「ぜんぶ、ワンコ 山 ②」
どちらが勝っても史上初の快挙となる、夏の甲子園の決勝が行われた。
大方の予想通り、史上初となる二度の春夏連覇を成し遂げた大阪代表も立派だったが、この暑いさなか投手を中心に東北魂を見せつけてくれた秋田代表も見事で、100回の記念大会はまさに記念すべき素晴らしい大会として歴史の一ページとなった。
特に秋田代表の快進撃は地元でも思いがけないことだったようで、日を追うごとに応援が白熱していったが、ニュースで「秋田、秋田」と絶叫しながら、そんな秋田の知性の一人が二年前の今日、この世を去っていることは、あまり知られていない。
そう、「たいまつ」の作者、むのたけじ氏が亡くなられたのが、二年前の8月21日のことだ。
ワンコお告げの本に、歴史の記録と記憶についての考察が繰り返しかかれていたことから、むのたけじ氏を思いだしたのには、おそらく甲子園開会式での主催社の挨拶が、ある。
甲子園やスポーツの祭典を平和と結びつけることは間違いではないが、100回の歴史を誇り平和と関連付けて何がしかを語りたいのならば、まずメディアが戦争にどう関与したのかも、率直に語り、それについて反省の弁があってしかるべきではないか、と思わずにはいられなかったのだ。
そんな時に、歴史の記録と記憶について印象深い言葉がある「終わりの感覚」(ジュリアン・バーンズ 土屋政雄・訳 )を読んだので、戦意高揚を煽った責任を痛感し、新聞社を辞め故郷 秋田に帰り、ただ一人の言論人として平和を訴え続けた、むのたけじ氏のことを思いだしたのかもしれない。
「終わりの感覚」には、主人公がしたり顔で『歴史とは勝者の嘘の塊』と言うのに対して、すかさず教師が『(歴史とは)敗者の自己欺瞞の塊でもあることを忘れんようにな』と遣り込める場面がある。
また、『個々の責任の累積』という言葉もある。
毎日新聞の記者だった山崎豊子氏は「二つの祖国」で主人公の口を借り、戦時下における日本のマスコミの無責任ぶりを痛烈に批判しているし、「小さいおうち」(中島京子)は、戦争特需を期待し戦争を歓迎している国民の様を描き出している。
勝者も、敗者も、嘘とご都合主義な記憶により記録を作っていくのかもしれない。
そして、そこには悲しけれど、ふつうの国民も含まれているのかもしれない。
それぞれの、個々の責任の累積の先にあるのが、混沌、戦の歴史なのかもしれない。
そんなことを少しばかり考えていたのだが、私が、むのたけじ氏を知ったのは、平和の伝道者としてではなく、金八先生が朗読した詩によってだ。
『生きることは学ぶこと』
『愛は自分で築くもの。真実は自分で突き止めるもの。書物は自分で探して巡りあうもの』
『より高く、より遠くへ跳躍しようとする者は それだけ助走距離を長くする』
読書備忘録に本の名言を記すのは、かなり子供の頃からの習慣だが、その手帳にはテレビで聞いた名言も時に記されている。
その最初の名言が、金八先生が朗読した、むのたけじ氏の詩だったのだ。
「書物は自分で探して巡りあうもの」だと思うけれど、
ほったん、月に一度の ほったんお告げの本を楽しみにしているから、
これからも本の紹介をお願いするね ほったん
次回は、お告げの本にあった、人の記憶と時間について考えてみるね
おやすみ ほったん
どちらが勝っても史上初の快挙となる、夏の甲子園の決勝が行われた。
大方の予想通り、史上初となる二度の春夏連覇を成し遂げた大阪代表も立派だったが、この暑いさなか投手を中心に東北魂を見せつけてくれた秋田代表も見事で、100回の記念大会はまさに記念すべき素晴らしい大会として歴史の一ページとなった。
特に秋田代表の快進撃は地元でも思いがけないことだったようで、日を追うごとに応援が白熱していったが、ニュースで「秋田、秋田」と絶叫しながら、そんな秋田の知性の一人が二年前の今日、この世を去っていることは、あまり知られていない。
そう、「たいまつ」の作者、むのたけじ氏が亡くなられたのが、二年前の8月21日のことだ。
ワンコお告げの本に、歴史の記録と記憶についての考察が繰り返しかかれていたことから、むのたけじ氏を思いだしたのには、おそらく甲子園開会式での主催社の挨拶が、ある。
甲子園やスポーツの祭典を平和と結びつけることは間違いではないが、100回の歴史を誇り平和と関連付けて何がしかを語りたいのならば、まずメディアが戦争にどう関与したのかも、率直に語り、それについて反省の弁があってしかるべきではないか、と思わずにはいられなかったのだ。
そんな時に、歴史の記録と記憶について印象深い言葉がある「終わりの感覚」(ジュリアン・バーンズ 土屋政雄・訳 )を読んだので、戦意高揚を煽った責任を痛感し、新聞社を辞め故郷 秋田に帰り、ただ一人の言論人として平和を訴え続けた、むのたけじ氏のことを思いだしたのかもしれない。
「終わりの感覚」には、主人公がしたり顔で『歴史とは勝者の嘘の塊』と言うのに対して、すかさず教師が『(歴史とは)敗者の自己欺瞞の塊でもあることを忘れんようにな』と遣り込める場面がある。
また、『個々の責任の累積』という言葉もある。
毎日新聞の記者だった山崎豊子氏は「二つの祖国」で主人公の口を借り、戦時下における日本のマスコミの無責任ぶりを痛烈に批判しているし、「小さいおうち」(中島京子)は、戦争特需を期待し戦争を歓迎している国民の様を描き出している。
勝者も、敗者も、嘘とご都合主義な記憶により記録を作っていくのかもしれない。
そして、そこには悲しけれど、ふつうの国民も含まれているのかもしれない。
それぞれの、個々の責任の累積の先にあるのが、混沌、戦の歴史なのかもしれない。
そんなことを少しばかり考えていたのだが、私が、むのたけじ氏を知ったのは、平和の伝道者としてではなく、金八先生が朗読した詩によってだ。
『生きることは学ぶこと』
『愛は自分で築くもの。真実は自分で突き止めるもの。書物は自分で探して巡りあうもの』
『より高く、より遠くへ跳躍しようとする者は それだけ助走距離を長くする』
読書備忘録に本の名言を記すのは、かなり子供の頃からの習慣だが、その手帳にはテレビで聞いた名言も時に記されている。
その最初の名言が、金八先生が朗読した、むのたけじ氏の詩だったのだ。
「書物は自分で探して巡りあうもの」だと思うけれど、
ほったん、月に一度の ほったんお告げの本を楽しみにしているから、
これからも本の紹介をお願いするね ほったん
次回は、お告げの本にあった、人の記憶と時間について考えてみるね
おやすみ ほったん