蔵の街・喜多方も本日は晴天に恵まれて、街の観光駐車場には学生さんの乗った大型バスが10台近くも入っていました。本日は大宮と千葉ナンバーが多かったです。その学生さんが向うのが煎餅やさんが以外と多いのです。昼過ぎに蔵のまち案内所の前を通ると本日の当番のIさんに「山中煎餅屋」さん、案内してやってと、声が掛かりました。千葉県の中学生です。七人の学生さんと一緒に山中煎餅本舗の前まで来ると先客の学生さんが15人ぐらい、夫々に七輪を囲んで「たまりせんべい」の手焼きの体験中です。自分で焼いてその場で食べる醍醐味これはやっぱり良いですね。皆さんも体験してください。・・さて本日は鏝絵でしたね・・この画像は蔵の街・喜多方でも有名なコテ絵です。鏝・コテ・壁やセメント漆喰を塗る時に使う道具です。コテを使い漆喰を用いて造られた描かれた・レリーフのことです。蔵の街ですがコテ絵は多くはありません。画像は上岩崎の佐藤さんの蔵ですが今農繁期ですので家人が留守の時が多いとおもいますが、このコテ絵の他に数点あります。画像だけ紹介しておきます。・・・今℡が入り離れますのでまた明日続けますゴネンナサイ
蔵の街・喜多方は花とみどりのまちづくり推進会議を設け市民全員で、花を育て、緑をふやし、市民や、観光で喜多方市を訪れた方に、花々を観賞していただく事業を推進しています。また花いっぱいコンクールを開催しています。これには多くの市民や団体、学校やボランティアの方々が参加して4月から、秋までいろんな花を咲かせて私達を楽しませてもらってます。喜多方の市の花は先日画像掲載した。「ひめさゆり」ですが、塩川町の「花しょうぶ祭り」も来月には開催されます。元の市の花は「さつき」でした。これも「さつき祭り」が行われこれから先は花の観賞が楽しみです。・・本日の画像は近所の・花しょうぶ・です。我が家の花は?今黄色のつつじが満開だったのですが、本日の雨と風で半分になってしまいました。小てまり、の花が何処の庭にも咲いてます。さつきの盆栽が10鉢だけありますが本年は蕾の付がわるいようです。街なかにはいろんな花が咲いていますので楽しみください・・ルールを守り・マナー違反はやめましょう。
蔵の街・喜多方から旧米沢・会津街道へ昨日の続きです。本日のブログはNHK広報の資料によります。2009年(平成21年)放送の大河ドラマが表記の「天地人」です。主役は・妻夫木聡・直江兼継を演じます。上杉謙信を師と仰いだ波乱の生涯を描きます。「利」を求めた戦国時代において、「愛」を信じた兼継の生き方
弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与え、失われつつある「日本人の義と愛」を描きだします。・・とありますが、何か分かり難いようですが戦国時代を生きた武将の物語です。当時我が会津藩も上杉家120万石でした。関が原の西軍敗退により、上杉景勝は米沢30万石に減封されます。その家臣であったのが、直江兼継です。大河ドラマは時代物と決まっているのでしょうか?。NHKの放送で我が喜多方市のお隣・米沢市が全国的に脚光を得ることになります。その物語の中に出てくるのが昨日、私達が歩いた旧米沢・会津街道なのです。会津若松~米沢十四里です。その中間地点・中ノ七里を含め大塩から桧原まで11,8km・途中の蘭峠は標高950mです。かなりきつい山道でした。所要時間が3時間30分でした。北塩原村の村中がスタッフで村を挙げての大イベントだったと思います。それぞれの皆さん本当に有難う御座いました。そしてNHKと米沢市をはじめ後援の皆様方にお礼を申し上げます。
弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与え、失われつつある「日本人の義と愛」を描きだします。・・とありますが、何か分かり難いようですが戦国時代を生きた武将の物語です。当時我が会津藩も上杉家120万石でした。関が原の西軍敗退により、上杉景勝は米沢30万石に減封されます。その家臣であったのが、直江兼継です。大河ドラマは時代物と決まっているのでしょうか?。NHKの放送で我が喜多方市のお隣・米沢市が全国的に脚光を得ることになります。その物語の中に出てくるのが昨日、私達が歩いた旧米沢・会津街道なのです。会津若松~米沢十四里です。その中間地点・中ノ七里を含め大塩から桧原まで11,8km・途中の蘭峠は標高950mです。かなりきつい山道でした。所要時間が3時間30分でした。北塩原村の村中がスタッフで村を挙げての大イベントだったと思います。それぞれの皆さん本当に有難う御座いました。そしてNHKと米沢市をはじめ後援の皆様方にお礼を申し上げます。
蔵の街・喜多方から北塩原村へ、NHK大河ドラマ「天地人」記念ウオークに参加しました。旧米沢・会津街道を桧原まで約10キロを参加者約1300名と共に3時間30分の行程でした。大変疲れました。朝の開会式には米沢市長も参加、ゴールの桧原・ふれあい広場には、なんと福島県知事が出迎えです。桧原では村中総出で迎えてくれました。昨日は村のお祭りだったそうです。太鼓に唄に踊りにです。村始って以来の大イベントと言ってました。行程は大塩小学校から桧原まで村道を含む旧米沢・会津街道を本当の山道です。本日の画像もあまり良くありませんが、それらしい雰囲気は感じられると思います。本日の為に刈り払いをして整備してありました。一部急な坂道もあり大変疲れました。その昔上杉景勝・直江兼継が歩いた道で、伊能忠敬や吉田松陰なども歩いたそうです。皆さんも機会を見て是非歩いてみて下さい。
蔵の街・喜多方市の松山小学校・校庭に「けやきの大木」が在ります。その木が本日の画像です。5月17日(土)晴天に恵まれて大運動会が行われました。全校生徒209名です。練習の成果を充分に発揮して新入生から、6年生まで各競技を楽しまれたようです。小学校は私の家から直ぐ近くに在り、毎日練習の音が(スピーカーや楽器)よく聞こえます。近年は5月、今が運動会のシーズンです。さて、画像の「けやき」をよくご覧下さい。人と比べていかに大木がよく分かると思います。3本在りますが、私が小学生の時に既に大木でした。学校は平成2年に創立100年を迎えてます。もう直ぐ120年ですが現在地に学校が移築されたのが昭和13年です、けやきは大木だったので残されて・・校庭の片隅の方だった・・以来松山小学校のシンボルとして親しまれてきました。幹周りはゆうに四メートルは超えます。現在は木の周り30メートルぐらい立ち入りを禁じ土壌の改良を行こなった結果ご覧のように樹勢も良く新緑がとても綺麗です。また秋の紅葉がとても素晴しいのです。ぜひ松山小学校自慢の「けやきの大木」です、機会が有ったら観てください。
蔵の街・喜多方の小田付き蔵通り、南町ともよんでます。本日の画像です。江戸・明治・大正時代の蔵が立ち並ぶ蔵通りです。南町の入り口「あづまさ」に昨日の画像の蔵めぐり案内板とおなじものが設置してあります。小田付きの地図+蔵の紹介+蔵の写真が展示、+各蔵への道順・誘導です。この案内板を、お客様がこの頃よく観ています。画像が付いているので大変役立つようです。とても良く出来ていて評判なのです。小田付き蔵通りに3箇所設置してあります。主なる蔵名と建立年代・蔵の種類です。小田付きも蔵が多い所で、蔵めぐり、案内板の主たる蔵名を記しますと、和飲蔵(ワイン蔵)三浦英次商店、馬車の駅、大森家店蔵、小原酒造、遠藤宗平宅、菅井屋薬房、大善、蔵屋敷あづまさ、うるし美術博物館、カフェモーツアルト、金忠豆○、夢心酒造。等ですが、外観は何時でも観れますが、個人宅等非公開の蔵も在りますので、注意して下さい。週末を迎え土曜、日曜は多くのお客様で街なかが賑わいます。天候は良さそうです。私は18日(日曜日)に「天地人」記念ウオークに参加する予定です。平成21年放送決定、NHK大河ドラマ「天地人」の米沢・上杉景勝・直江兼続が歩いた旧米沢~会津街道の一部ですが、大塩~桧原まで約10キロの行程・旧道ですから山道です、約3時間の予定となってます。半世紀前に通った道ですが楽しみにしてます。日曜日の私のブログにご期待下さい。
蔵の街・喜多方市内を散策すると、本日の画像の案内板に出会います。これがお客様に大変好評です。昨年までは無かったのですが設置されました。案内板や地図は今までも各所にありますが今回のはチョット違います。「全体地図」・「エリア地図+誘導」そして「エリア内の蔵紹介+地図+蔵紹介+誘導」となってます。市内に16箇所・個別の蔵案内サインが45箇所です。蔵の案内が主ですが、いかに蔵が多いか分かります。本日の画像は「エリアの蔵紹介」でふれあい通りに設置してある案内板です。地図+蔵の紹介(各蔵の写真が展示してあります)+誘導・です。Kitakata Town Map です。散策マップを持ってこの案内板をみれば直ぐにお目当ての蔵へ行ます。評判が良くてお客様に何度も声が掛かりました。親切丁寧に出来ていて、画像が良く出来てます。蔵の街・喜多方へお出での時は是非ご利用下さい。
蔵の街・喜多方・市の花が本日の画像のヒメサユリです。午後から天候が回復し明るくなりました。気温もあがってきたのでぶらりと街なかへ、案内所に大きなポスターが届きました。「第25回ひめさゆり祭り」のポスターです。それで本日の画像はポスターからの借用です。ご覧のようにきれいな花です。福島・山形・宮城・新潟・の四県だけに自生する貴重な植物です。喜多方の熱塩加納町、宮川地区で毎年行われているひめさゆり祭り、地区の皆さん方の長年の保護活動で県内最大級の群生地になってます。6月1日~15日までの祭り期間中いろんな催が行われます。是非お勧めのヒメサユリですので一度はご覧下さい。群生地まで車で行けます駐車場も完備してます、案内板や旗も出てR333の熱塩温泉の少し南側から案内が出ますが、R121の方からお出でになる方が多いようです。いつも県外の車が多いのが目につきます。催がいっぱいありますがもう一度書きますのでご覧下さい。
蔵の街・喜多方の蔵の瓦屋根の両端や正面にはもちろん鬼瓦が使われています。サイズも大きな物は4~50センチでしょうか、本日のブログは昨日の会津本郷の続きです。向羽黒山城跡の入口にインフォメーションセンターが在ります。案内所と言えば早いのですが・観光案内・各窯元の作品・2Fは、本郷焼きの資料展示室になってます。真ん中にでんと展示してあるのが、本日の画像の鬼瓦です。オニの面をした瓦だから鬼瓦だったようです。瓦屋根の両端や正面に飾られ、火災よけや、悪魔払いなどの縁起担ぎ、又装飾品として用いられていました。350年前の作品で本郷町の重要文化財です。現在は鬼は見当たりませんが、殆どの場合が屋号・家紋や姓で、縁起で寿・火災よけで、水がかなり多いようです。喜多方の市内を外れ農家の蔵を観て歩くと、鬼瓦に姓が多いので、○○さんの家だと分かることも事もあります。鬼瓦を観ているといろんな型や文字・家紋を観ることができます。面白い物を発見できるかもしれませんよ。チョットだけ気を付けて観てください。
蔵の街・喜多方から会津美里町本郷の、向羽黒山城跡見学会に行ってきました。本郷と言えは会津本郷焼き。東北最古の陶器の里でもあります。その町に東北最大級の山城跡があります。それが国指定史跡・向羽黒山城跡(むかいはぐろやまじょうあと)です。街の「癒しの会」にボランティアが参加させていただきました。本郷のボランティアの佐藤先生の案内です。標高は408mですが、広大な岩崎山全山が山城跡です。指定面積50万平方mです。11:00~14:00までたっぷりと3時間山歩きです。頂上で昼食のおにぎりを食べてきました。晴天に恵まれて会津の平が一望です、どちらを向いても田植えの作業をしています。それでも本日歩いた行程は約三分の一なそうです。かなり健脚でないと歩けません。戦国時代も末期、城が山から平地へと変っていく時代にこの城は逆に山城として発展してゆきます。永禄4年(1561)~永禄11年完成とあります。大手口から堀切・土塁・馬場跡・石組み跡・切通し・縦掘り・横掘り・屋敷跡・等など見所いっぱいの広大な山城跡でした。画像は西側斜面に咲いていた山つつじです。夏季のヤマユリが全山に咲くそうです。山の頂は赤松で、中間部にならの木が多く、一部杉の木もありました。山の入口近くにはフィールドアスレチックもあり、家族連れで向かうのも良いかと思います、是非一度は訪れてみてください。遊歩道を全部歩かなくても一部分だけせも歩いてみると往時の山城が分かってくるかと思います。