「真っ向勝負に栄冠を!」 「科学か愛の力か、コツコツか」より
せっかくの甲子園100回記念大会の開会式についての文章で、以下のような嫌味を書いたのには、理由がある。
『連日40℃に迫る酷暑のなかでの記念大会であり、選手たちの体調も心配だが、開会式は日頃 体を鍛えているわけではない普通の高校生も多く運営に関わっているので、邪まな思惑で全国中等学校野球大会(現全国高等学校野球選手権大会)を始めた主催社の挨拶を簡素にするのは勿論のこと、式次第もサクサクと進められることを望んでいたのだが、なかなかそうもいかない。』「真っ向勝負に栄冠を!」
今でこそ夏の甲子園(野球)は、青少年の健全な育成に寄与する国民的行事(スポーツ)のように受け留められているが ー いや、この表現は正しくはない ー 野球に打ち込む若者は、100年以上前から変わらず健全であったのだが、野球を如何に受け留めるかには変遷がある。
しかも、その変遷を意図的に歪めてリードしてきたのが、現在の夏の甲子園の主催社だ。
この主催社、過去には「野球有害論」なるもので世間を惑わし、球児を苦しめたにもかかわらず、「野球有害論」では発行部数が激減すると見るや、手のひらを返し夏の甲子園の前身である「全国中等学校野球大会」を挙行したのだ。
「100年、100回」と喧伝しながら、この経緯に頰被りを決め込み一言も触れず、「健全な精神」だの何だのと宣っている、これだけでも嫌味の一つも言いたいところだが、まだまだ不満のネタはある。
この100回記念大会の開会式には皇太子ご夫妻がご臨席されたが、これまでの皇室報道を思い返せば、よくも恥ずかしくも無く猛暑のなかでの御臨席をお願いできたものだという気がしてならない。
雅子妃殿下の流産と敬宮様の通学問題に、この主催社は許しがたい大きな大きな咎がある。
それを、御心の広い皇太子御一家がお許しになろうとも、一連の皇太子御一家バッシングが、この国から権威を重んじる空気と慎みを奪い、病者や女児を集団リンチのように虐げても構わないという空気を作りだしたと、私は考えているので、マスコミに向ける視線はどこまでも厳しくなる。
そんなマスコミのインチキな報道ぶりを身近に知る機会が、まさに野球関連であった。
我が野球小僧が、地方大会の始球式で投げた!
選手としては伸び悩み、毎回試合に出られるわけではないのだが、キャプテンとしてはなかなかに活躍している彼に、始球式で投げるという大役が回ってきた。
練習を積み、当日は甲子園の常連校のベンチから「ナイスボール!」の声があがるピッチングで大満足だったのだが、それを伝える記事を読み、こんなことまで歪めるのかと、呆れ果てたのだ。
野球小僧、文房具を憧れの選手のロゴ入りのもので揃えるほど、好きなプロ野球選手がいる。
始球式と前後して、地方テレビ局や主催社支局から、「好きな野球選手は?」というインタビューを受けていた野球小僧は当然、テレビ局にも新聞社にも、憧れの選手の名を言ったのだが、新聞社は違う名前を書いたのだ。
新聞を読み不審に思った私が理由を訊ねると、野球小僧は、「どちらにも本当に好きな選手の名を告げたのだが、新聞社はその選手では納得しない様子をアリアリと示し、違う選手の名を言わせようとする雰囲気がプンプンした」という。日頃の野球小僧なら、好きな選手の名は譲らないのだが、「始球式の日は猛烈に暑く、めんどうになり(大人の対応で、笑) 記者が望んでいる選手の名 も 言ってやった」、そうなのだ。
そして記事なったのは、記者が言わせたかった選手の名前のみ。
新聞記者がどうしても言わせたかった選手と新聞社(もしくは記者本人)にどのような関係があるのかは知らないが、野球小僧の憧れを曲げてまで伝えて良いものではないだろう。
一事が万事、この調子なのだと思っている。
とは云え、やはり夏の甲子園と野球はいいな、と思わせてくれることもあったので、今年も贔屓のチームをつくり手に汗握り応援している。
そんな気持ちについては、もう少しつづく
せっかくの甲子園100回記念大会の開会式についての文章で、以下のような嫌味を書いたのには、理由がある。
『連日40℃に迫る酷暑のなかでの記念大会であり、選手たちの体調も心配だが、開会式は日頃 体を鍛えているわけではない普通の高校生も多く運営に関わっているので、邪まな思惑で全国中等学校野球大会(現全国高等学校野球選手権大会)を始めた主催社の挨拶を簡素にするのは勿論のこと、式次第もサクサクと進められることを望んでいたのだが、なかなかそうもいかない。』「真っ向勝負に栄冠を!」
今でこそ夏の甲子園(野球)は、青少年の健全な育成に寄与する国民的行事(スポーツ)のように受け留められているが ー いや、この表現は正しくはない ー 野球に打ち込む若者は、100年以上前から変わらず健全であったのだが、野球を如何に受け留めるかには変遷がある。
しかも、その変遷を意図的に歪めてリードしてきたのが、現在の夏の甲子園の主催社だ。
この主催社、過去には「野球有害論」なるもので世間を惑わし、球児を苦しめたにもかかわらず、「野球有害論」では発行部数が激減すると見るや、手のひらを返し夏の甲子園の前身である「全国中等学校野球大会」を挙行したのだ。
「100年、100回」と喧伝しながら、この経緯に頰被りを決め込み一言も触れず、「健全な精神」だの何だのと宣っている、これだけでも嫌味の一つも言いたいところだが、まだまだ不満のネタはある。
この100回記念大会の開会式には皇太子ご夫妻がご臨席されたが、これまでの皇室報道を思い返せば、よくも恥ずかしくも無く猛暑のなかでの御臨席をお願いできたものだという気がしてならない。
雅子妃殿下の流産と敬宮様の通学問題に、この主催社は許しがたい大きな大きな咎がある。
それを、御心の広い皇太子御一家がお許しになろうとも、一連の皇太子御一家バッシングが、この国から権威を重んじる空気と慎みを奪い、病者や女児を集団リンチのように虐げても構わないという空気を作りだしたと、私は考えているので、マスコミに向ける視線はどこまでも厳しくなる。
そんなマスコミのインチキな報道ぶりを身近に知る機会が、まさに野球関連であった。
我が野球小僧が、地方大会の始球式で投げた!
選手としては伸び悩み、毎回試合に出られるわけではないのだが、キャプテンとしてはなかなかに活躍している彼に、始球式で投げるという大役が回ってきた。
練習を積み、当日は甲子園の常連校のベンチから「ナイスボール!」の声があがるピッチングで大満足だったのだが、それを伝える記事を読み、こんなことまで歪めるのかと、呆れ果てたのだ。
野球小僧、文房具を憧れの選手のロゴ入りのもので揃えるほど、好きなプロ野球選手がいる。
始球式と前後して、地方テレビ局や主催社支局から、「好きな野球選手は?」というインタビューを受けていた野球小僧は当然、テレビ局にも新聞社にも、憧れの選手の名を言ったのだが、新聞社は違う名前を書いたのだ。
新聞を読み不審に思った私が理由を訊ねると、野球小僧は、「どちらにも本当に好きな選手の名を告げたのだが、新聞社はその選手では納得しない様子をアリアリと示し、違う選手の名を言わせようとする雰囲気がプンプンした」という。日頃の野球小僧なら、好きな選手の名は譲らないのだが、「始球式の日は猛烈に暑く、めんどうになり(大人の対応で、笑) 記者が望んでいる選手の名 も 言ってやった」、そうなのだ。
そして記事なったのは、記者が言わせたかった選手の名前のみ。
新聞記者がどうしても言わせたかった選手と新聞社(もしくは記者本人)にどのような関係があるのかは知らないが、野球小僧の憧れを曲げてまで伝えて良いものではないだろう。
一事が万事、この調子なのだと思っている。
とは云え、やはり夏の甲子園と野球はいいな、と思わせてくれることもあったので、今年も贔屓のチームをつくり手に汗握り応援している。
そんな気持ちについては、もう少しつづく