化財)
桁行41.6m、梁間13.4m、入母屋造
主に仏膳と修行僧及び来賓の食事を整える所

大庫院の前に掛けられた長い「大すりこぎ」



食事担当の修行僧は毎日午前1時半頃に起きて、皆の料理をつくるという



守護神「韋駄尊天」が祀られている



「瑞雲閣」
大庫院の一部分



舎利殿及び祠堂殿(重要文化財)












拝観を終え外に出る
堂内では標記はなかったので気付かなかったが、2019年9月に建造物19棟が重要文化財に指定されていた



もう一つ驚いたのは先輩修行僧からの指導が体育会系からサークル活動のようになっていたこと
時代の流れだと思うが寂しい感じがした



「天照大神宮」



「金毘羅堂」



撮影 令和3年5月29日
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大瀧神社・岡太神社(福井県越前市大滝町)

2021年08月03日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月29日

大瀧神社・岡太神社
平成30年秋の旅で一度訪れている
社殿の美しさに驚き再訪したいと思っていた



額には「大瀧神社・岡太神社」が併記されている






狛犬






手水舎






観音堂(絵馬堂)
神社に「観音堂」とは、明治時代の神仏分離令によるもの






「木造十一面観音坐像(越前市指定文化財)」



左手の神門が見えてくる






本殿及び拝殿(重要文化財)
約1500年前、「越前五箇」と呼ばれる川の上流に女神が現われ、村人に紙漉きの技を伝えたといわれている
人々はこの女神を「川上御前」と崇め、岡太(おかもと)神社の祭神とした
大正12年(1923年)には大蔵省印刷局抄紙部に「川上御前」の分霊が奉祀されて岡太神社は名実共に全国紙業界の総鎮守となった



大瀧神社は推古天皇の時代、大伴連大瀧の勧請に始まり、養老3年(719年)に泰澄大師が、川上御前を守護神として祀る社として創建



大瀧児(おおちご)権現と称して別当寺大瀧寺を建立
その後、明治になり神仏分離令によって大瀧神社と改称された



大久保勘左衛門(代表作は曹洞宗本山永平寺の勅使門)棟梁による、複雑な曲面を持つ積層した屋根が特徴の社殿
現在の大瀧神社下宮社殿は天保14年(1843)に再建されたもの



以前聞いたガイドの話によると、最も美しい社殿を造りたいと、設計図とは違ったものができたようである



本殿






本殿横の彫刻も素晴らしい









拝殿と本殿が一体化した複合社殿
唐破風と千鳥破風のそれぞれの屋根が連続する神社本殿としては最も複雑な屋根形態を持つ



山の峰を集めたような、あるいは、幾重もの波が寄せあうような屋根、複雑さの中に流があり、重厚さの中に躍動があるなど、独特の屋根形状



個人的にはこの場所から眺める社殿が一番好きだ






建物全体に施されている獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻



「神楽殿」



「神輿殿」



社殿を撮り終えて駐車場に戻ろうとしたときに「札幌ナンバーの車の人かい」と声をかけられた
地元に住む同世代の男性で、遠くからよく訪ねてくれたと感謝され、30分ほど社殿についての説明を受けた



説明内容はほとんど記憶にないが、写真を見るといくつか思い出したこともある
この他に類を見ないこの美しい屋根だが、この地域は冬に積雪があり屋根の雪おろし作業が大変だということ



「獅子」の彫刻が独特だということ



本殿を支えている「組物」が神社では珍しいということ



創建時代からあるという土台になっている巨石



大瀧神社の紋「五三桐」
地元の男性の説明内容は私が普段目にしている目線より下の部分が多く大変参考になった



神輿殿の内部もご厚意で観ることができた



毎年5月3日〜5日に開催される古式ゆかしき祭神事に使われる神輿



前回はボランティアガイドの女性、今回は地元の男性と人にも恵まれ満足の大瀧神社であった
山頂にあるという奥の院も気になってきた……



撮影 令和3年5月29日
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