何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

山は逃げない背負っていけ

2015-10-13 20:45:07 | 
いつも訪問しているブログで、映画「剣岳 点の記」のなかの「人は何かをしたと言うことよりは、何のためにそれをしたかと言うことに意味がある。」という言葉が紹介されていた。
何が出来たかを問われれば全く自信がないが、「(出来具合の成否はともかく)何のためにしようとしたか」ならば言葉を尽くして語れる自信がある私の心に響く言葉である。
が、この言葉を「剱岳」(新田次郎)で読んだ記憶がない。
山の本を読み漁ってた頃に新田次郎も読み、確か「剱岳<点の記>」も読んでいたはずだが、この含蓄のある言葉が私のアンテナに掛かっていないのは何故だろうかと、久しぶりに読み返してみた。
「人がどう評価しようとも、何をしたかではなく何のためにそれをしたかが大事です。
 悔いなくやり遂げることが大切だと思います」
この言葉が本にない。
読み落としたかと何度か読み返したが、やはりない。
検索してみると、この映画を見た人の多くが感銘を受けているこの言葉は、なんと映画オリジナルのセリフであって、本にはないものだと分かった。

新田次郎は「孤高の人」がそうであるように、山に複雑な人間関係やドラスチックな場面を持ち込まず、また感動を与えてやろうと大上段に構えるような言葉もなく、ただ淡々とした山行記録のような作品が多いので、一読すると映像化に向くような場面や名言は少ないが、それだけに訥々とした語り口に真実なものが感じられる。
本作も、前人未踏と云われる剱岳に陸地測量部が三角点を建てようとする登山史とも明治期の測量の記録とも思われる筆致である。

剱岳
弘法大師が草鞋三千足使っても登れなかったという逸話が残るほど険しい山であるのは確かだが、明治まで公に登頂の記録がないのは、立山信仰により剱岳は登ってはならない山になっていたことに起因する。
立山曼荼羅で有名な立山信仰は、立山連峰を浄土に剱岳を地獄の針の山とし、剱岳に登ることを禁じたため、登ろうとする者は少なかったが、いなかったわけではないし、既に開山されているという言い伝えもあった。

奈良時代に既に修験者により開山されているという言い伝えを確かめるために登頂を果たし、開山を確かめ下山するなり殺された修験者もおれば、宗教上の理由で登ることを禁ずることに不審感を抱き登頂を志し、登頂を果たした帰路で不慮の死を遂げた武士もいる。
誰が剱岳に登った修験者を殺し、武士を殺したのか。
行者は云う。
立山信仰を守ることで莫大な既得権益を得る者。
『剱岳は聖なる山だった。
 大日如来のまします山が、針の山にされ、死の山にされていたのは、まことに不幸なことだった。~中略~
 山は神であり同時に仏でもある。権現思想に拒絶はない。
 登りたい人は誰でも登って、山気、霊気に触れて来ればいいのだ。
 つまり、あなたが剱岳に登ることの意味は、宗教的開山の意味といささかも違っていないのだ』

別の修験者も云う。
『剱岳は登れない山、登るべき山ではないと云っているのは、立山信仰を信ずる人たちであって、私のように、
 正しい修験道を歩む者には、登れない山もないし、登ってはならない山もありません。』

「剣岳」で修験者は、立山信仰そのものを否定しているのではなく、立山信仰を利用し荒稼ぎするのみなならず、それが露見するのを恐れて修験者を殺し武士を殺した加賀藩を責めているのだが、この構図はどこか既視感がある。
剱岳は、奈良時代に既に開山が認められていた。
時代がくだり、開山の事蹟を認めないどころか、開山そのものを宗教的に否定するようになる。
山々に宗教的なベールを被せることで神秘性と閉鎖性を高め、それゆえに既得権益が強固なものとなる。

既視感とは、女性天皇が認められない議論である。
奈良時代には何人もの女性天皇がおられたが、弘法大師が草鞋三千足をもってしても登頂できなかったという逸話が生まれた時期を最後に女性天皇は否定され、男系男子に限ることで神秘性を持たせようとしてきたあたり、見たような聞いたような話である。

しかし、山は閉ざされてはいなかった。
二人の修験者の言をお借りすれば、奈良時代には既に剱岳は開山されており、時代がくだり剱岳登山が禁じられた後も「正しい修験道を歩む者」は登ることができたのであり、日本の真の神仏(権現思想)をつきつめれば、権現思想は一部の既得権益を貪る者を利するものでも狭量なものではなく、広くそれを望む人を拒絶しはしない。よって、剱岳に登ることは宗教的に間違いを犯すことではないと断定している。

ここに女性天皇の議論を重ねてみれば、奈良時代に既に大きな働きをされていた女性天皇を今の時代に認めないのは、日本の正しいあり方とは思えないのだが、いささか我田引水に過ぎるかもしれないので、この考察はこれくらいにしておくとする。

冒頭に感銘を受けた言葉として「人は何かをしたと言うことよりは、何のためにそれをしたかと言うことに意味がある。」を書いたが、これは本「剣岳」にない言葉なので、何か本にあるもので感銘を受ける言葉はないかと探してみた。

剱岳頂上に三角点を建てるため登頂を期する主人公の陸地測量部の柴崎に修験者が云う言葉
『雪を背負って登り、雪を背負って帰れ』
前人未踏といわれる険しい剱岳に登る時、一番避けたい避けるべきルートが「雪を背負って登り雪を背負って下る」ことだと一般には考えられるのだろうが、その一番避けるべき困難な方法こそが、頂上に立つための正しい道だと修験者は云っている。
軟弱な私には理解も実践も難しいが、そこに真実があることだけは感じている。

このような難しい言葉は人生の宿題とするとして、この夏涸沢小屋でしばしば聞いた言葉が「剱岳」にも記されていた。
『なあに、あせることはないですよ。山は逃げはしないですから』

常念岳を拝むために登ったはいいが、雨雲にすっぽり包まれた涸沢小屋からは常念岳は臨めなかった。
長野県警山岳警備隊から醸し出される「この雨のなか登るなよ」オーラに従い、ほとんどの登山者は小屋で停滞していたのだが、その時に山のベテランと思しき人々が口にしていた言葉が「山は逃げない」であった。

何時になれば常念岳に登ることができるのか分からないまま、ともかく歩くことを続けている日々だが、
「山は逃げない、常念岳も逃げない」
応援している人々の幸せを祈るため常念岳に登る日を楽しみにしている。


鹿島槍ヶ岳よりのぞむ剱岳


映画「剱岳 点の記」を日本山岳会会員の皇太子様も御覧になったが、新田次郎は皇太子様が愛読される作家としても知られているそうだ。


写真出展 ウィキペディア

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