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人生、どちらを持って指したいか②

2017-07-09 11:27:35 | ひとりごと
「どちらを持って指したいか」より

もともと下記の文は、「どちらを持って指したいか」の末尾に追記として記すつもりの文章であった。
そもそも掲載することを躊躇う気持ちの強い文章でもあった。
だが、どうしても残しておきたいというのも正直な気持ちであった。
それ故に、別立てて仕立てたうえで、後に「どちらを持って指したいか」本文に収録しようと思いつつ、こうして掲載している文章である。


「どちらを持って指したいか?」という問いかけを人生に置き替えたのには理由がある。

何年も病に臥せり公務が果たせない方を責める論調が散見されるようになった頃、ある記事が目にとまった。
それは、共感し好きなのは あの方だが、もし自分が立場が変われるとしたら その隣の人の方(ほう)になりたい、という世論調査をまとめたものだった。
たとえ恵まれた環境にあったとしても五か国もの言語を修得するには本人の並々ならぬ努力が必要だったことは想像に難くない。それを生かすための道を歩み始めていたその方が未知の世界に飛び込んだ時、その才が彼女のためにも国のためにも生かされることを多くの国民は望んだことだと思う。だが、男子を産むことができなかった、その一点で責め立てられ病に倒れ、病んで尚(ある種の目的を持つ人により)罵倒されるという異常事態が起こるようになっていく。その一方で、あちこち動き回る健康と ここぞという時を狙いすまし男子を産み分ける器用さを持ち合わせた人が隣にいた。

どちらの人生を、楽・有利・勝利と見るかは、見る側の人生観にもよるが、「共感し大好きだと思う人」と「なれるならコッチの人」が明確に分かれているデーターに、驚きとともに人の優しさと弱さを感じたのだ。

人生において「どちらを持って指したいか」は、そう単純なものではない。
だからこそ、「共感し好きだと思う人」達を、心をこめて応援していきたいと思っている。