何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

ワンコの道

2017-05-20 09:51:25 | ひとりごと
今週はさ、確かに’’うんこ’’な一週間だったけれど、私の気持ちを憂鬱にさせていた大きな理由の一つに、
ワンコ 君のことがあるんだよ

ワンコが天上界の住犬になって一年がたった頃、
「来年の戌年にはいいことがあるよ」とお告げをくれたろう?「バラは赤、というけれど」
何と云っても「A DOG’S PURPOSE」(W. Bruce Cameron)「野良犬トビーの愛すべき転生」(w.ブルース・キャメロン 訳・青木多香子)を読んで、ワンコがまた会いに来てくれることを確信している私だから、
そのお告げ以来、ワンコをそこかしこに感じることができたし、来年への希望にもなっていたんだけれど

それを打ちのめすような出来事が、先週土曜日の夕方にあったんだよ
ワンコがもし、あの わんこなら、私の悩みの深さは分かっているだろう?
もしかするとワンコも今頃悩みこんでいるんじゃないかい?

先週土曜日の夕方、
ワンコとの散歩コースだった道を歩いていると、30メートルほど前を、黒柴が散歩していたんだよ
その黒柴は、ワンコのプリケツにもワンコ独特の歩き方にも、とっても似ていたから、
思わず、ワンコと私だけの約束の、あの口笛をごくごく小さく吹いてみたんだよ
すると、わんこはくるりと振り返り、私を見つめて動かなくなってしまったんだよ
突然の出来事に、リードを手に困って立ち尽くしている飼主さんと わんこの元に私が近づくと、
わんこは、もう嬉しくってたまらないというようにハシャギまわって、その場をぐるぐる回り、
私に飛びつこうとしたんだよ
私がかがんで、わんこの鼻の下に、グーにした手を差し出すと、
匂いなんか確認する必要はない!とばかりに、私の腕に前足をかけ、顔を舐めようとしたんだよ

その黒柴と触れ合った直後は、
ワンコが、元気のない私を励ますために、一瞬だけあの わんこの身体に入ってくれたんだと思ったのだけど、
後からじわじわ気になってきたんだよ ワンコ

ワンコよ
もしかすると、あの わんこは、ワンコなんじゃあるまいね?
散歩し始めたばかりといった感じの、7か月ぐらいの黒柴だったけれど、
間違えて、あの わんこの中に魂を入れてしまったんじゃないだろうね? ワンコ

「A DOG’S PURPOSE」によると、犬は利口だから、与えられた目的を達するために生まれ変わるんだよ 
犬は、生まれ変わっても前世の記憶や経験を覚えていて、
それを活かして人を助けるという目的を果たそうとするそうなんだよ ワンコ

あのお告げ以来、
来年の戌年には、きっとワンコが我が家に再臨してくれると信じて元気を出していたのだけれど、
ワンコ 間違って違うお家へ行ってしまっている、なんてことはないだろうね?

そんな思いにとらわれると、ワンコに逢えない寂しさで一杯になり、
それは、今週の’’うんこ’’に拍車をかけていたんだよ ワンコ

それにさ、ワンコ
このところ忙しすぎて、新しい本が読めない状況なので、
「今月はワンコから本のお告げもないだろうな」と思い、それも寂しさの原因でもあったのだけど、
やっぱりワンコは、本を通じてお告げをくれたね ワンコ
そのお告げを信じると、
先週土曜日にワンコそっくりの わんこに出会ったことの意味も受け留めることができそうだよ ワンコ

それについても書きたいのだけれど、今が猛烈に忙しいことはワンコも分かってくれてるだろう?
だから、ワンコのお告げの本については、つづく とするねワンコ
ワンコの魅力的なプリケツ写真を載せたいけれど、
その魅力が遺憾なく伝わる写真を見つけられないから、
この写真で許しておくれ ワンコ


参照、「ワンコ on my mind 永遠に」 「相棒と呼んでおくれ ワンコ」 「ワンコ'purpose 相棒」 
「永遠に相棒だよ ワンコ」

終りの始まり、’’うんこ’’

2017-05-19 21:42:42 | 
「しつこく、’’うんこ’’週間」 「’’うんこ’’週間なので、続く」より

昭和5年に山形から東京へ出てきて中・上流階級の女中さんとなったタキさんの半生を振り返る「小さいおうち」(中島京子)。(『 』「小さいおうち」より引用)

タキさんは尋常小学校しか出ていないが、成績は良かったので書物も読めば、重役宅の奉公先で語られる景気動向にも耳をすませていた自負がある。だがそんなタキさんをして、満州事変や2・26事件は他人ごとであり、昭和10~11年はオリンピック決定にわく『思い出深い、懐かしい、平和な情景しか浮かばない』時期であり、北支事変というと『戦勝祝いの行列を見に出掛けたことは、よく覚えている』『それより前というと、とりたたてて何も思い出さない』ということなのだ。

命の危険が直接 身に迫らないかぎり、人はいつの時代も「おまんま」(銭金、景気)の良し悪しが一番の関心事なのだ。
そして、そんな人間の心理を突いて、実は色々な仕掛けがなされている。

タキさんは、満州事変も太平洋戦争も『それは正しくは「兵隊さんのこと」とか「海軍のこと」とか「戦闘のこと」とかなんとか、言うべきだ』と思っているが、その影を日常にまったく感じなかったわけではない。

「パーマネントはやめませう」という啓蒙セリフは今でも有名だが、タキさんは、当時流行した「銃後髷」をいち早く知っている。
タキさんが仕える時子奥様の女学校時代の友人・睦子さんは、熱狂的国防婦人であり雑誌社に勤めていたために、タキさんは その手の情報に触れるのは早かったのだ。
睦子さんの勤める婦人雑誌は始終 総力戦における銃後の覚悟を説いており、ページごとに『一人でも多く殺せ!』と刷っていた。

日常生活でもじわじわと変化は訪れていた。
『聖戦の最中に贅沢は行けない』という趣旨で始まる「興亜奉公日」も、市民への求め(通達)が「毎月一日は日曜であろうと学校へ行くこと」「興亜奉公日の弁当は梅干し弁当にすべし」であれば、どれほどの抵抗感もなく受け入れられていく。
「ビスケットは国防食品」と銘打たれても、「国防食品・ビスケット~銃後の児童の栄養を軽視することは出来ない」と宣伝されれば、母も子供も納得する。
ついには「翼賛型美人」という標準まで発表されるが、その内容が、美人の定義を『細くて青白い蒲柳の質』から、『(産めよ増やせよのために)多産型の、どっしりしたお尻の子を美人と決めることにし』、これを『翼賛会主導で、新流行の後押し』たというのだから、今となってはお笑いだ・・・・・いや、その定義は当時の女性にも今の女性にも、大いにウケるかもしれない。

こうして、「時代」というものはジワジワと生活そのものに浸透していくものなのかもしれない。

タキちゃんは述懐している。
『満州で事変が起って以来、「非常時」は一種の流行語であったが、生活をするこちら側にとっては、何が非常時なのかいまひとつピンとこなかった』
それどころか、経営陣に名を連ねる旦那様が、好景気を喜んでおられる姿だけが強く印象に残っている。

こんなタキさんも昭和19年には実家の山形に帰り、疎開児童の世話をするようになり、昭和20年、いよいよ本土決戦かという時期になり、地方新聞にも勇ましい社説を目にするようになる。
『粘りだ、粘りだけが勝敗を決する。敵の最も嫌う長期戦へ是が非でも引きずり込むのだ。
 本土上陸も何ぞ恐れん。百万県民が一殺を誓うとき百万の敵は殲滅あるのみ』
『考えず語らず全県民が戦い気狂いとなる』
『女も敵を殺せ、侵略には竹槍を取って刺違えん』

そうして、戦争は終わった。
ホッとしたタキさんが思ったことは、『それでも私の日常は続いた』ということだ。

市民にとっての日常とは、後に歴史教科書に太文字で書かれる時代を生きていたとしても、別のところにあるのかもしれない。
ジワジワと「時代」が日常に忍び込んできても、あるいは大音量で「時代」が日常を支配したとしても、我々日本人は、それが隣の人も同じであれば、さほど真剣には受け留めないのかもしれない。

そんな「時代」の空気を今週は強く感じる、まさに’’うんこ’’週間である。

一人で咲く花は、凛と咲き誇っているのか、五人組を幾重にも重ねたようななかで縮こまっているのか?
そのようなことを考えながら、鉢を見つめている。

追記
本書には、タキさんが最初に仕える小中先生という作家の印象に残る言葉が二つある。
そのうちの一つが、今日(5月19日)の’’うんこ’’に鑑みると、考えさせられるものがある。
それについては、又書くかもしれないが、一人凛と咲く覚悟が覚束ない私は、書くことができないかもしれない。

’’うんこ’’週間なので、続く

2017-05-18 00:15:57 | 
「しつこく、’’うんこ’’週間」より

そもそも「小さいおうち」(中島京子)を思いだしたのは、今週が’’うんこ’’週間であるからだが、’’うんこ’’ に ’’うんこ’’がぶつけられる事態まで起こり、まさに’’うんこ’’ 、と書いている私は「度し難い馬鹿」。
(注 、「うんこ復活」

それは兎も角、本書は、昭和五年に尋常小学校を卒業した山形出身のタキさんが、東京で女中奉公した半生を綴る自分史という形態をとっているのだが、「本書で描かれる空気が、現在のそれに似ている気がしてならない」というところまで「しつこく、’’うんこ’’週間」で書いていた、そのつづき。

タキさんの東京での最初の奉公先である小中先生との会話は、強く印象に残るものなので後ほど書きたいが、まずは二番目の奉公先であり物語の中核となる平井家での日常生活に、激動の時代がどのように影響を与えていたのか、あるいは与えていなかったのかを書いておきたい。

昭和10年から11年について、タキさんは『思い出深い、懐かしい、平和な情景しか浮かばない』と述懐している。(『 』「小さいおうち」より引用)
昭和10~11年、タキさんによると、東京は活気に満ちていたという。

昭和5年に行われた帝都復興祭は、関東大震災から7年で帝都東京が見事に復興し、ニューヨークに次ぐ世界都市になったことを世界に知らしめる一大事業であったが、その華々しい記憶も新しい都民に、昭和11年新たなお祭り決定の報がもたらされた。

昭和15年の東京オリンピックと、それと同時に行われる予定の万国博覧会が決定したのだ。

ベルリンオリンピックでは、『田島、原田の三段跳び、西田、大江の棒高跳び、前畑選手の200メートル平泳ぎ』と、日本人選手の活躍に日本中が沸き立ったが、そのベルリンオリンピックで、次回の開催地として日本が宣言されたのだから、弥が上にも期待は高まっていく。
この頃、東京は不況知らずだと世界に広く宣伝されていたらしいし、平井家の主人が勤める玩具会社は、輸出が好調で笑いが止まらないほど儲かっており、あまりに業績がいいので、その前年に大工場を新設し大量生産を開始するほどだった。

誰もが『日本経済は安泰だね』と胸を張っていたという。

だが、タキさんの自分史をこっそり読んだ甥の健史は、『間違っている。昭和十年がそんなウキウキしているわけがない』 『昭和十年には、美濃部達吉が「天皇機関説問題」で弾圧されて、その次の年は青年将校が軍事クーデターを起こす「2・26事件」じゃないか』と不信感をあらわにする。
畳み掛けるように健史が云う『(そもそも)その頃 日本は戦争してたんでしょ』との言葉に、タキさんが『事変はあったけれども』と言い返そうとするが、健史は『じへん、じゃないの、せんそう!そんなのただの、言葉の誤魔化しでしょう』と健史は更に怒りをぶつける。

だがタキさんは、どうにも納得がいかない。
女中ではあるが学校時代の成績が良かったタキさんは、奉公先でも格調高い雑誌を読み、世間を知っていたという自負がある。
そのタキさんをして、昭和10~11年という年は、オリンピックの感動と興奮と好景気にわき、『思い出深い、懐かしい、平和な情景しか浮かばない』年だったのだ。

タキさんが経験した第二次戦争前の「日常」と、健史が教科書で知る「歴史」認識の噛みあわなさは、本土に雨あられと焼夷弾が降るようになるまで続くのだ。

健史はタキさんの自分史を盗み読みしては、不満をもらす。
『おばあちゃんの話には、戦争のことが何一つ出てこないじゃない。もうすごいことになっていたんでしょう?レイテ沖海戦では海軍は壊滅的な打撃を受けるんだよね?もう神風特攻隊も出陣してるよね?フィリピンは敵の手に落ちるわけでしょう?硫黄島のことは知っていたわけ?』と、健史は矢継ぎ早にタキさんを問い詰めるが、タキさんには、どうにも実感がない。

『「戦争のこと」と健史はいうけれども、それは正しくは「兵隊さんのこと」とか「海軍のこと」とか「戦闘のこと」とかなんとか、言うべきだ。』と思いながら、健史の文句を聞いている。

昭和20年にもなれば、さすがのタキさんも平和な世の中に生きているとは思わず本土決戦が間近だとは感じていたが、それでも慢性的に聞かされる戦況など、なんの意味があったのだろう、と振り返っている。

この感覚は勿論、タキさんにとって大切な人が、出征したり戦死したりということがないからでもあるが、「戦争をする」という事についての世の空気は、存外この程度の認識だったのかもしれない。

だが、「パーマネントをやめませう」のようにジワジワと日常に沁みこんでくるものもあれば、大音量で頭に叩き込まれるものもある。

そのようなことについては、更に つづく

祝 ’’うん’’がついてきた

2017-05-16 23:17:05 | ひとりごと
今朝の空は、抜けるように青く澄みわたり、清々しいものだった。
その空を見上げ、躊躇うことなく私がメールに記したのは、ロバート・ブラウニング「春の朝」の一節だった。

神、そらに知ろしめす
すべて世は事も無し

先月の胃癌の告知以来、周囲の動揺をよそに御自身は冷静に引き継ぎや指示を飛ばしてこられた、上司。
「本当のことを乗り越えさせる希望」
その強靭な精神力が、深くキリスト教に帰依しておられることに因るものなのかは分からないが、そのような上司が手術を目前にされている時、若輩者の私は届ける言葉が見つからないでいた。
だから、今朝爽やかな空を見上げた時に心に浮かんだ「春の朝」の一節に思いを託してメールした。

思えば私自身、何度この詩を口ずさみ、何度救われてきたことだろう。
「赤毛のアン」(M・モンゴメリ 訳・村岡花子)の最後にも記されている「春の朝」の一節は、子供の頃から何度も読んでいたはずなのだが、数年前まで心に留まることはなかった。
だが、数年前に上田敏による この詩の全文を知って以来、「春の朝」は私を支える宝となった。
自分自身が辛い時はもちろん、辛い誰かを心をこめて応援したい時も、いつも「神、そらに知ろしめす すべて世は事も無し」と念じてきた。
そして今日も、この一節に思いを託してメールをし 手術の行方を見守っていたが、先ほど「無事成功、術後の回復室から一般病棟へ戻られた」と連絡が入った。

今日ここに感謝をこめて全文を記しておきたい。

「春の朝」
(ロバート・ブラウニング 訳・上田敏「海潮音」より)

時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


God's in His heaven,
All's right with the world!




追記
村岡花子氏は、「神は天にあり、世はすべてよし」と訳し、「赤毛のアン」を終えている。




しつこく、’’うんこ’’週間 

2017-05-15 23:55:55 | 
今週は、この国の行く末に影響を与える諸々が’’そもそも会議’’の決定を経るという、なんとも’’うんこ’’な一週間だというので、気分が憂鬱である。(「うんこ復活」

こうしていつの時代も国民は、知らされているようで何も知らされていない、というより寧ろ、自ら考えることをしないまま、「そんなこととは知らなかった」という事を何度でも繰り返すのだと思う。
かく云う私も、もう遠くの手の届かない処を想う気力も萎え、身近なところの幸いを心をこめてシッカリ祈りたいと思っている・・・・・明日は上司の手術の日。

そんな諦観と失望にかられている私の脳裏に思い出される本がある。
「小さいおうち」(中島京子)

本書は、タキさんというお婆さんが書き進めている自分史を、読者が同時進行で読むという手法をとっている。

昭和5年に尋常小学校を卒業した主人公タキさんが、山形から東京へ出てきて女中奉公をするところから始まる自分史は、うっかり読み進めていると、昭和初期の東京モダンに浮かれた中・上流階級の家族の日常と秘め事を記したものと勘違いさせられる。

だが、この自分史を時々盗み読みするタキさんの甥・健史が、タキさんが綴る日常に、教科書的「歴史」という視点を与えるおかげで、本書に深みと不気味さが生じるという上手い手法を作者はとっている。

その不気味さが何とも現在に似ている気がしてならない。
そして、その薄気味悪さを記しておかねばならないと思うのだが、’’うんこ’’週間である今週は、忙しいので一纏めに書き記すことは出来そうにない。
この続きは、明日以降につづく

追記
「うんこ復活Ⅱ 女神降臨」で、「研修医なな子」(森本梢子)の感想として、医師界の女性蔑視について書いたが、「研修医なな子」はそれを主題としたストーリーでは全くない。それよりは、やる気も知識も体力も男勝りな なな子が理不尽な仕打ちを跳ね返し成長する姿をコミカルに描くものであり、少なくとも なな子と同世代の男性医師は、旧態依然とした意識を(あまり)持たずに男女対等に仕事に励む姿が描かれている。
ともかく、明るく楽しい読後感であったと一言書いておかなかればならないと、チクと思ったものである。