本校では学習発表会がありました。
文化祭ともいえるものです。
運動会などに並んで、学校の大きなイベントの一つです。
うちはこの時期に実施されるもので、受け持つ6年生の子たちにとっては、卒業前の最後の思い出作りの場にもなりました。
さて、この学習発表会の出し物は各学年、学級で様々ですが、見ていると面白いものです。
明らかにどこかの台本をパクッてきた劇だろうな
〇〇先生は去年と全く同じ発表させてるなぁ。
このクラスは、かーなり練習を積んできてるね~
さすが〇〇先生のクラス。きっちり仕上げてきてるな
このクラスは、学習発表会は、あんまり重要だと思ってないようだね…
一般に見る人とは見方がちょっと違い、先生たちはどうしてもそんな目で見てしまいます。
今年も、例年通りいろんな発表があって楽しかったです。
我が6年生クラスはというと。
6年生としてはお決まりの劇をしました。
6年生の子どもたちによる自作の劇です。
みんなで話し合い、今年1年間の思い出を劇にしました。
6年生が学習発表会にのぞむということで、まず最初に考えたのは
子どもたちのイベントに、担任がどんなスタンスで関わるか!
ということでした。
「題目から台本まで担任が作り、みっちり指導する」
子どもたちが未熟な場合、そうする必要があるでしょうね。
もしくは、どうしてもやらせたいことが担任の中にある場合。
こうなったときは、担任の仕事量は多くなり、子どもたちはできるだけ担任の指導を理解して、それに従って動くことが望まれます。
自然と、子どもの「主体性」という面では、伸びは望めません。
が、作品のできばえとしては、ある程度高いものが期待できるでしょう。(担任の力量によりますが)
「題目など、おおまかなやりたいことは子どもたちに決めさせ、細かな台本は担任が用意する」
少し子どもたちに主体性を持たせる意味合いがあります。
が、台本づくりまで任せられないというとき、こうなるでしょう。
「題目から台本まで子どもたちに作らせてみるが、随時担任のチェックや直接指導が入る」
より主体性が強くなります。
が、担任の指導なしに先に進ませることはしません。
最後の監視役を果たします。
「基本的に、すべてを子どもたちに任せる」
頼もしい子どもたちの場合、こういったスタンスを担任がとることもできます。
もっとも子どもたちの主体性を信頼し、さらに伸ばしていこうとするやり方です。
成功すればいいものができ、それは感動的なものになります。
が、逆に失敗してしまう可能性もあるやり方です。
子どもたちがすることですから。
また、このスタンスは「放っておく」とは違います。
安全性は守られているか、人間関係は良好に保たれているか、計画的に進んでいるか、しようとしていることにモラルは守られているか、そういった目から見守る必要はあります。
大きくは、こういったスタンスの取り方に分けられるのではないかと思います。
大事なことは、どのスタンスが今の子どもたちに最適かを見極めること。
そして、決めたスタンスは可能な限り徹底して、一貫してやりとおすこと。
担任のスタンスがぶれてしまっては、子どもたちに混乱を与えることになりますから。
今年の私の場合、一番最後のスタンスのとり方に挑戦してみました。
きっとできると判断したからです。