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喜多方発・やすらぎ観音、墓地公園へ。

2010-03-18 18:43:15 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

毎朝、屋根が薄っすらと雪で白くなっています。お天気は良いのですが寒い日が続いています。お彼岸入りです。

昔から彼岸と言うのはいろんな作業の区切り、目安になったようです。昨日も記しましたが、庭木の雪囲いの取り外し作業がはじまりました。
近郊の農家ではビニールハウスの組立作業でした。

昨日、街の材木屋さんへチョット寄って来ました、樹木の伐採作業も冬の仕事、秋の彼岸から春の彼岸までが目安なそうです。彼岸過ぎると樹木はどんどん水分を吸い上げて行くのでもう伐採の時期で無くなるそうです、樹木によってはもう切るのが無理な種類もあるとかのはなしです。 昔は、つい半世紀まえですが、伐採作業は雪の中の作業と決まっていました。
そして漆器の木地職人の方々も冬雪の山に入り小さな小屋を建てて其処で木地引きに精をだします。父ちゃんが木地引きをして、母ちゃんがそれを何日おきかに背負い村へ運ぶそうです、夫婦の共同作業だったのよと言うお話でした、しかし、今は山へ入って木地引きをしている人は居ないでしょうね。 そうゆう人達もお彼岸になれば山をおりて、暫く休み農作業の準備に入ったそうです。

本日の画像は喜多方市上ノ山墓地公園、3300区画の一番上の広場に建っている「やすらぎ観音」像です。市内を一望できる、眺望の丘の上に建っています。案内や説明板は無いので由来は知りません。上まで行かない方は知らないかもしれません。今度行ったときはぜひ拝顔してください。中間部にも観音様が建っています。

本日は彼岸の入りですので、お坊さんの有難いお説教を少し記しておきます、坊さんブログの三休さんの記事からです。ありがたくお借りします。

一、人生に苦はつきもの、苦のない人生などあり得ない、それならば、この苦は人生の”わさび”と心得ることだ、わさびはそれだけでを食するに値しないが、人生という、”つくり”の味を引き立たせてくれる。

一、強敵といっても同じ人間ではないか、こちらが思っていることを同じように思っている。

一、母親が父親を尊敬せずして、父親が母親を愛し、ほめなくて、どうしてよき子供が出来よう。

一、愛情のこもった親の手は、ふれると身体の傷ばかりでなく心の傷も直す。

一、母はあくまでも優しく美しく、おやじはたくましくあって欲しい、これが子供の願いである。

一、押してダメなら引いてみな 悪口をいう前にほめてみな。

一、おのれが変らずして、どうして人生が変ろう。

まだまだ10数項目ありますが本日はこれまでにしておきます。

一、仏は必ず救って下さる、だから仏に願うのである。

せめてお彼岸中は悪事を止めて、善事に精進するように努めましょう。


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