「敬愛の花もて進め」 「大和路巡礼は お上品に」より
一言の願いなら何事でもお聴き下さることで有名な一言主神社。
以前から、その高名は聞き及んでいたが、一言を決めることが出来ず、一息で「開運出世、学業成就、無病息災、家内安全などなど」を唱えれば、それも’’一言’’と言えまいか、などと思うばかりでお参りできずにいた。
だが、去年ついにお参りし、その静謐な空気に魅せられので、今年もお訪ねすることにした。
祭神 二柱 葛城之一言主大神 - 主神 幼武尊 - 第21代雄略天皇
『一言主大神は、第二十一代雄略天皇(幼武尊)が葛城山に狩をされた時に』『天皇と同じ姿で葛城山に顕現され、雄略天皇はそれが大神であることを知り、大御刀・弓矢・百官どもの衣服を奉献したと伝えられて』いるそうだ。
『天皇はこの一言主大神を深く崇敬され、大いに御神徳を得られた』という。
『この大神が顕現された「神降(かみたち)」と伝える地に、一言主大神と幼武尊(雄略天皇)をお祀り』しているのが、一言主神社である。
(『 』http://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001409.htmlより引用)
雄略天皇というと、万葉集 巻の1の1 つまり万葉集の巻頭を飾る歌が有名だ。
『籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘ます児
※家告(の)らさね 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて
われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも』
~訳~
『かごよ、良いかごを持ち、掘串よ、良い掘串を以て、この丘で若菜をお摘みの乙女よ。
あなたの家をおっしゃい。名前をおっしゃい。この大和の国は、すべて私が領有している。一面に私が収めているのだ。この私がまず名告ろう。私の家も名前も』「万葉集(上)」(桜井満 訳)より
倭の五王の武に比定され、大和王権を確立させた偉大な天皇の御性格について私は書くべきものを持たないが、御自分と同じ姿の大神を御覧になり、深く崇敬され、大御刀・弓矢・百干の衣服を神に献じて拝礼されたという雄略天皇と、良く云えば恋文、下世話な言葉で云えばナンパを詠った歌で万葉集の巻頭を飾られる雄略天皇には、同じ大らかさが感じられる。
だが、その一方で雄略天皇は、二人の兄と、前の天皇の継子、そして従兄弟など、自分にとって脅威になりそうな人間を次々と殺すことによって権力を手中に収めたとされている。
そうまでして権力を手に入れたにも拘らず、皇后には御子がなく、妃のよる皇子らが皇位を争う事態となり、雄略天皇の血筋は男系では途切れてしまったのだが、皇女の春日大娘皇女が仁賢天皇の皇后となり、その娘の手白香皇女が継体天皇の皇后となり欽明天皇を産んでいることから、その御血筋は女系を通じて現在の皇室まで続いているのだ。
このような雄略天皇は、皇位継承で揺れる現在を、どのように御覧になっているだろうか。
一言主神社を参拝した後に訪れた正倉院展は、聖武天皇の遺愛品が数多く公開されているが、聖武天皇は伯母の元正天皇から皇位を受け継ぎ、娘の孝謙天皇へと皇位を繋がれている。
このような聖武天皇は、皇位継承で揺れる現在を、どのように御覧になっているだろうか。
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一言主神社の清浄な空気は、ただただ清々しく有難いものだったが、高台の境内から大和平野を遙かに見はるかす佇まいの一羽の鳥を見つけた時、すめらびとの孤独を感じずにはおれなかった。
だからこそ、一言主神社の神様には、ただ一心に一言の願いを捧げ続けたいと思っている。
参照1、
※本文で『家告(の)らさね 名告らさね』と記している部分は、 「家聞かな 名告(の)らさね」とするものもあるそうだが、ここでは「万葉集(上)」(桜井満 訳)に従うことにする。
参照2、
「雄略天皇」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E7%95%A5%E5%A4%A9%E7%9A%87
一言の願いなら何事でもお聴き下さることで有名な一言主神社。
以前から、その高名は聞き及んでいたが、一言を決めることが出来ず、一息で「開運出世、学業成就、無病息災、家内安全などなど」を唱えれば、それも’’一言’’と言えまいか、などと思うばかりでお参りできずにいた。
だが、去年ついにお参りし、その静謐な空気に魅せられので、今年もお訪ねすることにした。
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『一言主大神は、第二十一代雄略天皇(幼武尊)が葛城山に狩をされた時に』『天皇と同じ姿で葛城山に顕現され、雄略天皇はそれが大神であることを知り、大御刀・弓矢・百官どもの衣服を奉献したと伝えられて』いるそうだ。
『天皇はこの一言主大神を深く崇敬され、大いに御神徳を得られた』という。
『この大神が顕現された「神降(かみたち)」と伝える地に、一言主大神と幼武尊(雄略天皇)をお祀り』しているのが、一言主神社である。
(『 』http://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001409.htmlより引用)
雄略天皇というと、万葉集 巻の1の1 つまり万葉集の巻頭を飾る歌が有名だ。
『籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘ます児
※家告(の)らさね 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて
われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも』
~訳~
『かごよ、良いかごを持ち、掘串よ、良い掘串を以て、この丘で若菜をお摘みの乙女よ。
あなたの家をおっしゃい。名前をおっしゃい。この大和の国は、すべて私が領有している。一面に私が収めているのだ。この私がまず名告ろう。私の家も名前も』「万葉集(上)」(桜井満 訳)より
倭の五王の武に比定され、大和王権を確立させた偉大な天皇の御性格について私は書くべきものを持たないが、御自分と同じ姿の大神を御覧になり、深く崇敬され、大御刀・弓矢・百干の衣服を神に献じて拝礼されたという雄略天皇と、良く云えば恋文、下世話な言葉で云えばナンパを詠った歌で万葉集の巻頭を飾られる雄略天皇には、同じ大らかさが感じられる。
だが、その一方で雄略天皇は、二人の兄と、前の天皇の継子、そして従兄弟など、自分にとって脅威になりそうな人間を次々と殺すことによって権力を手中に収めたとされている。
そうまでして権力を手に入れたにも拘らず、皇后には御子がなく、妃のよる皇子らが皇位を争う事態となり、雄略天皇の血筋は男系では途切れてしまったのだが、皇女の春日大娘皇女が仁賢天皇の皇后となり、その娘の手白香皇女が継体天皇の皇后となり欽明天皇を産んでいることから、その御血筋は女系を通じて現在の皇室まで続いているのだ。
このような雄略天皇は、皇位継承で揺れる現在を、どのように御覧になっているだろうか。
一言主神社を参拝した後に訪れた正倉院展は、聖武天皇の遺愛品が数多く公開されているが、聖武天皇は伯母の元正天皇から皇位を受け継ぎ、娘の孝謙天皇へと皇位を繋がれている。
このような聖武天皇は、皇位継承で揺れる現在を、どのように御覧になっているだろうか。
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一言主神社の清浄な空気は、ただただ清々しく有難いものだったが、高台の境内から大和平野を遙かに見はるかす佇まいの一羽の鳥を見つけた時、すめらびとの孤独を感じずにはおれなかった。
だからこそ、一言主神社の神様には、ただ一心に一言の願いを捧げ続けたいと思っている。
参照1、
※本文で『家告(の)らさね 名告らさね』と記している部分は、 「家聞かな 名告(の)らさね」とするものもあるそうだが、ここでは「万葉集(上)」(桜井満 訳)に従うことにする。
参照2、
「雄略天皇」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E7%95%A5%E5%A4%A9%E7%9A%87