父は、毎月1回、神様に手を合わせていた。
その理由は、2つあり、一つは、感謝の意味で。生かされていることに対してのお礼として(父は、胃を胃潰瘍で3分の2、切り取っていた)。
それと、もう一つは、幸せになってもらいたい為に。
父は言う、幸せの意味は、4つの「し」で始めまる言葉を合わせる、しを合わせる、しに合わせる、つまり、幸せ。
初めのしは、「神仏のし」で、まず、神仏の生き方に合わせることが大切。
次のしは、「親族のし」で、父母、親子、兄弟、親族がいついつまでも睦まじく行く様にと、お互いに合わせることが大切。。
次のしは、「自然のし」で、自然の生き方に合わせることが大切。
最後のしは、「社会のし」で、分け隔てなく、多くの人に幸せになってもらいたい、その為には、職場の人達や地域の人達、更には、世界の人達に合わせることが大切。
1886年8月9日の19時過ぎに、親族(20名)が大分県のある場所に集まった。以上は、父が夕食の前に皆に言われた言葉。父は、既に他界しているが、(兄が3年前に編集した)DVDに、しっかりとその時の映像と声が内蔵されていた。
久し振りに、父の姿を見、父の生き方を知って、懐かしく思った。
その理由は、2つあり、一つは、感謝の意味で。生かされていることに対してのお礼として(父は、胃を胃潰瘍で3分の2、切り取っていた)。
それと、もう一つは、幸せになってもらいたい為に。
父は言う、幸せの意味は、4つの「し」で始めまる言葉を合わせる、しを合わせる、しに合わせる、つまり、幸せ。
初めのしは、「神仏のし」で、まず、神仏の生き方に合わせることが大切。
次のしは、「親族のし」で、父母、親子、兄弟、親族がいついつまでも睦まじく行く様にと、お互いに合わせることが大切。。
次のしは、「自然のし」で、自然の生き方に合わせることが大切。
最後のしは、「社会のし」で、分け隔てなく、多くの人に幸せになってもらいたい、その為には、職場の人達や地域の人達、更には、世界の人達に合わせることが大切。
1886年8月9日の19時過ぎに、親族(20名)が大分県のある場所に集まった。以上は、父が夕食の前に皆に言われた言葉。父は、既に他界しているが、(兄が3年前に編集した)DVDに、しっかりとその時の映像と声が内蔵されていた。
久し振りに、父の姿を見、父の生き方を知って、懐かしく思った。