何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

光が医師 ワンコを治しておくれ

2015-10-21 00:07:55 | 
懺悔日記
20日 19日の病院の待ち時間を、南東に向いたベンチで日向ぼっこしながら待っていた。
    これが良かったのか、ゆったりと薬が効いているのか、ワンコは夜鳴きもせずに熟睡。
    チッチの量は少なめで色も少し濃い、これが薬の影響かまだ鮮血が混じっているのかは素人には
    判断できないが、状態としては落ち着いている。
    前回の膀胱炎の治療中にも便秘になったが今回も便秘気味であり、それを本人が気にしている様子が
    何とも可哀そうでならない。

昼夜逆転による夜鳴きについて、「なるべく朝日を浴びさせてあげて下さい」と指導されていたが、梅雨時は薄ら寒く、真夏は朝日もへったくれもなく外に出すのが恐ろしいほどの暑さだったので、朝日を浴びることが少なかったかもしれない。しかし昨日、朝日の効用を実感したことでもあるし、澄み渡る秋空は心を清々しくもしてくれるので、これからもワンコ日向ぼっこを心がけようと思っている。
この冬はNASAが「少なくとも普通の冬にはならない」と警告を発するほどの異常気象になるそうだが、朝の光こそが最良の医師かもしれないワンコの為にも、うららかな暖冬になることを願っている。


さて、光と対となるのが闇だと思うが、「闇医者おゑん 秘録帖」(あさのあつこ)の闇医者おゑんは患者の心に光を燈すことで治療をすすめる。

若旦那に弄ばれた挙句「こっそり闇医者に堕ろしてもらえ」と命じられ途方に暮れる女中お春。
『堕ろしよりほかに手立てはないでしょう。~中略~ どうしようもないじゃありませんか』と嘆くお春に、
おゑんは諭す。
『どうしようもない、ねえ』
『使い勝手のいい言葉ですよね。そう言ってしまえば、あれこれ考えずに済む』
『お春さん、女の前にはね、存外多くの途が延びているもんなんですよ。
 それに気が付かないまま閉ざしてしまうの、ちっと惜しくはないですかねえ』

「どうしようもない」を重宝し、あれこれ考えずにきた結果が今の自分なので、耳に痛い。
それはともかく、時代を考えれば『女の前にはね、存外多くの途が延びているのものなんですよ』という言葉はもちろん希望を与え、お春も生きる希望を見出すのだが、「今の時代、多くの選択肢があることが却って辛い時がある」と話す若い男女の会話をつい最近耳にしたばかりだ。
「結婚するとき、寿退社を迫られ考えねばならないのは女性であって男性ではないのと同様に、妊娠出産を機に家庭に入ることを考えねばならぬのは女性であって男性ではない。夫婦別姓の法整備が話題となって久しいが、それは女性側の選択肢の広がりであって男性が悩むことはやはり少ない。節目節目で選択を迫られる女性は苦しい」と訴える女性陣に対し、「選択する余地がない男性の方が苦しい」と男性陣は訴えている。
「どちらにしても、どうしようもない」と、つい思ってしまう自分を反省している。

途が多くあろうと一本途しかなかろうと、「どうしようもない」と諦めずに生きるため、心を病まず生きるためおゑんは「胸の内をちゃんとしゃべるんですよ」と語りかける。
『言葉には命がある。命あるものは生かされなければ腐り、腐れば毒を出すとね』
『言わず、言われず、胸にしまい込んだままの言の葉は、いつしか積み重なり腐り、異臭を放つ。』

おゑんが「語れ」と言うのは、医師であった祖父の教えでもあるが、それでけではない。

流行病で次々死者がでるにも拘わらず何の手も打てないという批判を恐れた藩は生贄を求める、それが異国人の医師である祖父であった。
命からがら生き延びたおゑんと母のもとに伝わった祖父母の最期は、藩の意のままに怒りの矛先を異国人の医師に向けた百姓漁民によって、祖父母の生首は腐り崩れるまで河原に晒されたとも、生きたまま火に炙られたともいう酷いものだった。
両親を嬲殺しにされたおゑんの母は、人には言えない更なる心の傷を抱えていた。その傷について一言も語らぬまま『魂のどこか一部が膿んで腐り落ちてしま』ったまま逝ってしまった母の苦悩を思い、おゑんは言う。
『魂と身体は繋がっています。分けようがないほど結びついているんですよ』
『魂は気力を生む。そこを傷めることは、生きようとする気力を殺ぐことだ。
 気力だけで病や傷は癒えない。しかし、気力を失えば、いかに高直な薬も名医の治療も半減させる。』

魂と心の疵が体に及ぼす危険については青山文平氏「鬼はもとより」で「體の深くに、溜め込んだ無数の(精神的)疵は、遠からず人を壊すかもしれない。内なる疵が重なれば、體の強い者は心を壊し、心の強い者は體を壊す。」と書いている。(参照、「生きることと見付けたり」

誰にも話せないまま心の疵が重なれば、いずれ心を壊してしまうのだ。

雅子妃殿下と敬宮様を思いながら、『女の前にはね、存外多くの途が延びているのものなんですよ』、『言わず、言われず、胸にしまい込んだままの言の葉は、いつしか積み重なり腐り、異臭を放つ。』『内なる疵が重なれば、體の強い者は心を壊し、心の強い者は體を壊す。』という言葉を読むと、胸が締め付けられる思いがする。
ハーバード大学をマグナクムラウデで卒業し東大とオックスフォードでも学び、五か国語に通じた外交官として輝かしい途が広がっていた雅子妃殿下が皇室にあがられたとき、雅子さんの道が閉ざされたと感じた人もいただろうが、皇室の道は開かれるという明るい希望も感じさせた。それが、男児を産むという一つの途が閉ざされただけで存在価値を奪われ、心を病んでしまわれることになろうとは、ご成婚の時には思いもよらなかった。
男児を産むことが出来なかったという一点で、それまでの努力も教養もその賜物である御人格も否定された雅子妃殿下は、胸の苦しみを明かされることなく(もちろん、口答えも舌打ちもされることなく)ただ、ひたすら苦しい胸の内を仕舞い込み、心を病んでしまわれた。

本書には、妬む相手の心を病ませようする鬼(嫉妬に狂う女)の存在が書かれている。
その鬼は、妬む相手の心を壊して気をふれさせ心労のあまり息の根が絶えてくれればなおよしと策を弄するが、既の所でおゑんが遮る。
雅子妃殿下もまた多くの鬼に付け狙われておられたと思うが、皇太子様と敬宮様が守りきられ、最近では御病気前のような笑顔を見せて下さるまでに回復されている。

そして、雅子妃殿下を守られる敬宮様を思うとき『女の前にはね、存外多くの途が延びているものなんですよ』という言葉は更に皮肉な響きを持つが、新しい時代に、敬宮様ご自身が多くの女性に多くの途を示す先駆者となって下さるかもしれない。

雅子妃殿下と敬宮様の前に、明るい途が広がることを心より祈っている。
お二人によって切り開かれる途が、日本を良い方向へ導くことと信じている。

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