「再びのナンバーワンを目指して」で<新入社員の63%、海外勤務望まず 過去最多と民間調査>というニュースについて書いたが、その調査を行った産業能率大が調査報告書の全文を「第6回新入社員のグローバル意識調査」PDFファイルで提供している。
この調査は調査開始は2001年だが、'04年から急激に海外勤務を敬遠する傾向が顕著になる。'04に何があったかを念頭に入れて、文科省の「日本人の海外留学状況」というデータを重ねると、興味深い考察ができるのではないかと考えている。
日本人の海外留学数はバブル経済を背景に増加の一途をたどっているが、'93には過去最高の伸び率を示している。
この'93年に皇太子ご夫妻のご成婚があり、颯爽とした外交官出身の皇太子妃誕生に日本中が湧きかえった。
ハーバード大学をマグナ・クム・ラウデで卒業し、東大とオックスフォードで学んだ外交官という経歴だけでも華々しいが、その実力を裏付けるように、ベーカー元国務長官来日時に中曽根・竹下元首相や渡辺元外務大臣の通訳を務めた姿や、日米半導体協議に日本側代表メンバーとして活躍する姿が日ごとに報道され、圧倒的な学力に驚かされるとともに、しかし女性らしい立ち居振る舞いと洗練された姿は憧れの的にもなっていった。
類まれな才能と容姿を備えた皇太子妃の誕生は当時の若者の目を世界に向けさせたが、何より海外でこれだけの学問を修めた人間が、「根無し草になりたくない。日本のために仕事がしたい」と数々の海外企業の申し出を断り日本の公務員の道を選んだことが、当時の学生に与えた影響は大きかったのではないだろうか、と当時の大学を知る人間としては感じている。
「海外で学び、海外で十分通用する能力を身に着けた上で、日本のために働く。」
訪日する海外要人に帯同する通訳は雅子さんの語学力だけでなくコミュニケーション能力に舌を巻いたというし、激烈な日米半導体協議を戦った相手国は雅子さんの結婚を知り「タフネゴシエーター雅子が日米交渉から消える」と喜んだともいう。
また雅子妃殿下は単に学力が秀でていただけでなく外国人が重要視するユーモアとウイットに富んだ表現力も有していたというエピソードを産経新聞客員編集委員でもあった花岡信明氏は紹介されている。
☆竹下首相を驚かせた演説草稿の書き手 (皇太子妃雅子さまの首相演説草稿 花岡信昭より一部引用)
もっとも官僚が作成した首相演説でも、出色の内容となった例がないわけではない。竹下登氏が首相時代、環境関係の国際会議に出て演説することになった。外務省と官邸の間で演説草稿がまとめられていった。
何度目かの原稿で新たに加えられた部分があり、竹下氏を驚かせた。「ハス池のナゾ」というくだりである。こんな内容であった。
「ある池がありました。そこのハスは1日で倍に増えるのです。ある日、池の全面がハスで覆われ、小魚などは死滅してしまいました。それでは、この池の半分がハスに覆われていたのはいつごろだったでしょうか」
この答えは「前日」である。環境問題は放置しておくと取り返しのつかない事態になる、ということを象徴的に示したものだ。
竹下氏はだれがこの部分を付け加えたのか、調べさせた。「小和田事務官でございます」という回答があった。
いまの皇太子妃、雅子さまである。
これだけの能力のある女性が現実生身の外交の場から離れたのはある種の国益に反したのではないかと思われるが、100人の大使にも勝るといわれる皇室の親善外交の場でその能力を活かす場を与えられ御活躍になれば、日本を取り巻くものは変わっていたかもしれないし、これほど若者が内向きにもならなかったかもしれない。
しかし、子供を男児を授かることが最優先事項となり、その能力に見合う活躍の場は与えられないままに雅子妃殿下は心を病んでしまわれた。
もちろん9・11が世界に与えた影響や長引く不況のせいもあるだろうが、雅子妃殿下が御病気を公表された2004年から海外留学をする人は減り海外勤務を敬遠する人は増加し始めたという傾向は、男子出産こそが存在価値と云わんばかりの価値観と相俟って世間を席巻した「祖国とは国語(母語)」の風潮により拍車がかかり、以後の若者の内向き姿勢は今も改まることはない。
「祖国とは母語」は真実だとは思うが、母語や母国を誇るあまり他国の言語や文化を排斥するのは間違いだと思うし、鎖国時代に戻らぬ限り自国に閉じこもっているわけにはいかない。であれば、素晴らしい母国を他国に理解してもらうための道具として外国語を使いこなせるよう努力するのも又母国の為になるのではないか。
素晴らしい日本文化を世界に発信する素晴らしい能力を有した皇太子妃を、世界とは相いれない旧弊な価値観で病に追い込み、その価値観の広まりにより内々に凝り固まっていってしまう現在の社会、
これで良いのか、ニッポン。
雅子妃殿下が卒業論文を書くにあたり指導を仰いだ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者エズラ・F・ヴォ―ゲル氏はその著作の中で、日本人が高い経済成長を成し遂げた原動力として高い学習意欲と勤勉性を挙げているが、氏はまさにハーバード時代の雅子さんにその姿を見ているのだ。
雅子妃殿下がハーバードを卒業された年の卒業生は1681人。
マグナクムラウデを受賞したのは55人で、雅子妃殿下が在籍した経済学部では三人だった。
この点につきエズラ・F・ヴォ―ゲル教授をはじめ経済学部の教授陣は「彼女は非常にプロフェッショナルな意識が強い女性で、よく勉強しました」 「言葉の問題もあり、外国出身者がこの賞をとるのはまず不可能。そのハンディを考慮すると、マサコは事実上の最優秀だったといえる。たいへんな価値です」 と語っている。
日本人の真面目さと勤勉さの象徴のような女性を、男児が産めなかったという理由で病むままに捨て置くのか。
遅きに失した感がないではないが、まだ間に合うと信じたい。
それまでの閉鎖性を打ち破り多様性を認めた布陣を敷いたラグビー日本代表が歴史的勝利を得て、それが日本に喜びをもたらしたのを教訓にし、旧弊な価値観に絡め取られて内向き志向に縮こまるのを改める時期だと思っている。
2020年の東京オリンピックを前に、国もようやっと若者の内向き志向に危機感をもち、日本の伝統文化を守る教育とともに広く海外へも目を向ける体制を整えつつある。
男児を産むことができなかった女性を病むままに放置する日本でいくのか、海外を向こうに張り活躍できる能力を持つ皇太子妃の能力をあるがままに認め活かす体制を整えていく日本でいくのか。
今まさに、日本の行くべき道の選択が迫られている。
日本は岐路にある。
この調査は調査開始は2001年だが、'04年から急激に海外勤務を敬遠する傾向が顕著になる。'04に何があったかを念頭に入れて、文科省の「日本人の海外留学状況」というデータを重ねると、興味深い考察ができるのではないかと考えている。
日本人の海外留学数はバブル経済を背景に増加の一途をたどっているが、'93には過去最高の伸び率を示している。
この'93年に皇太子ご夫妻のご成婚があり、颯爽とした外交官出身の皇太子妃誕生に日本中が湧きかえった。
ハーバード大学をマグナ・クム・ラウデで卒業し、東大とオックスフォードで学んだ外交官という経歴だけでも華々しいが、その実力を裏付けるように、ベーカー元国務長官来日時に中曽根・竹下元首相や渡辺元外務大臣の通訳を務めた姿や、日米半導体協議に日本側代表メンバーとして活躍する姿が日ごとに報道され、圧倒的な学力に驚かされるとともに、しかし女性らしい立ち居振る舞いと洗練された姿は憧れの的にもなっていった。
類まれな才能と容姿を備えた皇太子妃の誕生は当時の若者の目を世界に向けさせたが、何より海外でこれだけの学問を修めた人間が、「根無し草になりたくない。日本のために仕事がしたい」と数々の海外企業の申し出を断り日本の公務員の道を選んだことが、当時の学生に与えた影響は大きかったのではないだろうか、と当時の大学を知る人間としては感じている。
「海外で学び、海外で十分通用する能力を身に着けた上で、日本のために働く。」
訪日する海外要人に帯同する通訳は雅子さんの語学力だけでなくコミュニケーション能力に舌を巻いたというし、激烈な日米半導体協議を戦った相手国は雅子さんの結婚を知り「タフネゴシエーター雅子が日米交渉から消える」と喜んだともいう。
また雅子妃殿下は単に学力が秀でていただけでなく外国人が重要視するユーモアとウイットに富んだ表現力も有していたというエピソードを産経新聞客員編集委員でもあった花岡信明氏は紹介されている。
☆竹下首相を驚かせた演説草稿の書き手 (皇太子妃雅子さまの首相演説草稿 花岡信昭より一部引用)
もっとも官僚が作成した首相演説でも、出色の内容となった例がないわけではない。竹下登氏が首相時代、環境関係の国際会議に出て演説することになった。外務省と官邸の間で演説草稿がまとめられていった。
何度目かの原稿で新たに加えられた部分があり、竹下氏を驚かせた。「ハス池のナゾ」というくだりである。こんな内容であった。
「ある池がありました。そこのハスは1日で倍に増えるのです。ある日、池の全面がハスで覆われ、小魚などは死滅してしまいました。それでは、この池の半分がハスに覆われていたのはいつごろだったでしょうか」
この答えは「前日」である。環境問題は放置しておくと取り返しのつかない事態になる、ということを象徴的に示したものだ。
竹下氏はだれがこの部分を付け加えたのか、調べさせた。「小和田事務官でございます」という回答があった。
いまの皇太子妃、雅子さまである。
これだけの能力のある女性が現実生身の外交の場から離れたのはある種の国益に反したのではないかと思われるが、100人の大使にも勝るといわれる皇室の親善外交の場でその能力を活かす場を与えられ御活躍になれば、日本を取り巻くものは変わっていたかもしれないし、これほど若者が内向きにもならなかったかもしれない。
しかし、子供を男児を授かることが最優先事項となり、その能力に見合う活躍の場は与えられないままに雅子妃殿下は心を病んでしまわれた。
もちろん9・11が世界に与えた影響や長引く不況のせいもあるだろうが、雅子妃殿下が御病気を公表された2004年から海外留学をする人は減り海外勤務を敬遠する人は増加し始めたという傾向は、男子出産こそが存在価値と云わんばかりの価値観と相俟って世間を席巻した「祖国とは国語(母語)」の風潮により拍車がかかり、以後の若者の内向き姿勢は今も改まることはない。
「祖国とは母語」は真実だとは思うが、母語や母国を誇るあまり他国の言語や文化を排斥するのは間違いだと思うし、鎖国時代に戻らぬ限り自国に閉じこもっているわけにはいかない。であれば、素晴らしい母国を他国に理解してもらうための道具として外国語を使いこなせるよう努力するのも又母国の為になるのではないか。
素晴らしい日本文化を世界に発信する素晴らしい能力を有した皇太子妃を、世界とは相いれない旧弊な価値観で病に追い込み、その価値観の広まりにより内々に凝り固まっていってしまう現在の社会、
これで良いのか、ニッポン。
雅子妃殿下が卒業論文を書くにあたり指導を仰いだ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者エズラ・F・ヴォ―ゲル氏はその著作の中で、日本人が高い経済成長を成し遂げた原動力として高い学習意欲と勤勉性を挙げているが、氏はまさにハーバード時代の雅子さんにその姿を見ているのだ。
雅子妃殿下がハーバードを卒業された年の卒業生は1681人。
マグナクムラウデを受賞したのは55人で、雅子妃殿下が在籍した経済学部では三人だった。
この点につきエズラ・F・ヴォ―ゲル教授をはじめ経済学部の教授陣は「彼女は非常にプロフェッショナルな意識が強い女性で、よく勉強しました」 「言葉の問題もあり、外国出身者がこの賞をとるのはまず不可能。そのハンディを考慮すると、マサコは事実上の最優秀だったといえる。たいへんな価値です」 と語っている。
日本人の真面目さと勤勉さの象徴のような女性を、男児が産めなかったという理由で病むままに捨て置くのか。
遅きに失した感がないではないが、まだ間に合うと信じたい。
それまでの閉鎖性を打ち破り多様性を認めた布陣を敷いたラグビー日本代表が歴史的勝利を得て、それが日本に喜びをもたらしたのを教訓にし、旧弊な価値観に絡め取られて内向き志向に縮こまるのを改める時期だと思っている。
2020年の東京オリンピックを前に、国もようやっと若者の内向き志向に危機感をもち、日本の伝統文化を守る教育とともに広く海外へも目を向ける体制を整えつつある。
男児を産むことができなかった女性を病むままに放置する日本でいくのか、海外を向こうに張り活躍できる能力を持つ皇太子妃の能力をあるがままに認め活かす体制を整えていく日本でいくのか。
今まさに、日本の行くべき道の選択が迫られている。
日本は岐路にある。