日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

ラストラン

2006-12-24 16:02:47 | Weblog
ディープインパクト、やはり強かった。もう、こんな馬は出て来ないのではと言った感じの最後のレースであった。
 平成18年12月24日(日)クリスマスイヴの日の15時25分過ぎ、千葉の中山競馬場での51回目の有馬記念で、11万2000人の観客の前で、多くの人の期待を通りに、優勝した。
 しばらく、最後から3番目に位置していたが、最後の200メートルでは、トップになり、後は差を広げるだけの走りとなった。多くの人が、ディープは、凄い、夢をありがとうとの気持ちを抱いたに違いない。
 2年間、武豊騎手は、この名馬と共に歩んでこれて、幸せを感じている。調教師も素晴らしいと思われるが、この武豊騎手の素晴らしさも、もちろんあると思う。
 他の騎手との違いを見ていると、武豊騎手は、余り、上下運動を大きくしていない。自分の重心を下げて、馬が走り易い様に、腰を踏ん張って、自分の動きを少なくしている。私は、ずぶの素人であるが、そう思えた。
 ディープインパクトにしても、小泉さんにしても、荒川さんいしても、新庄にしても、引き際がさわやかだなあ。自分も、先々、こんな風にありたいと思う。

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受験産業の塾禁止に賛成

2006-12-24 09:46:30 | Weblog
  塾にも、いろいろあり、どうしても学校の授業に付いて行けない場合に、やむなく、そこで補う目的では、理にかなっているとは思うが、又、日本の将来を変えることを目的として、大きな理想で素晴らしい教育がそこで行われているのであれば、それなりに素晴らしいと思うが、現実には、その殆どが、受験を目的としているもの。
 有名校に何名とか、大きく張り出して、如何にも自分の所の教育が凄いかを鼓舞せんが為に。それが、ある私立高校までもが、そんな感じになりつつある。

 学校では出来ないこと、例えば、ピアノとか絵とか、書道とか、スポーツとか、そんなことは、別である。

 学校でしているのに、それを又、塾でする。こんな非能率なことに慣れてしまっていること自体が異常である。

 自分が中学生、高校生の時は、その学校の(数学や英語の)先生が、帰って塾を開いていたが、今は、そんなことは出来なくなっているはず。しかし、今でも、現に、後で塾で教わったらいいとか、塾を紹介している現役教師までいるらしい。

 こうなってしまったのは、社会に出ての有名大学のメリットがあったから。

 しかし、今は、本当にそうだろうか?一部は、確かに、認めざるを得ない。官僚などは。

 医師になるのに、有名大学に入っても、それで将来が全て保証される訳ではない。それを得る為に失ったものを、その後、長期に渡って悟って行くだろう(有名校を目指していた人程、それで、無意識的に他人を評価しようとする傾向にある)。

 それに、入学した時に、疲れ切ってしまって、他のことを積極的にやる気が起きなくなっている例が多いと思う。

 学校は、予備校ではない。美術や音楽や道徳を削っているのなら、それは、もう、学校ではない。

 もっと、原点に戻るべきである。
 以下は、今日の朝日新聞の内容。

「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調
2006年12月23日22時55分
 政府の教育再生会議の野依良治座長(ノーベル化学賞受賞者)が8日に開かれた「規範意識・家族・地域教育再生分科会」(第2分科会)で、「塾の禁止」を繰り返し主張していることが、同会議のホームページに掲載された議事要旨でわかった。しかし、再生会議が21日にまとめた第1次報告の原案には「塾の禁止」は盛り込まれていない。
野依良治座長


 議事要旨によると、野依氏は「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだ。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」と再三にわたって強調。「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と訴えた。

 JR東海会長の葛西敬之氏は「日本の数学のレベルは学校ではなくて、塾によって維持されている、という面もある」と反論したものの、事務局側は「公教育が再生されれば、自然と塾は競争力を失っていく。結果的になくなる」と同調、国際教養大学長の中嶋嶺雄氏も「野依座長のおっしゃったように塾禁止ぐらいの大きな提言をやらないと」と野依氏に賛同するなどひとしきりの盛り上がりを見せた。

 家庭教師の問題も、同じだと思う。その子のことを本当に考えているのなら、家庭教師に頼らずに、自分なりに頑張れる様に援助する程度に止めるべきで、何から何までしようとするのは、将来のことを考えるとマイナス。

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楽しい食事会

2006-12-24 08:58:09 | Weblog
 昨日は、18時半から、事務長さんの誘いで、食事の集まりに呼ばれた。
 行くと、14人の年配の大人ばかりが集まっていた。その後、二人遅れて来て、16名。いつも、年末は、こんな感じでしているとのこと。
 それぞれが、いろいろと食べ物を持参している。夫婦で来ている人が多い。皆、言いたいことを言い、楽しく酒を交わしている。自分は、お客さん扱いって感じで、新しい食べ物が運ばれると、「先生、食べてみて下さい・・・」と言ってくれる。
 バングラデシュのダッカでのことを思い出した。そこでは、お客さんは、特別扱いだ。一番おいしい食べ物が宛がわれ、一番いい部屋が宛がわれた。それと全く同じ感じであった。
 笛を持って行ったので、それで、「影を慕いて」を吹いた。途中で、夜の急患が来たので、いったん病院に戻って、又、行った。
 出席者は、皆、明るい。皆、楽しそうだ。皆、心が通っている。田舎はいい。

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日本人への期待

2006-12-24 07:09:16 | Weblog
 日本人は、人との和を非常に大切にしている国民である、これを自分の足で、短い期間だったが、1年間、世界のアチコチに行って、納得しました。
 バングラデシュでは、「何故、日本人は、核を二つも落とされているのに、アメリカ人を恨んでいないのか?」と何度も聞かれました。私の娘は、今、アメリカに住んでいるし、私も家内も、アメリカに行った経験があるし、かと言って、東南アジアやヨーロッパはと言われても、やはり、それなりに、好きである。
 隣の韓国は、大好きで、今までに4回行っているし、来年の11月頃に、ソウルに行くつもりでいる。中国も、中国の太極拳(剣)を8年間してきているし、今も、中国の先生から中医学を教わり、中国の素晴らしさを実感している。
 恐らく、日本人の遺伝子には、数万年前に、日本列島が大陸と陸続きの時、人と争うことがいやで逃れて来た日本人の祖先の遺伝子が延々と受け継がれているからだと思う?!
 ヨーロッパ人は、自分の非を認めることを嫌がる。特に、フランスでは?!アメリカ人にしても、自己主張が強い。それは、歴史を見れば、理解できるが、自己主張しないと、自分が潰されてしまうからである?!
 島国の狭い日本では(7割が山)、物理的に相手の心がよく読み取れ、人々の関係が緊密でお互いに信じやすく、又、謙虚で自分よりも相手を引き立てようとすることが美徳とされて来ている。幕末から明治にかけての大混乱な時でも、桜田門外の変から西南戦争までの死者は、わずか45000人。これは、ソ連や中国での革命の時の1000分の1でしかない。
 日本人は、根本的に他者と争うことが嫌いで、又、他者と争うことは(政治の世界を見ても納得できるが)、下手な国民である。奪い合いよりも分かち合い、対立よりも和の方が得意な国民なのである。
 今、私の住んでいる所では、同じ職場の人の中には、家の鍵を1年中、掛けないと言うドクターが実際にいる。初め信じられなかったが、次第にそれが理解出来る様になった。かっての日本では、特に田舎では、家に鍵を掛ける習慣がなく、それどころか、隣の家の台所のどこに塩があるか何があるかなどさえ、お互いに把握していた。
 そうやって、何かの時には、お互いの家を行き来して、助け合って暮らしていた。競争しても、手心を加えた勝ち方をしていて、それなりに弱者や敗者を大事にしていた。
 こうした分かち合い、助け合い、信じ合いの特性は、世界が最も望んでいる今からのリーダーシップ像である。
 今後、日本人が世界の調停役として、政治の面、教育の面、文化の面、いろんな分野を通じて、世界の平和に寄与することが既に運命付けられている様に強く感じられるこの頃である。

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